冥府の淵
周囲に熱を持った空気が満ちている。炎が弾ける音が聞こえるのに、辺りは真っ暗だ。体が動かず、あちこちが痛い。
自分はきっと死んだんだろう、とナンナは思った。イアンのためなら地獄にだって行ってあげるというあの言葉が、まさか本当のものになってしまったとは。心残りは、イアンと結婚できなかった事くらいだろうか。それから、最期に一目くらい、家族にも会いたかった。
「ナンナさんっ!」
イアンの声が聞こえる。まだナンナが死んだと気が付いていないのだろう。ナンナは、その事にひどく憐れみを覚えた。
「ナンナさん、どこですか! いたら返事をしてください!」
死人が口なんて利ける訳がないのに、とナンナは思った。不意に、体にかかっていた重量がなくなり、視界が明るくなる。ナンナは、イアンに抱き起された。
「イ、アン……さん……」
口から、自然に声が漏れ出た。喋れるのか、とナンナは気が付いた。
「ナンナさんっ……!」
イアンが、ナンナを固く抱きしめる。体が慣れ親しんだその体温に、ナンナは意識が覚醒し、混乱しかけた頭が落ち着きを取り戻していくのを感じた。自分はまだ、生きているのだ。
「ナ、ナンナ、さん……。怪我、とか……」
イアンは必死にナンナの安否確認をしようとしたが、涙で声が詰まって、まともに言葉を紡げていなかった。
「大丈夫よ」
ナンナはイアンの頭を撫でながら言った。
ナンナのドレスはあちこちが破れ、体中煤だらけで、そこかしこを火傷していた。それでも、命に関わるほどの大きな怪我は負っていない。どうやら、瓦礫の隙間に運よく体が入り込んでいたようだ。
一方のイアンも、大した傷はないように見受けられる。ただし、彼の手のひらは、水膨れで真っ赤になっていた。きっとナンナを探すために、まだ熱を持つ瓦礫の山を掻き分けていたのだろう。
ナンナたちはどうにか助かったが、周囲は炎に包まれたままだ。早く脱出しないと、再びの命の危機を迎える事になる。ナンナは、「行きましょう、イアンさん」と言った。




