7 はずれ森
「あの、シェリー……さん?」
「まだそれ早い!
私の名前は、シャルロット。
ほら! 前向いて歩いてっ!」
スギ林の屋根が、ひんやりさせる森の中。
マルコは腰まで伸びるシダをかき分ける。
シャルロットは弓を機嫌良くふりながら、あとに続いた。
◇
その日の昼。
小熊亭の亭主ポンペオが、狩りを提案した時、シャルロットは飛び上がって喜んだ。
しばらく彼女は、狩りの相手がおらず、森に入れなかったのだ。
ポンペオは、初めてのマルコに、はずれ森のきまりを教えてくれた。
一つ。門を通り、見張りの兵が酔っていても挨拶する。森へ入ることを知らせること。
二つ。日が沈み獣が凶暴になる前に帰る。日の位置をいつも確認すること。
三つ。森へは、獣が少ない、門の近くから入ること。
だが玄関から亭主夫婦が笑顔で手をふり、マルコらを見送ったとたん、シャルロットはきまりを全て破った。
◇
木漏れ日を見上げ、マルコは続ける。
「シャルロット……さん?
門から行った方が良かったんじゃない?」
秘密の近道があると言って、シャルロットは柵が壊れたところまでマルコを案内し、こっそり村を出た。
そして道から離れ、鬱蒼と茂る木立から、森に侵入したのだ。
「いいの! 今日は絶対、獲物をとるよ」
「でも僕は昨日……ここに着いたばかりで、いろいろ慣れてない、というか……」
マルコは肩ごしに訴えるが、シャルロットは辺りを見回し、ずんずん歩く。
「お兄ちゃ……オホン! 兄様が言ってた。狩りの前は気の持ちようが大切だ。酔っぱらいの相手なんてしたら、ツキが落ちるって。
……でもね、一番の理由は近道すれば獲物に早く近づけるから」
食料不足が深刻なんだろうかと思い、マルコはほかの話題を考えた。
歩きながら、ふと思ったことを、そのまま口に出す。
「お兄さんとは、よく狩りをしたの?」
風が吹いてスギの葉が鳴り、背中の足音が止んだ。
マルコも立ち止まる。
遠くで、フクロウが鳴いた。
「なんだよ……そんなの、そんなのあんたに関係ないじゃん!」
少女の涙声を聞き、「しまった」とマルコはうろたえた。
なんとか、引きつった笑顔を見せる。
「だよね!」
今の彼には、これが精一杯。
やがて、背中の足音が再び聞こえたので、マルコはほっとし歩きはじめた。
シャルロットがつぶやく。
「あなたの着ている鎧……お兄ちゃんの鎧。よごすなとは言えないけど……。
ぜったい、《《こわさないでね》》」
ふり返らなかったので、少女はどんな顔で、どんな気持ちでそう言ったのか、マルコにはわからない。
だがこの言葉を、その後長い間、マルコは忘れることができなかった。
◇
低木の陰に、マルコが座る。
肩から、白く細い指が伸びてきて、指さす先にその鳥を見つけた時、愛らしさに彼の胸は高なった。
ホロホロ鳥は人の腰まである大きな鳥で、羽は黒い。白い水玉模様がおしゃれだ。
黒くまん丸の目の周りから、首筋にかけて涼しげな水色。トサカと口ばしは赤かった。
そんな華やかな首が、地面の草むらをつついて、鮮やかな色をふりまく。
マルコは、うっとりとそれをながめた。
すると今度は、肩から矢先が伸びてくる。ふり返ろうとしたマルコの肩をぐっと何かがおさえる。
「このまま……静かに」
弓を引く音をたて、シャルロットが狙いを定める。
マルコは心で「逃げて!」と叫んだ。
ひゅんとうなる音がすると、矢は鳥の横腹に刺さった。
口ばしを開け、羽を広げて騒いでいる。
マルコは気持ちが沈み、下を向いた。
顔のすぐそばで、あわてた声がささやく。
「なにやってんの? これからだよ!」
「え?」
マルコは、シャルロットの顔の近さにどぎまぎするが、視線の先を見て、表情は一変。
「えーー?」
ホロホロ鳥が体に矢を生やし、猛烈な勢いで突進してくる。
ケエエエーーーーッ!
愛らしかった目が、怒りで赤く燃える。
距離が不自然な速さで縮まる。
「はやっ! ほら、早く!
南方剣術! 集中!」
シャルロットに急かされ、マルコはあたふたと剣を抜く。
鳴き声が迫る中、右手に小剣、左手に小盾を構えた。が、遅かった。
ゲエッ!
巨大な口ばしが、勢いのまま小盾に突撃して鈍い音が鳴る。
マルコの身体は軽くうしろに吹っ飛んだ。
衝撃で左腕は感覚を失い、体を起こすと、だらりと地面に垂れる。
「いったあ……シャルロット!
ぼ、僕のうしろに隠れて!」
「言われなくてもやってる!
なんとか、スキをつくって!」
巨大な鳥は、足で地面を蹴り上げている。
目を離さずマルコは、深呼吸をする。
「丸太よりはマシか」と戦うことに決めた。
ふいに、鳥の突撃。
今度は動きが見えたので、マルコは訓練の通りに足をさばき、口ばしをよけ剣をふる!
だが腰が引けて、マルコの小剣は鳥の首をかするだけ。
「キュー!」と鳥が鳴いた。
痛かったようで、首から血を流し、マルコを鋭くにらむ。
大きく横に、羽を広げはじめた。
クエエエエエ! ……クェッ?
鳥がうしろを見ると、尾羽に二本目の矢が生えている。
シャルロットの矢が命中したのだ。
すると鳥は、彼女にふり返って、羽を広げはじめる。
再び「クエエ……」と鳴く鳥の、尾をマルコが突いた。
二人に挟み撃ちにされ、鳥はやがてどさりと地面に倒れた。
まだ息があることに気づくと、シャルロットがマルコを制す。
「あとは、わたしに任せて」
短刀を取り出し、鳥を隠すようにしゃがむと首を切断する。
そして、ひたむきに何かを祈った。
座るシャルロットの背中があまりに真剣だったので、マルコは彼女をそっとした。
しばらくして、シャルロットがつかれ切って立ち上がると、待ちかねたようにマルコは声を弾ませる。
「意外と凶暴でびっくりしたよ!
僕の剣は全然良くなかったけど……でも、なんとかしとめた。もう一羽いっとく?」
それを聞いたシャルロットは、呆然とふり向いた。
「これから……二つ目の命を狩れるの?」