力を得てはならない者
「なら、俺は必ず君を見つけ出す。だから、今は礼だけ言っておく。……こんな俺を励ましてくれて本当にありがとう」
俺がだらしなく笑えば、マナもいつものように俺に微笑み返す。
確かに俺はマナはもっと、純粋で独占欲などと縁遠い人格を有した女性だと思っていたが、それは俺が彼女に押し付けていた理想だった。
しかし、今俺に見せる笑顔だけは嘘偽りのないものだと確信した今、俺に前を向く以外の選択肢は残されていない。
そしてもう1つ、俺はこの現状を切り抜ける為の理由が出来てしまった。その理由の根幹となったのは、今目の前にいるマナが如何なる存在なのかについてだ。
今、俺の目の前にいるマナはあくまで幻影。それはマナが俺へと知らせていて、自分はあくまで俺を導くだけの存在に過ぎないと彼女の赤瞳が語る。
既に閉ざされた視界に、壊れかけた精神。そんなで残酷な現状で俺を励ます彼女マナの幻影だけが今の俺にとっての標だけでなく、別のある真実も含まれていることも俺はこの一瞬で理解する。
目には見えない標の先——そこでまだ彼女は生き続けていると、マナ本人が訴えかけたのだから。
マナが生きていると言う事実は、既に地面を這いつくばる芋虫と化した俺を人間に戻すには十分すぎるものだった。
俺が礼を言うと、マナは笑って俺へと手を振っては泡のように消えてしまう。しかし、今はそれでもいい。
未だ、両目を裂かれた激痛に苛まれるも、極限まで達した俺の心身への負荷と痛みは異常な方向へと傾いていく。
俺は重罪人だ。——ああ、それで?
重罪人だから死ぬべきと? それは至極真っ当な世の道理だが、そんなものは必要か?
俺が求めているのは彼女だけであって、誰かが下す罰を受けることもましてや贖罪の強制など真っ平御免だ。
今、彼女が俺を赦したのなら、俺がなんであろうがどうだっていい。
俺は彼女にとっての愛しい俺――その事実1つさえあるならば、どこへだって行けるし、まだ戦える。
「“俺は見るに堪えない鬼畜外道”」
そう決意した俺の口から紡がれたのは、俺と言う人間の本質。
我欲に塗れ、罪の意識すら放棄し、死と言う罰を覆した重罪人。
「“血の海を渡り歩き、血を啜り、骨と肉を喰っては肥え太る”」
そんな鬼畜外道が辿るのは、光亡き修羅道。
彼女をこの手に抱くまでは、あらゆる魔の手から逃げきって、そのまま2人でいるのだと。
どこの世界に逝くわけでもなく、償いなどする気など微塵もなく、ただただ彼女と共に2人きりで居たい。
どこの世界に居たいかを決めるのは彼女だから、俺は誰かが彼女に触れないように、その手を離してはならないと言う役目がある。
そのためには、まずマナを見つけ出すことが最優先事項だ。
だからそこを退どけと、再び俺は地面を転がる剣の柄を握りしめる。
両目が見えないのは致命的だが、そもそも俺は『ゴースト』と戦う上で、視覚をそこまで重要視したことはなかった。
勘と嗅覚だけを頼りにしており、それだけで命を繋いだ。なら、きっと問題ない。
ただ惜しいのは、奴らの予備動作が見えないことであり、嗅覚が鈍ったときの万が一の保険が利かないことだけが厄介事だ。
ならば、喰えばいい。
『ゴースト』達を感知して、そのまま飲み込み、嚙み砕いてしまえばいい。
あの黒い爪どころか、気味の悪い黄金色の目玉さえ呑み込んで、奴らの存在など一片も残さなければ、保険もなにも必要ない、と。
無意識下で俺は口端を釣り上げ、愉悦に満ちた声音で低くそう呟いた瞬間、握り締めていた剣を自身への心臓へと突き刺す。
心臓に剣を突き刺せば、形容し難い激痛が胸に走り、一瞬にして痛みは全身を蝕んでいく。
激痛で意識を失いそうになっても、俺は何故かどこか生まれ変わるような悦びを感じながら血反吐を吐き、剣を捩じる。
「“逃避たければ逃げてみろ、抵抗は虚しく踏みにじるだけ”」
それこそが俺に出来る唯一の事。
助かりたければ、ありとあらゆるものを捨ててみろ――そんな挑発が俺の脳内で嗤い続ける。
そして俺は今まで斬ってきた『ゴースト』の残滓を心臓へと流し込み、自身の肉体へと『ゴースト』を埋め込んでいく。
心臓だけではなく、そのまま『ゴースト』の残滓は血管へと染み渡り、全身へと広がっていく。この血から奴らの味を知り、血へ刻み、細胞へと奴らの味を刻む。
咥内は吐血した自身の血と奴らの気配の象徴である血生臭さが混じり合い、俺の味覚を変質させていく。
