炎の中で
駅舎の中に入ると、様々な物が焼け焦げる嫌な匂いが鼻を突いた。ナンナたちがここを脱出した時よりも、遥かに火の勢いは強くなっている。
地面に落ちた障害物を避けながら、ナンナはイアンからもらったネックレスを握りしめて、ひたすら彼の姿を探した。
ナンナはほどなくして、奇跡的にまだほとんど火に呑まれていないコンコースにイアンがいるのを見つけた。彼は父親と一緒だった。イアンは、周囲に油をまいているモーティマー氏を止めようとしていたのだ。
「父上、やめてください!」
遠くの通路から漏れてくる炎の赤に照らされ、イアンは悲痛な声を出した。
「何故こんな事をするのですか!」
「我々の勝利を確固たるものにするためだ!」
モーティマー氏は、自分の放った油から高々と立ち昇ってくる火柱を見ながら、狂人のような笑い声を上げた。
「この炎を目にした瞬間、警邏隊の奴らは尻尾を巻いて逃げ出していきおった。この炎は我々の味方だ! 我々に勝利をもたらす女神の使いなのだ!」
もはや、言っている事が滅茶苦茶だ。モーティマー氏は、体の芯まで悪魔の毒に犯されているらしい。今の彼には、どんな説得の言葉も響かないだろう。
「イアンさん、戻るのよ!」
辺りには、熱い空気が充満している。息が出来なくなりそうな苦しさを覚えたナンナは、マスクを外して叫んだ。
「これ以上は危険よ! こんな所にいたら、焼け死んでしまうわ!」
「でも、父を放っておけません!」
イアンも叫び返した。その様子を見て、モーティマー氏は哄笑を飛ばす。
「いいぞ! もっと争え!」
モーティマー氏は、この死と隣り合わせの場で繰り広げられる小競り合いに、狂喜していた。
「争って、争って、狂乱の神を喜ばせるのだ! 神への供物を捧げよ! それが、聖職者たる私の使命だ!」
聖典を朗読するかのように高らかな声を出すモーティマー氏は、すでに誰が見ても手遅れの状態だった。悪魔に憑かれているというよりも、彼が悪魔になり果てているようであった。
「父上……」
イアンはうなだれた。力なく首を振りながら、唇を噛んで泣きたいのを堪えているようだった。
燃え上がる炎が掻き回す空気の中に、重苦しい気配が立ち込める。炎が爆ぜる音と、モーティマー氏の高笑いが混じり合う中、ナンナはイアンの広い肩に腕を回した。
「行きましょう、イアンさん」
ナンナはもう一度促した。
「お父様を助けられなかったのは、イアンさんのせいじゃないわ。全部悪魔が悪いの。悪魔が、あなたのお父様を殺したのよ」
「悪魔が……」
イアンが呟いた。
「それなら……それなら私は……」
突然、頭上から轟音が鳴り響いた。見上げると、天井にひびが入っている。ナンナは、とっさにその場から離れた。崩落した天井が、瓦礫となって上から降り注いできたのは、それと同時だった。




