悪魔の影響力
「ねえ、イアンさん。お父様はお元気?」
悪い事をしたかな、と思いながら、ナンナは話題を変えた。
「ええ、今のところは」
イアンは複雑そうな顔で頷いた。
「でも、とても疲れています。それに近頃は、悪魔の撃退に効果があるとかいう怪しげな新興宗教も流行っているようで、そちらの対応にも追われていて……」
イアンが言葉を途中で切った。向こうの通りから、何かが割れるような音が聞こえたのだ。
「どうしたのかしら?」
「さあ……」
ナンナとイアンは顔を見合わせた。気になった二人は、少し様子を見に行く事にする。
騒ぎは、一軒の民家で起こっているようだった。壁には落書きがされ、塀に猫の死体がぶら下がっている家だ。その窓の一部が、破壊されている。どうやら先程の音は、窓が割れた時のものだったようだ。
「一体何があったんでしょう……」
イアンが驚きつつも、困惑したような声を出した。
民家のただならぬ様子に、二人が目を白黒させていると、通りがかりの人が事情を説明してくれた。
「この家から『悪役病』が出たそうですよ」
「それで、その人が自分の家を滅茶苦茶にしてしまったんですか」
ナンナは納得したが、通行人は「そうではなくて……」と首を振った。
「どこの誰か知りませんけどね、気味悪がった近隣の人が、嫌がらせをするようになったんです。その落書きも猫の死体も、皆そうですよ」
「まあ、何て事!」
ナンナは顔をしかめた。
「きっとその人も、病気にかかってしまったんですね」
「いや、それが……」
通行人が困惑したような顔になった。
「一昨日の夜でしたかね、この家の塀を壊そうとした男がいたらしいです。そこをたまたま巡回中だった警邏隊の方が見つけて、逮捕したのですが、後で悪魔に憑かれているかどうかの検査を受けさせても、その男、陰性だったそうですよ」
「それでは、『悪役病』ではないのに、そんな事をしたという事ですか?」
「そうなりますね。いや、人間とは恐ろしい生き物ですよ」
では、と言って通行人は去っていった。
「ひどい事をする人がいるのね。『悪役病』の人が出た家に嫌がらせしたって、それで悪魔が退治できる訳じゃないのに」
ナンナはどんよりとした表情で言った。『悪役病』にかかって悪事を働いたのなら仕方のない事だと諦めもつくが、何ともない人間にまで、あの悪魔は影響を及ぼしてしまうとでも言うのだろうか。
「大丈夫ですよ。『悪役病』の流行が収まったら、皆元通りになります」
イアンが慰めるようにナンナの肩に手を置いた。