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Lost Inside―取り戻せない日々―  作者: 古見理英
19/23

カフェイン

 のぼせかけながら浴室を出て、ぬるくなったコーヒーに冷たい牛乳を入れ、一気に飲み干した。

 とても部屋の中にいる気になれず、気が付くと彗星蘭に足を運んでいた。

 本来ならハローワークへ足を運び、何でもいいから仕事を見つけて収入を得るのが普通なのだろうが、考えもまとまらないうちから下手に動くのが恐ろしかった。これから先の人生について考えるだけで、強烈な眩暈に襲われた。


 開店直後のためか、客は私一人だけだった。マスターは朝ドラを観ているし、木戸くんにいたってはカウンターで呑気に朝ごはんを食べている。


「お、はあい(・・・)ね」


 口いっぱいにサンドイッチを詰め込んだ木戸くんはそう言うと食器を片付け始めた。


「仕事辞めたから」


 聞かれてもいないことに私は答えた。彼はただ一言だけ「ふうん」と返しただけだった。予想でもしていたのか、単純に興味がないのか、特に驚いた様子もない。


 初めて彗星蘭に来たのは、ミサキが死ぬ一年ほど前の事だ。中学時代の友達がバイトを始めたという喫茶店に、半ば強制的に連れて行かれたのだった。

 木戸要と名乗るだらしなさそうな茶髪の青年は、ハツラツとしたミサキとは不釣り合いのように思えた。何故この二人が「友達」なのか理解に苦しむ私に向かって、ミサキはただ一言「昔は似た者同士だったんだ」と言った。昔とはおそらく中学時代の事なのだろうが、私は両親の提案でミサキとは違う中学に通っていたので、当時のミサキの事は何一つ知らない。


「昔のミサキについて教えて。なんでもいい」


 私はカウンターに座ると、何の脈絡もなく突然切り出した。


「ミサキ? ああ、そういえば最近来ないね」


 木戸くんの言葉に私はどきりとした。そうだ。彼はまだミサキが死んだことを知らないのだ。


「古見さんが来る度に聞こうと思ってたんだけど、何故か毎回聞きそびれちゃうんだよね。元気にしてる?」

「……死んじゃったんだよ。高三の冬に」


 呑気に尋ねる木戸くんに私は冷たく言い放った。ここで言わなければ、一生言えないような気がしたのだ。


「死んだ……?」


 空気が凍り付いた。彼は想像通りの反応をした。


「――えっと、死因は?」

「自殺」

「どうして」


 どうして。

 その一言が私に重くのしかかる。どうして。どうしてかって、それは――


「いや、言わなくていいや。そんなに意外でもない。なんとなくわかるし。とうとうやっちゃったのか」


 何かを察したのか、木戸くんはそれ以上追及しなかった。私はそれを良いことに、私の知らないミサキについて質問した。


「ミサキ、中学の時いじめられてたって本当?」

「噂でも回ってきた? 知ってどうするの?」


 木戸くんは一瞬だけ怪訝な顔をした。見た目こそおしゃべりそうに見えるが、他人の過去を簡単に喋るほどではないようだった。たとえ、それがもうこの世にいない人間だったとしても。


「別に、話のネタにしようだなんて思ってない。私は隣にいながらミサキを助けられなかった。それどころか、あの子の事を何も知らずに好き勝手言って傷つけた。私のせいで死んだのかもしれない。――あの子は、私が謝る前に死んだ」


 熱くなった目頭を咄嗟に押さえる。泣いている自分が気色悪く、受け入れられない。


「今まで深く知ることをずっと避けてきたけど、私は知らなきゃいけない。でないとちゃんと自覚できない。謝るなら、知ったうえで謝らなきゃいけない」


 木戸くんは私の言葉に無言で頷くと、静かに語りだした。


「いじめっていうか……まあ、いじめもあったけど、それ以前の問題。学校そのものがクソだった。ガラの悪いヤンキーがのさばってるし、校則はガチガチに生徒を束縛するし、校舎は所々破壊されてボロボロ。俺に至っては先生とちょっとトラブったこともあって、殆ど登校してなかった。でも、ミサキは毎日登校してるみたいだった」


 あのミサキが毎日登校? 高校時代は気まぐれに休んでばかりだったのに。

 

「いつだったかな。俺が久しぶりに登校した日、掃除の時間にミサキに言われたんだよ。『好きな時に休めるなんて羨ましい』って。だから『来たくないなら休めばいいだろ』って返した。確かあれが初めて口をきいた日だったっけ。真面目なミサキのことだから、俺はずる賢いクズに見えたんだろうね」

