悪魔を宿す者たち
「イアンさん!」
居ても立っても居られなくなったナンナは、突撃してゆく人々の波に飛び込んでいった。あちこちで肩をぶつけ、足を踏まれ、幾度となく転んだが、ナンナは何とかイアンの姿を見つける事が出来た。
イアンは、暴徒と化した人々に巻き込まれないように、駅舎の中に身を潜めていた。パトリックも一緒だ。イアンはナンナの姿を認めると、顔を歪めた。
「ナンナさん……本当にすみません。あなたをこんな目に遭わせてしまって……」
乱れた髪に、ボロボロになったドレスと、転んだ拍子に擦りむいてしまった手。デモ隊の荒波に揉まれたナンナは、確かにひどい有様だった。だが、ナンナは「気にしないで」と首を振った。
「私、イアンさんが心配だったのよ。だから、あなたが無事だって分かった今、ほっとしているの。屋敷でイアンさんの安否を気遣いながら待つよりは、こっちの方がずっとましだわ」
「ですが……」
「いいのよ。私、イアンさんの助けになるなら、地獄にだって行ってあげるわ」
ナンナはそう言って、大胆に笑ってみせた。事実、ナンナはイアンのためなら、そのくらいの事はしてみせる覚悟だった。
ナンナの言葉に、イアンは胸を衝かれたようだ。目を潤ませて顔を俯ける。震える彼の背中をさすった後、ナンナはパトリックに微笑みかけた。
「怪我はない?」
「はい。お兄様が守ってくれましたから。ナンナさんも、僕の事を助けようとしてくれて、ありがとうございます」
パトリックは、イアンにそっくりな柔和な笑顔を見せた。頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細める。
「それにしても、怖いですね」
まだ目元に少し赤い色を残したイアンが、パトリックを引き寄せながら駅前の混乱を見つめた。
デモ隊と警邏隊は双方激しくぶつかり合っていた。警邏隊員たちは必死に、「許可のないデモンストレーションは法律で禁止されています! 早々に立ち退いてください!」と声を張り上げているが、デモ隊は聞く耳を持っていない。「都市封鎖反対!」、「新たなる神を崇めよ!」などと叫びながら、手にした木の板や、どこからか調達してきた武器を手に、警邏隊員たちに挑みかかっている。
法律も意に介さず、勝手な主張を振りかざすデモ隊員たちの顔は、イアンだけでなく、ナンナにとっても、とても恐ろしいものに見えた。ナンナだって、こうして許可もないのに外出をしてしまっているが、それでも、彼らの振る舞いは自分などより、ずっと傍若無人に感じられたのだ。
デモの参加者たちは、それこそ全員が『悪役病』に感染していると言われても、納得できるような蛮行を働いているように見えた。しかし、あんなに大勢の人が宗教施設や隔離されていた場所から脱走してきたとは思えない。きっと、あのデモ隊員の内、悪魔に唆されているのは、モーティマー氏を含む、ほんの一部の人間だけなのだろう。
「人間は『悪役病』なんかにかからなくても、元から悪の側面を持ち合わせているのね。最初から悪魔だった……という事なのかしら」
それが、今回の国難を通して分かった事実だとナンナは思った。この駅前で起こっている事だけではない。バターを寄越せと騒いでいたあの老人も、『悪役病』の罹患患者を出した家を攻撃した者たちも、皆そうだ。彼らはきっと、初めから人間の皮を被った悪魔だったのだろう。




