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Lost Inside―取り戻せない日々―  作者: 古見理英
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ナースエイド

 午前五時。悪夢に魘され目を覚ました。六月二十日の月曜日。湿り気を帯びたロードノイズと、微かな雨音が薄暗い寝室に響いていた。

 アラームが鳴るまでまだ一時間あったが、もう一度眠る気にはなれなかった。私はゾンビのようにのろのろとベッドから這い出ると、いつものようにキッチンへ行ってコーヒーを淹れた。

 ゴポゴポと下品な音を立てるコーヒーメーカーを寝起きの間抜け面でじっと見つめる。真っ黒なコーヒーに、真っ青な自分の顔が映っている。目の下にはパンクロッカーのような隈までできていた。


 二年前、高校時代の親友であるミサキは自ら命を絶った。それはあまりに突然の出来事で、私は彼女に対し様々な罪悪感を抱いたままどうすることもできない状態に追い込まれ、いの日からか、今朝のような(たち)の悪い悪夢に度々魘されるようになった。夢の内容はいつも似たようなもので、大方私はミサキの葬儀に参列しているのだ。実際、自殺した彼女が納棺後人目に晒されることはなかったので、完全に私自身が作り上げた妄想だ。それなのにこの夢は吐き気がするほど生々しく、脳裏に焼き付いて離れなくなるほどに鮮明なものだった。


 ミサキ……彼女の存在を忘れたことは一度もない。忘れてはならないのだ。誰が何と言おうと。私は毎日のように彼女のことを思い出し、深く自分の事を嫌悪する。

 何故嫌悪するのか。答えは簡単だ。彼女は、私のせいで死んだようなものなのだから。



 ブラックコーヒーをがぶがぶ飲むと、ぼやけた頭が覚醒し、間抜け面が少しだけ引き締まる。朝食用に買っておいた春雨スープを戸棚から取り出し、お湯を注ごうとしたがどうにも食欲が沸かず、そのままガスコンロの横に放置した。カフェインの効果が切れる前に顔を洗い、歯を磨き、切りたての髪についた寝癖を整え、服を着替えて仕事用の化粧をした。


 ――いきたくない。


 初夏の生ぬるい霧雨に濡れながら、最寄り駅を目指してのろのろと歩く。いつもの生臭い電車に乗り込み、職場である病院へと向かう。

 私の働く「紫苑記念病院」は、ミサキの死をきっかけに就職を決めた総合病院だった。私はここの外来でナースエイドとして働いていた。いわゆる看護助手というやつだ。


「おはようございます」


 制服に着替えた私は、処置室にいた早出のナース達に声をかけた。案の定、返事は返ってこなかった。最近はいつもこうだ。聞こえなかったのかもしれないし、忙しくて無視されたのかもしれない。


「あっ、古見さんおはようございます! 今日もがんばりましょーね!」


 唯一挨拶をしてくれるのは今年の四月から入った新人ナースの新井さんだけだった。ミスが多い割にいつも妙にテンションが高く、独特な言葉遣いやイントネーションで話す。言ってみればちょっとした変人だ。後輩でも大卒で私より年上だからか、どうも下に見られているような気がしてならない。


「……おはようございます」


 彼女の奇妙なテンションに若干押されながらも、私は何とか笑顔を作って返した。


 ナースエイドの仕事は、主にベッドメイキング、清掃、器具の準備と片付け、カルテ管理や備品の補充、内線対応や患者への検査説明など、とにかく多い。医者とナース、医療事務との間に挟まれて気疲れしたり、妙な患者にクレームをぶつけられたり、よくわからない八つ当たりの対象にされたりなど、簡単そうに思えてなかなか一筋縄ではいかない仕事だ。おまけにこの病院は極度の人手不足で休みも少なく、その一方で診療科と患者は増え続けている。皆必要以上にピリピリしながら働いていた。


 こんな居るだけで気が滅入りそうな環境でズボラな私が働けているのは、間違いなくミサキのおかげだった。かつてここにミサキが通っていて、今もミサキと同じように不安や苦しみを抱えた人々がやって来ている。そう考えるだけで、私も頑張らなくてはいけないと思えた。

 私の生きる意味はこの病院の中にあった。他には何もない。そうでなくてはならなかった。

 しかし、そんな私の意思を無視して、この日常は少しずつ崩れはじめていたのだった。


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