Sweet Happy Valentine
以前書いたcomplementary colorの常磐君と蘇芳君の恋人になってからの初めてのバレンタイン。
以前のを読まなくても大丈夫だと思います、たぶん。
「まだ残ってたんですか柊悟さん」
薄暗く人気の無いフロアで前触れも無く声をかけられた俺は一瞬ビクリと大きな体を震わせた。
ギョッとしながら声のした方を見るとドアに凭れ掛かるようにして後輩の蘇芳浅緋が立っていた。
「…お前なぁ、会社じゃ先輩って呼べって何度言えばわかんだよ」
驚いてしまった事と会社で名前を呼ばれた気恥ずかしさを隠す為にあからさまに大きなため息を吐いて眉間に皺を寄せるけど蘇芳は悪びれる素振りもない。
「別にいいじゃないですか。もう他に誰も居ないんだし」
そう言ってツカツカと近付いて来る。
明かりの少ない夜の室内でもわかる程の美形のこの男は俺の、初めての恋人だ。
初めての後輩として配属された蘇芳を見て俺は呆気なく恋に落ちた。
いや、突然足元から地面が消え失せて杭う事も出来ずに墜落したと言った方がいいかもしれない。
だけどそんな事気取られるわけにはいかなくて俺は蘇芳に対して必要以上にキツく接した。
そのくせ1人で弁当食べてる蘇芳を遠くからこっそり眺めたりして本当に最低で最悪な先輩だったと今でも思う。
なのに蘇芳はこんな俺を受け入れてくれた。
未だにどうしてこんな事になったのか俺自身もよくわかっていないが蘇芳も俺の事を好きだと言ってくれた。
「…柊悟さん。聞いてます?」
「…悪い。聞いて無かった」
「だからまだ仕事終わらないんですか、って聞いたんですけど」
更にずいっと近付いて蘇芳が俺の顔を覗き込む。
「あ、あぁ、俺はもう少しかかりそうだ。お前も今日は残業だったのか?」
蘇芳から顔を背けながらそう答える。
ここ最近仕事が立て込んでいて連絡は取りつつも顔を合わせるのは久しぶりだった。
そんなに大きい会社じゃないけど部署が違うとこんなに会わないのか、と思う程。
同じ課だった頃は毎日顔を見ていたから寂しくはあったけどちょっとでも顔を見れば会いたくなって離れがたくなるのもわかってたからちょうどよかった。
だから久しぶりに蘇芳の顔を見ただけで聞こえてしまうんじゃないかと思う位心臓がドクドクと脈打って、触れたくてつい手を伸ばしそうになってしまう。
しかも元々整った顔だったけど最近特に磨きがかかっていた。
いつも掛けてた大きいフレームの眼鏡をやめて猫背気味だった姿勢も良くなったし髪もきちんと整えられて、何より前は殆ど見せる事の無かった笑顔を見せる様になった。
女性社員はキャイキャイと色めき立って、同期の山吹も「何かお前の後輩、男前になったなー」とわざわざ軽口を叩きに来た位だ。
「あ…ええ、俺もさっきまで残業してました。…じゃぁ、これ」
蘇芳はそう言うとごそごそと鞄の中から袋を取り出して俺に差し出す。
「……?」
俺が呆気に取られてると「チョコですよ、チョコレート。バレンタインの!!」と若干キレ気味に言われた。
「えっ、あ…え?」
戸惑う俺に袋を押し付けてくるりと踵を返してそのまま出て行こうとする蘇芳の腕を咄嗟に掴む。
「あ、ありがとう。…悪い、俺何も用意してなくて…」
「…別にいいですよ。柊悟さんにそんなの期待してませんから。チョコも俺の自己満足なんで」
振り向きもせず淡々と言う蘇芳の首がうっすらと赤くなっているのを見るとプチンと何かが弾けた気がした。
グイッと蘇芳の腕を引きずる様にして棚の後ろに連れて行きそのまま抱き締める。
抱き締めた細い体からシャンプーなのか香水なのかクラクラする様ないい匂いがした。
蘇芳の肩に顔を埋めて無言で抱き締めていると「…柊悟さん痛い…」と小さな声で蘇芳が囁いた。
「…っ!悪い!痛かったか!?」
我に返った俺はパッと蘇芳から手を離す。
「まぁそんなにヤワじゃないけどちょっとは加減して下さいよ」
