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Lost Inside―取り戻せない日々―  作者: 古見理英
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盗み聞き

 本音を言ってしまえば、特に話したいことなんてなかったのだ。ただ、コミュニケーションの放棄はいずれ自分の首を締める事を知っている。それだけのことだった。こんなちっぽけな組織の中で、一度先輩方に嫌われてしまえばどうなることか。考えただけでゾッとする。

 コミュニケーションは最初が肝心だとどの本やサイトにも書いてあった。その場の空気に馴染めず、孤立してしまう人間は不幸だ。成長もしなければ、長く働き続けることもできない、と。私は絶対にそんな風にはなりたくなかった。そういう人間を見ると、胃の辺りがどうしようもなくムカムカして、我慢ならないのだ。


「理英。世の中軌道から逸れると生きにくいぞ。だから必死に食らいつけ」


 大学受験に2度落ちた経験があるらしい父は、酒が回るとしょっちゅうそんなことを口走っていた。私は幼い頃からそんな言葉を聞いて育ち、絶対に「世の中の軌道」から逸れないようにしなければと気を付けてきた。そうすれば確実だと信じていたのだ。随分と格好悪い生き方だが、私がそれ以外の安全に生きる術を会得することはなかった。

 だから、クソつまらない言葉をむりやりにでも紡ぎ出し、大嫌いな奴にも笑顔で対応する。自分の生きる理由を誰にも奪われないために。あの日のミサキのようににならないために。



「新人のおかしな子、慣れてきた?」


 昼食を食べ終えトイレに入っていると、聞き捨てならないやり取りが聞こえてきた。自分の事かと思い、背筋が凍り付いた。


「ああ、新井ちゃん? まだちょくちょくミスするけどね、悪い子じゃないんですよ。まあ、あの子が喋るとちょっと笑っちゃいますけど」

「何か日本語の使い方というか、喋り方可笑しいわよね。あの歳でお母さんの事ママとか言う?」

「うーん。でも確かあの子、どっかの国のハーフだったと思いますよ。どこだったか忘れちゃいましたけど」

「あらそうなの。それならまあ、文化の違いとかかしらね。でも顔は全然外人っぽくないわよねえ? ハーフって言ったら、もっとこう――」


 普通の枠から外れると変に注目されて、こうやって陰で噂されるようになるのかと思うと、自然とため息が漏れた。こういう人間はどこにでもいる。男だろうが女だろうが、若かろうが老いていようが関係ない。どうも自分の胸の内に仕舞っておくということができないらしい。

 私は二人の会話にイラつくのと同時に、対象が自分でなかったことに少しだけ安堵していた。

 

 ――あんな風に噂されるような人にはなりたくない。


 私は梅雨の湿気で柔らかくなったトイレットペーパーをちぎりながら思った。いつもそうだ。私は周りからおかしく思われないこと、普通の人間でいることを主軸に生きている。普通が何なのかもよくわからないまま。

 皆と同じレベルになれず、かといって突き抜けた個性もない。大抵は「遅れている」か、「足りていない」かである私は、そうする他ない。

 私はそんなくだらないことを考えながら顔を上げ、見えない扉の向こうを見つめた。ああいった会話をする人間を嫌っているくせに、結局はそんな彼らに迎合することで自分の立場を確立しようとしてしまうのだった。



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