心残り
ナンナと、モーティマー氏を背負ったイアンは炎の中を進んだ。
火災によるものなのか、はたまたデモ隊が他に何かしたのか、建物の壁などがかなり派手に崩壊して、通路はところどころ塞がれていた。
それは決して楽に進める道ではなかったが、二人はお互いに励まし合いながら懸命に足を勧めた。その甲斐あってか、前方に炎の揺らめきとは違った光が見えてくる。出口だ。
最初にそこに踏み込んだ時に肺の中に入ってきた外気は、これまでの人生で吸った、どんな空気よりも美味しく感じられた。わあっと声が上がり、駅舎から転がり出たナンナたちに、警邏隊員が駆け寄ってくる。
デモ隊はすでにどこかに追いやられていて、その姿は見えなかった。重傷を負ったとみられるモーティマー氏が運ばれて行き、隊員たちは、ナンナとイアンの事もテントを張って作った即席の救護所へと、手当てのために輸送しようとした。
だが二人はそれを断って、自力で歩いてそこまで行く事にした。警邏隊員たちは忙しげに立ち働いており、必要以上に手を煩わせたくなかったのだ。
「私たち、助かったんですね」
「ええ、そうね」
テントへと向かいながら、改めて身の安全を噛み締めるイアンに、ナンナも安堵しながら頷く。
「私……ナンナさんが瓦礫の下敷きになったと気が付いた時には、この世の終わりかと思うくらい、絶望しました」
当時の事を思い出してか、イアンの顔が一瞬青ざめた。
「生きていてくれて、よかったです」
「……助けてくれて、ありがとう」
イアンの心からの言葉に、ナンナの胸は熱くなった。
「きっと、これのお蔭ね」
ナンナは首から下げていたネックレスに触れた。
「ここには、イアンさんの祈りが込められているんだもの。ネックレスに込められた祈りと、イアンさんがあの場で私に生きていてほしいって思った祈り。こんなに祈られてるのに、死ぬはずないわ」
「そうですね」
イアンも笑いながら同意した。
「……イアンさん、私、あの時、実は自分はもう死んでるんじゃないかって思ったの」
ナンナは、瓦礫に埋まっていた時の事を回想する。
「その時ね……もうイアンさんといられないんだって思って、それが心残りだったわ。せめて、イアンさんと結婚してから死にたかったって」
ナンナは笑ってしまった。
「こんなに思い残した事だらけじゃ、きっと死んでも死にきれなかったわね。やっぱり私が生きてるのは、当然の成り行きだったのよ」
「ナンナさん……」
イアンの唇がうっすらと開いた。そこから、弱り切ったような笑いが漏れる。
「困ったな……」
イアンはかぶりを振った。
「だってそれじゃ……私は、一生ナンナさんと結婚できないじゃないですか。思い残した事がなくなった途端、死なれたら大変ですよ」
「あら、大丈夫よ」
ナンナは軽快に笑った。
「私はまだまだイアンさんを愛したいし、愛されたいもの。だからそう簡単には死なないわ」
「それなら、安心ですね」
イアンが微笑む。
そして、続けた。
「……なんて言うと思いましたか?」
「えっ?」
ナンナが首を傾げるのと、イアンがナンナの腕を引っ張って、強引に唇にキスするのが同時だった。