「そんなに真面目だったの? あの子」

「うん。生徒会長やってたくらいだし。それが原因で変な奴らに目付けられたんだと思う。真面目な人が上に立ったら都合悪いし、自分達より下に見てた真面目ちゃんの言うことなんて聞きたくなかったんだろうね」


「ミサキが生徒会長を?」

「あー、それも聞いてなかったんだ」

「中学時代の事は殆ど聞いたことがなかったと思う。本人が何も言わなかったし、私も訊いた覚えない」

「黒歴史だからね。本人にとっては。消したい過去だったのかも」

「なにそれ。それだけ酷いいじめだったってこと?」

「俺は殆ど幽霊状態だったし、ミサキもいじめの内容については話してこなかったから、そこまで詳しいことはわからないけど、噂くらいなら……先輩のグループに呼び出されたとか、靴箱や机に画鋲入れられたとか、濡れた雑巾顔に投げつけられたとか」


 想像がつかなかった。あのミサキが、あの明るくて、皆に好かれていたミサキが真逆の立場に置かれていたというのだ。


「それでもミサキは生徒会長を辞めなかったし、不登校にもならなかった。完全に孤立してたし、面白いことなんて一つもなかっただろうに。こんなクソみたいな学校の為によくやるなと思って見てた矢先、あの一言をぶつけられた」


 『好きな時に休めるなんて羨ましい』


 中学生の女の子が放ったその一言に、どれだけの思いが込められていたのだろうか。

 問題のある環境で生活しなければならない時、取るべき行動は二つある。一つは自分自身の行動を変えること。そしてもう一つは、置かれた環境そのものを変えること。おそらく木戸くんは前者で、ミサキは後者を選んだのだろう。


「ミサキにとって、俺はクラスの中で一番都合の良い人間だったと思う。事情をよく知らないし、休んでばっかだから周りにも溶け込めてない。でも話しかけてくるのは決まって掃除の時間だけだった。真面目に掃除やってるやつなんていないから、誰にも見られないと思ったのかも。見られれば俺もいじめられるわけだし。……別にそんなことはどうでも良かったんだけど」


 お互い見た目も思想も違ってはいたものの、のけ者という意味では似た者同士で、「こんな環境はおかしい」という価値観も一致していたのだろうか。


 木戸くんは話を続けた。


「何度かミサキに訊いたことあったよ。こんなクソみてぇな学校に尽くして何になるんだって。そんなに嫌なら逃げなきゃ駄目だって。そしたら『自分から手を出した事だから、他に選択肢はない』ってさ。『自分が辞めたらまた違う誰かがいじめられるか、ボス猿の息のかかった奴がいい加減な仕事をするだけ』って」

「そんな……先生は何もしてくれなかったの?」

「その辺、よくわからない。でも先生の力でどうにかなるくらいなら、そもそもあそこまで学校が荒れることってないと思うね。たぶんだけど、ミサキは先生達からは期待されてるっていう面倒な立場にいたんじゃないかな。実際ミサキをべた褒めしてる先生もいたし、内申点は学校一だったろうね」

「辞めるに辞められない状況が作られてたってこと?」


 私がそう言った時、マスターがコーヒーのおかわりとアーモンドケーキを運んできてくれたので、お礼を言ってカップに口を付けた。


「古見さんってコーヒー好きなの? いつもそれしか飲んでないけど」


 木戸くんは眉間にしわを寄せて言った。


「好きっていうか、何だろう? 元々は眠気覚ましに飲んでたんだけど、気付いたらハマってて。少しでも眠くなると飲まずにはいられなくて。飲んでると落ち着くから」


 眠くなったところでどうせ殆ど眠れやしないのだが、いつの日からか眠気というもの自体に恐ろしさを感じ始め、衝動的にカフェインを摂取してしまうようになった。仕事を辞めれば少しはマシになるかと思ったが、少しも変わらないどころか、むしろ増えたような気もしていた。


「それ、まずいやつじゃないの? 他の飲み物もあるけど?」

「うん……まあ、別にいいよ。もう口つけちゃったし」


 私は木戸くんの気遣いを無視して再びコーヒーを口に含んだ。しかし、直後に身体に違和感を感じた。

 どうも手足が痺れるのだ。終いには吐き気と動悸が同時に襲ってきて、私は思わず椅子からずり落ち、その場にうずくまった。身体がぶるぶると震え、目の前が霞みはじめた。得体の知れない恐怖に、頭が支配されていく。


「駄目かも」


 何とか絞り出せたのはその一言だけだった。




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