少し俯いたまま苦笑いして俺が無理矢理引っ張った手をプラプラと振りながら呟く。
「でもいいんですか?会社でこんな事して」
「いや、うん。良く…はないけどもう誰も居ないし、ここはカメラの死角だし…」
としどろもどろで呟いていると今度は蘇芳がグイッと俺のネクタイを掴んで引き寄せて唇を重ねてきた。
「……!」
「ここ死角なんでしょ?」
ニッコリと笑う蘇芳を見て俺はどうしようもなくこいつが好きなんだと思い知らされ、また唇を今度は深く重ねた。
「柊悟さんもしかして今日バレンタインって忘れてました?」
まだ仕事は残ってたがどうせ集中出来るわけないし切り上げて帰る事にした俺の隣で蘇芳が言った。
「まさか。チョコも貰ったし」
まぁ、会社に来るまで忘れてたけど。
「えっ?チョコ貰ったんですか?誰から?」
蘇芳は驚いた顔で俺を見る。
「は?そりゃ貰うだろ。誰からって…えーっと課の子達からだろ?あと総務の子達からと…掃除のおばちゃんと…あ、山吹からも貰ったな。それからお前な」
うーん、と今日1日の出来事を振り返りながらいちにいと指折り数える。
「…そんなに?それに何で山吹さんまで!?」
蘇芳の驚いた顔が途端にギョッとした顔になった。
「そんなって少ない方だろ?みんな義理だし、あ、でも山吹から貰ったのは本命って言ってたっけ?」
「えっ!本命って…まさかそれを受け取ったんですか!?」
蘇芳の顔が今度は青くなる。
「山吹から、って言っても山吹んとこのひなちゃんからだけどな。ちなみにひなちゃんはめちゃくちゃカワイイぞ。俺が遊びに行く度に『ひな、おおきくなったらしゅうごくんのおよめさんになるー』ってほっぺにちゅーして来るんだぜ。ませた3才だよなぁ」
ニヤニヤとしながら言うと蘇芳の顔は今度はぶわっと赤くなった。
「…もういいです!可愛い子に本命チョコ貰えて良かったですね!!どうせ俺は可愛くなんかないし待ち伏せしてチョコを渡そうとしたキモい男ですよ!」
そう言うと蘇芳はズンズンと早足で歩き始めた。
え?蘇芳も今まで残業してたんじゃなかったのか?
まさか俺が帰るのを待ってて、でも出て来ないからチョコを渡しにわざわざ来たのか?
「おい、ちょっと待てよ」
「追いかけて来なくて結構です!先輩は可愛い“ひなちゃん”を嫁に貰えばいいじゃないですか!」
蘇芳は振り向きもせず更に足を早める。
「ごめんて。なぁ待てよ…浅緋!」
そう言うと蘇芳はぴたりと足を止めた。
追い付いた俺は蘇芳の手を優しく握って深く息を吸う。
「…誰から何個チョコ貰っても浅緋から貰ったチョコが1番嬉しいよ。いや、チョコなんか貰わなくったって浅緋が俺に会いに来てくれたのが嬉しかった。ありがとう」
追いかけながら考えた言葉を恥ずかしくて死にそうになりながらも懸命に口にする。
「…もう、いいです」
ぽそりと蘇芳が呟く。
「良くない。からかってごめん。調子に乗ってたんだ。浅緋に久しぶりに会えてチョコまで貰って、ちょっとでも浅緋が妬いてくれないかと思ったんだ…」
「だから、もういいんですって。わかってますから。俺の方こそ怒ってすみませんでした」
「いや、俺が悪かった。なぁ、メシ食いに行こうぜ。もう遅いし明日も仕事だからそんなに長居は出来ねーけど…その…浅緋ともう少し一緒に居たいし…」
今まで恋愛経験ゼロの俺は最後の方は恥ずかしさで消え入りそうになりながらも何とか言い切る。
「メシ、行きましょう。…俺も柊悟さんと少しでも一緒に居たい」
恋愛経験豊富な筈の蘇芳も言葉に恥ずかしさを滲ませながらそう言った。
俺はグッと胸を掴まれたみたいな泣きたい気持ちになりながらも何とか堪えて蘇芳の手を握り直す。
『こんな所で大の男が何やってんだろうな』と心の隅で思いながら俺達は照れた顔を見合わせてふっと笑い肩を並べてゆっくりと歩き出した。
来年も再来年もこの先ずっとこうして蘇芳と一緒に肩を並べて歩いて行きたい、と心の底から願いながら。