あなたなんかとは、もう……
それは、やけに執拗な口付けだった。イアンはナンナの後頭部に手を回して逃がそうとせず、突然の事に驚いたナンナも、抵抗するなどという発想は頭からすっぽり抜けていた。
キスを始めてからもう何日も経ったのではないかと思ってしまうくらいの時間、口を吸った後、イアンはようやくナンナの元から離れた。そして、濡れた唇をナンナの耳元に近づけて囁く。
「満足ですか?」
「な、にが……?」
目の淵を紅潮させながらナンナは尋ねた。だが、甘い言葉を期待していたナンナのときめきは、たちまちの内に裏切られる。
「死ぬ準備は出来ましたか、と聞いているんですよ」
情熱の欠片もない冷たい声だった。ナンナは戦慄する。
「一生分愛してあげましたよ。これで、心置きなく死ねますね?」
「イアンさん……? 何を言ってるの……?」
ナンナの背中を冷たい汗が伝う。イアンのこの豹変ぶりは、モーティマー氏や妹のノーラの時と同じものだ。
「あなた、邪魔なんですよ」
イアンの表情は、冷酷そのものだった。
「何も出来ないのに、私の周りをうろちょろして。役立たずは、どこかへ行ってください」
イアンは、間違いなく『悪役病』に罹患していた。こんな心無い言葉を掛けるのが、彼の本性であるはずがない。
「私はもう、あなたを守る気などありませんから」
イアンは、ナンナの方に手を伸ばした。乱暴な事をされるとは微塵も思わなかったが、それでも、反射的に体が強張る。イアンは、その様子を冷めた目で見ていた。
「……こんなもの、要りませんね」
イアンは、ナンナがつけていたネックレスを無理にもぎ取った。それを力任せにどこかに投げ捨ててしまう。青い空を背景に、日の光を受けたネックレスは一瞬煌めきを放ったきり、見えなくなってしまった。
「あなたなんかとは、もう一緒に居たくありません。婚約も破棄させていただきましょう」
イアンの声が脳を揺さぶった。たとえ悪魔に唆された末の事だとしても、そんな言葉は聞きたくなかった。底の見えない真っ暗な穴に突き落とされたような気分だ。
呆然とするナンナの前から、いつの間にかイアンはいなくなっている。彼を探さなければ、とナンナは我に返ったが、その前に声を掛けられた。




