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Lost Inside―取り戻せない日々―  作者: 古見理英
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謝罪

「ちょっとオネエチャン。予約してないんだけど、ちょっと診てくんない? いつも整形の増田先生なんだけど」


 予約カウンターから昼休憩に上がろうとした所で、厄介な患者に絡まれてしまった。中年の酒臭い男だった。真っ昼間から飲んできたのだろうか。考える間でもないが、死ぬ程嫌な予感がして、私はギュッと唇を噛んだ。


「申し訳ありません。今日はもう予約が一杯でして。本日はどうされましたか?」


 うちは完全予約制の病院だ。予約外の枠もあるにはあるが、この時すでに規定を越えて患者が入っていた。


「直接先生に診てくれって伝えてよ。今日月曜日だからいるでしょ?」

「ええと……体調不良でしょうか?」


 「質問に答えろよ」と心の中で毒づきながらも、精一杯の愛想笑いで私は男に尋ねる。決して本心を覚られてはならないからだ。


「薬貰うんだよ、薬」

「いつも増田先生が出しているお薬ですか? いつも出ているお薬だけでしたら、そちらの突き当たりを右に曲がった所にある、薬剤師さんのカウンターに――」

「眠剤!!」


 男が突然大声をあげ、私はびくりと跳ね上がった。これだから酔っぱらいは嫌いだ。人目も憚らず急に大きな声を出す。


「ええと、その……いつも貰っているものでしょうか?」

「整形外科だぞ。出てるわけねぇだろ、馬鹿か」

「……ですよね。ええと、そういった場合は増田先生ではなく、他の総合診療、症状によっては心療内科などの予約を取って頂いて――」

「シンリョーナイカだァ!?」


 男がまた大声を張り上げる。カウンターの上に無数の唾が散ったのが見えた。


「なんでそんな甘ったれの巣窟へ行かなきゃなんねぇんだよ? それともオマエ、俺の頭がクルクルパーだって言いてぇのか?」


 男の下品な怒号が病院中に響き渡った。大声で怒鳴る人間はこれまでに何人も見てきたが、この時は酷く、酷く苛ついた。

 近くにいた患者全員が、一斉にこちらに目を向ける。チッという誰かの舌打ちが聞こえ、息が詰まりそうになった。頼むからやめてほしかった。助けられないなら、いっそ無視してくれればいいものを。私に許されているのは、拳を握りしめ、ただじっと耐えること。今までだって、当たり前のようにずっとそうしてきた。自由に口を利くことが許されるのなら、二度と同じことが言えないようにしてやりたい。


「どうされましたか?」


 私が何も言えずに硬直していると、大声を聞き付けたのか、医事課から大川主任が飛び出てきた。こういう時は大抵、年齢の高い男性が出ていく決まりになっている。主任は背が高く恰幅もいいので、殆どのクレーマーは態度を改めるのだ。もちろん、この男も例外ではなかった。


「聞いてくれよ。このオンナがよぉ、増田先生に会わせてくれっつってんのにセーシンカ予約してとっとと帰れっつうんだよ」


 おい、クソ野郎。誰もそんな事言ってねぇだろ。くらい言ってやりたかった。でも私の口から出たのは、まったく正反対の言葉だった。


「本当に、申し訳ございません!」


 それは、反射的に出てきた言葉だった。いつもそうだ。いつも私は反射的に謝る。反射的に頭を下げる。いつも心のどこかで自分が一番悪いような気がしている。自分の言葉には何の力もなく、反抗できる立場になんてないのだという思考から抜け出せずにいる。


 大川主任がいかにも憂鬱そうな顔をして私の方を向き、呆れたように溜め息をついた。


「古見さん、戻って良いですよ。戻るところだったんでしょう」


 私は力なく頷いて、すごすごとその場から退散した。背後から「新人の教育が不十分で申し訳ございません」「彼女は無資格で入った新人で――」なんて話し声が聞こえてきた。

 こんなことは特に珍しいことではなかったが、酷く重苦しい気分になった。

 私は絶対に泣くまいと、頭の中で何度も攻撃的な言葉を唱えた。自分は何も間違ったことなんてしていない。あいつの方が変なんだ。きっと人生が上手くいかなくて、酒をがぶ飲みしながら他人に八つ当たりすることでしかストレスを発散できない屑なんだ。だって、そうじゃなきゃおかしい。何故私ばかりがあの手の終わっている人間に絡まれなきゃならないんだ。新人だからってつけ上がりやがって。


「あの、だいじょぶですかぁー?」


 処置室脇の手洗い場に行くと、新井さんが話しかけてきた。どうやら一部始終を見られていたらしい。


「別に平気。あんなのよくあることだし。理不尽だよね。新井さんも気を付けて」


 私は平静を装ったつもりで言った。陰から後輩に見られていたのかと思うと、今すぐ消えてしまいたくなった。

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