16 水の下と水の上
ゆらめく光が、白く青く海の底をてらす。
マルコは、必死に手で水をかいた。
上だと思う方に首をあげると、水面に輝く太陽の光りが映る。
口からもれた泡が、いくつも揺らいでは、上がっていく。
その先へと、泳いだ。
苦しくなって、視界が霞む頃、なんとか指先が風に触れた。
「ぷはあああぁぁっっ! うぇっ、おぇっ」
海原の上に首だけ出して、マルコは水と涙と鼻水を一緒くたに吐き出す。
一呼吸おいて、アルとエレノアも、ひどい顔を水面から出した。
朦朧としながらマルコは見回す。
「あの島へ!」
叫ぶと彼は、エレノアとアルのもとへと泳いだ。
◇
海原に浮かぶ小島でひと息つくと、3人は無言で島からの景色をながめた。
島は大陸から離れておらず、目の前には森をのせた崖が見える。
左には切り立った崖が続き、その奥に白い砂浜がのぞく。
一方、森の右には川の入江、さらに先には蒼い家々が並んでいた。
「ホスペスの離れ小島だ」
アルがつぶやいた。
そしてふり返って、そそり立つ黒い岩に近づくと、尖った小石を拾い上げる。
マルコとエレノアが鋭い目で見つめた。
しかしアルは、顔をゆるめると向き直る。
「これはマリスじゃないよ。
儀式で持ち帰る、尖った黒曜石……」
マルコは、島の真ん中にあるごつごつした巨石と、その麓に散らばる小石をぼんやりとながめた。
そしてマリスが震えた事を思い出すと、あわてて腰の袋に手を伸ばし、中から石を取り出した。
神の悪意、マリスと呼ばれるその黒石は、ニワトリの卵そっくりで、異邦人の指の間で紫の光を放つ。
エレノアは息を飲んで、アルが前に立ち庇った。彼の頬には、尖った刺青が浮かぶ。
だがしかし、マリスは赤い光を放つことはなく、マルコの腕を引っ張った。
「え? あ? ちょっと!」
引っ張られるままマルコは、島の小さい砂浜を歩き、立ち止まる。
マリスを持つ腕が、海の底に向かって、ぴんと伸びる。
そして、すうと息を吸う音がした。
波が寄せる水面から、やがて、しずくと共に黒い砂の粒が飛び出してくる。
光りの粒は、マルコのつまむマリスへと吸い込まれていった。
驚愕して、エレノアとアルはそれをながめる。
だが、マルコはひとしきりマリスを見つめたあと、二人に笑顔を向けた。
「終わったよ! 回収。小さかったけど、やっぱりマリスがここにあったみたい」
慣れたように言う異邦人を見て、アルはゴクリと喉を鳴らし、エレノアはアルの背中に身を縮めた。
◇
「……こういうことかなぁ」
夏の太陽が島を照りつけ、わずかな木陰で休む仲間に、アルは自説を披露した。
「ホスペスの民は、成年の儀式で、望む者にあの転移門を使わせていた。この島の黒曜石を持ち帰るのが、勇気の証だったんだ。
だけどいつからか、ここの海底にマリスが流れ着いた。
だからあの、頭が、魚になった青年は……戻る時に、おかしな影響を受けて、ああなったんじゃないだろうか」
口をポカンと開けて、マルコはそれを聞いた。
日差しを避けるように手をかざし、エレノアがささやく。
「マリスは、悪意に満ちた悪戯も楽しむ。……ありそうなことね」
しかしマルコは、まだなにか、スッキリしない感じがした。
闘いの時、あの魔物は一切の感情なく本能で動く生き物そのものだった。
もしも、あれが魚の頭そのものだったとしたら、名も知らぬ青年の頭はいったいどこへ消えてしまったのか––––。
◇
ゆらめく光が、白く青く海の底をてらす。
マルコたちがくぐった、古代エルフの『転移門』が水の底にたたずんでいた。
かたわらで、紫の灯りがぼうと浮かんでは消えた。
石柱の足もとには、碧い水草が揺れる。
そしてその草の間を、小さな生き物が動き回り、それは顔をのぞかせた。
小魚の体に、人の頭がついていた。
それ、いや彼は、絶望に囚われたまま、紫に光る黒い石を見つめ生きながらえてきた。
あの石こそが、自分をこのような異形にしたのだとわかる。常に息苦しいのに、水を飲んで死ぬこともない。
ここからの変化を、終わりが来ることを、切に待ち望んでいた。
その時、紫の光りがまたたいた。
小さな黒石は、歪むように崩れると、砂となって水面に上がっていく。
人の顔を持つその生き物は、口から小さな泡を吐く。
苦しくなって、黒い粒の後を追って浮かんでいく。
だがしかし、彼の心は、安らぎと歓喜に満ちた。
ついに終わりが来たのだ。
もう、あの巨大な魚の口から逃げる必要もない。水龍のような、長い生き物から隠れ、恐怖で胸をつぶすこともない。もう、村への恋しさで孤独の淵にしずまなくていい。
もう––––。
◇
「……マルコ? どうした?」
その声に、マルコは考えごとからはっと我に返った。
「大丈夫?」とアルはのぞき込んだあと、口もとをゆるめ陽気に提案する。
「エラと話してね。海底の門から帰るのは、危ないからやめる」
アルのうしろで、げんなりした表情のエレノアが手を横にふっている。
マルコは驚いた。
「え? でもどうやって帰るの?」
エレノアは輝く笑顔を見せる。
「海の霊に、私たちをはじいてもらう!
マルコ、波に乗って帰るのは、きっと楽しいよ!」
マルコにはよくわからない。
「波にのる?」と考えていると、アルが顎に手をあて悩みはじめた。
「問題は、どっちへ行くかなんだよね。あっちがホスペスだけど、あんなに遠くちゃ––––」
マルコが口をはさむ。
「左だよ。アル。あの崖の向こうはピスカントルで間違いないよ。ずっと近いし––––」
「波とも合ってる!」
満面の笑顔で、エレノアとアルが同時に答えた。
◇
「ぅひょおおおおぉぉぉっっ!」
叫びながらマルコの身体が上から下に大きくゆれる。
視界の景色も大きくゆれて、見覚えのある砂浜と家並みが近づいてきた。歩く漁師の姿も見える。
エレノアに『水弾き』の魔法をかけてもらったあと、仲間は動く海の上をよたよたと歩いた。
いまは波頭に座るだけで、マルコたちはピスカントルへと波に運んでもらっているのだ。
少し怖いが、風はこの上なく気持ちいい。
マルコが愉快な気持ちでいると、調子の外れた、エレノアの歌声が聞こえてきた。
「ころんコロンころん! タマゴがころがるそのときに〜」
左に顔を向けると、前の波に座るエレノアの姿が、上下に動く。
「なにそれぇ〜?」と、手前のアルが叫ぶ。
彼は均衡がとれず、波の上で転がっていた。
エレノアがふり返り笑顔を弾けさせる。
「子どもの頃のうた〜。
海がひらいた……あとは〜。
この世をさるとき、西へとむかえ!」
楽しくなって、マルコも口ずさんでみた。
歌どころではないアルは、なんとか波の上で立ち上がる。
その時、一瞬だった。
アルには、砂浜の左、崖の向こうはるか彼方に、白く丸い屋根が見えた。
「古代のエルフ……西の大灯台?」
つぶやいたとたん、波が急降下して、彼はまた盛大に転がった。
エレノアの歌に合わせながら、マルコはなぜか、水の上を跳んだあの双子のエルフを思い出していた。




