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雄弁は金

(……何か食べよう)

 

 ナンナは、気分転換でもしようと部屋の外に出た。今朝、料理長が新作のケーキを焼くつもりだと言っていた事を思い出したのだ。もしかしたら、味見をさせてもらえるかもしれないと思って、ナンナは食堂へと向かった。


 廊下を歩いていると、騒音が聞こえてくる。離れにいるノーラのものだった。どうやら今日も我儘を言って、世話人たちを困らせているらしい。


 ふと、外に目を遣れば、離れの窓にノーラのシルエットが見えた。その身振りから察するに、早く外に出せと言っているようだ。そんな願いは叶いもしないのだから、いい加減で諦めたらいいのに、悪魔が憑りついた彼女は正常な判断が出来ないでいるのだ。


 近くの部屋から、疲労した様子のギルバートが出てきた。彼は余程ぐったりとしていたのか、ナンナとすれ違っても、気が付かずに素通りしてしまった。ナンナが思わず呼び止めると、彼は我に返って背筋を正した。


「どうかしら、ノーラの具合は」

「あまり芳しくないですな。お屋敷に帰っていらっしゃった時と、大して変わりありません」

 ギルバートは掠れた声で言った。


「やはりこの離れに閉じ込めておくだけでは、いけないのでしょう。世話人たちが、毎日のように祈ったり聖典を読んだりしていますが、目立った効果は上がっておりません」

「大変ね……」

 ナンナは重い息を吐いた。


「ねぇ、私に何か、手伝える事はない?」

 ギルバートがあんまりにも疲れ切っていたものだから、ナンナは何か彼の力になりたくて、そんな台詞を口にした。だがギルバートは「お心遣い、ありがとうございます」と前置きした上で、「残念ながら何もありません」と言った。


「恐らく、これ以上は我々では手の施しようがありません。噂によれば悪魔は、一人の人間に長く憑りついているとその内に飽きて、どこかに行ってしまう事もあるそうです。我々にできるのは、その日が来るまで根気よく待ち続ける事だけでしょうね」

 では、失礼します、と言って、ギルバートはおぼつかない足取りで屋敷の奥へと行ってしまった。


 ギルバートと別れ、ナンナは食堂に向かう。意外な事に、そこには父のヨハンがいた。最近は書斎に籠りきりだったので、食事時以外でこんな所にいるのは珍しい。


「ノーラの声がうるさくてな。集中できんのだ」

 ナンナが「どうなさったんですか」と尋ねると、ヨハンはそう返事した。書斎は離れにほど近い位置にあるのだ。


 ヨハンは、難しそうな文言が並んだ分厚い書類を前に呻吟していた。その傍らには手紙の束が置いてある。きっと、今の地位に在籍し続けられるようにするための、関係各所への根回しを行っているのだろう。


 自分に出来る事など何もないし、ここにいては父の邪魔になるだろうと思って、ナンナは早々に退散しようとした。娘が出て行こうとしているのに気が付いたヨハンは、自分の事は気にしなくても良いと言ってくれたが、父は周りに人がいると気が散ってしまう性質だと知っていたナンナは、用を思い出したと嘘をついて、その場を後にする。


 自室へ戻る途中、ナンナは暗い気持ちになった。イアンの事も、ノーラの事も、父の事も、ナンナが手を出さない方が、ずっと上手くいく。それはナンナにも分かっていた。


 だが、何もしないでいる事は、何かする事よりも、ずっと気が滅入るのだ。何かしている内は、それが間違いであっても正解であっても、前に進んでいるような気持ちになれるが、立ち止まっている間は、ただ停滞しているだけのような錯覚に陥るからだろう。そして、自分は無力な存在であると思ってしまう。ちょうど今のナンナが、そんな状態だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 手詰まりかな… ここからやれることなんてないよなぁ 手伝いを申し出ても断られちゃったし…
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