濃厚な鉄錆の味と泥のような味も混ざるのは地獄の極みだが、それでもなお、これは畜生には似合いだと嗤って、さらにそれを味わう。
やがて剣に吸収された『ゴースト』共の残骸が、逆に俺を喰ってやろうと喉奥から五臓六腑まで行き渡る。しかし俺にとってはそれさえもどうでもいいことであって。
「喰うのはこっちだ、お前らに喰わせると思うなよ」
そして俺は、啜って、貪って、喰って、喰らい尽くす。
一方、『ゴースト』も俺を喰おうと浸食するが、俺を喰うことは叶わず、奴らはそのまま俺に喰われ続ける。
俺は剣に残された『ゴースト』の残滓を喰い切り、心臓から抜く。そして心臓から剣を抜いた瞬間、暗闇に染まっていた俺の視界には『ゴースト』の姿が映っていた。
しかも今までとは違い、より鮮明に視覚化出来ており、両目が機能していたときより遥かに効率が良かった。
ならば好都合——そう嗤う俺は正に悪鬼に見えたことだろう。
その後、俺はただ『ゴースト』共をひたすら細切れにしていた。
高らかに笑いながら、いとも容易く本体を穿って、抉って、斬り落とす。
両目を失ったかと思いきや、逆に俺は強化され、ただ奴らを斬って斬って斬り殺す。
こんな覚醒のきっかけとなったのは、マナの影響であり、もう1つマナは俺にあるものを与えてくれた。
それが、干渉能力。
俺が『ゴースト』を体内に埋めたことで、こちらから『ゴースト』へと反撃すると言う逆算的な攻撃手段。それはこんな風に使うことが出来た。
「“死ね”」
俺がそう呟いた瞬間、1匹の『ゴースト』の体は水風船を割ったかのように弾け、隣にいた『ゴースト』も次々と弾け飛んでいく。
感知した結果、この方法だといっぺんに4匹の『ゴースト』を葬れる。
しかしこれだけでは決定打にはならず、もっと多くの『ゴースト』を仕留めるには代償がいる。
今はそれを使うなと本能が判断したため、俺は剣を構えるのを止めて深く息を吐く。
そして目の前にいる『ゴースト』へと手を伸ばし、そのままこちらへと引き寄せる。
俺は引き寄せた『ゴースト』は一体だけではなく、何体も連なるようにオマケとして着いてきた。
後はこの重なった『ゴースト』共を斬り伏せればいいのだが、未だ俺の与えられた恩恵には極意が残されている。
『ゴースト』への干渉能力の極意——それは、剣を抜き祝詞を紡ぐことで、たった一撃に何十倍もの出力を乗算させること。
「“お前らを殺すのは悪食の狩人だ”」
奴らに対する滅殺の宣告は、あまりにも陳腐で俺としては当然の言葉。
『ゴースト』を喰った悪食、俺を惑わし、圧し潰すはずだったはずの罪悪感と罰の意識を喰った外道にこそその祝詞は相応しい。
「“噛み砕け”——ッ! “『愛』以外は全て滅しろ”ッ!」
俺の覚悟と化した詠唱は、突然芽生えた力の性能を急激に引き上げる。
放った一撃は、まるで氾濫した川が堤防を呑むように荒れ狂い、『ゴースト』共を滅していく。
既に俺を襲っていた200体の『ゴースト』共の群れは、覚醒した悪食の狩人の手によりわずか4分程度で殲滅された。
「……ははっ、けど『ゴースト』達以外は見えないのか」
俺は手のひらへと視線を落とすが、視界は昏いまま。
今俺が視認出来るのは『ゴースト』だけで、それ以外は全く見えない。
もはや、あいつらがいる場所を体に埋め込ませた気配を頼りに手繰っていく――そんな方法でしか生きることが出来ない。
そんな中、心残りはただ1つ。
「マナの笑顔をもう見ることが出来ないんだな」
そんな現実は俺の心に重く圧し掛かるが、それでもなおまだ耐えられる。
何故なら、未だ俺の昏い視界の先には、微笑んでいるマナがいるから。
彼女が消えない限り、いや、俺はいつだって彼女の笑顔を思い出せる。
しかしそれが、過去に見た記憶の焼き回しだと言うのが、虚しいだけだ。
どうもこんばんは、織坂一です。
リアム君の心を砕き、ヒロインが彼を奮い立たせ、ようやく彼は覚醒しました。やったねリアム君!
正直詠唱は後からぶっこんだものだったので、割と調整は至難の技でした。
結構ナチュラルに詠唱はするし、なんか混ざるし……なので分かりにくかったらすみません。
6章前にキャラクターのスペック並びに詠唱はきちんとこちらで掲載しますので、彼の詠唱はどんなものなのかを知りたい方は、それまでお待ちください。
さて、3章はここで終了となり、次からは4章です。
さぁいよいよ中間管理職との邂逅です。