6 出会い
歌う小熊亭の中庭。
丸太が組み上げられ、やぐらのような仕掛けがたたずむ。
縦横ななめに走る綱が、次々と外される。
地面と並行にぶら下がる、特大の一本が、ゆらゆらとゆれる。
マルコは、かたずを飲んで見守っていた。
それは、巨大な丸太の振り子だった。
長い丸太の側面には無数の打ち傷があり、奥になるほど深くえぐれている。
ポンペオがわざとらしい声を上げる。
「やることは簡単だ!
この丸太を思いきりゆらして正面に立つ。
そして向かってくる一撃をかわし、合わせて打ち込む!」
危な過ぎるとおののくマルコは、口をぱくぱく動かし、ソフィアを見る。
だがしかし、彼女は目を閉じぶつぶつ唱えるばかりで、止めてくれそうもない。
亭主の気合の一声。
すでに丸太はゆっくり上がり、両手をだらりとたらすポンペオが、無謀にも歩き出す。
そこから時はゆっくり流れ、マルコは彼の動きをつぶさに観察できた。
丸太が奥に上がり切ると、縄の留め金が、ぎいときしむ音をたてる。と、今度は戻る。
ゆっくり加速し、ごおと風を切る音をたて丸太はふり下ろされた。
ポンペオは丸太が触れる寸前に体を横に、すんでのところで左によけた。
もの凄い勢いで迫る突撃をやり過ごす。
突撃が小盾をこすり、耳障りな音が響く。
彼は背中のバネをねじり、逆手に持つ木刀を、踏み込むと同時に横に一撃!
木と木が、猛烈にこすれる轟音。
全てがほんのわずかな間の出来事だった。
ポンペオはそのまま前にごろんと転がり、地面に大の字になる。
そして、嬉しそうに笑い出した。
「ハハ……。 どーだー? マルコー?
はあぁ。これが、南方剣術だ!」
空を見たまま、声はこのうえなく得意げ。
マルコをけしかける。
「どうだ? お前もやってみるか?
だーい丈夫! 怪我をしても数日で治る」
朝の話と全然違うと思いながら、マルコは下を向く。
軒先の上、屋根の上にいる、何者かの影が動いた。
◇
重い丸太をゆっくり押しながら、マルコは「なぜこんな事に?」と、繰り返し考える。
すると、ポンペオから鋭い一喝。
「集中!」
丸太がゆれて上がり留め金がぎいと鳴る。
突撃してくる丸太の正面に立つマルコは、断面が何かの顔に見えて仕方なかった。
恐ろしい顔が猛烈な速さで自分に迫る。
恐怖で我を失ったマルコは、情けない悲鳴をあげ、横に転がってしまった。
つまり、丸太から逃げた。
つらい気持ちでマルコが顔を上げると、亭主夫婦は違う方に気を取られている。
マルコも二人の視線の先を追った。
「カタキは任せて!」
真昼の逆光の中、獣のような素早い影が、屋根から飛び降りた。
一直線に、振り子の丸太へ駆けてくる。
鮮やかな桃色の髪をうしろでしばり、房が跳ね、まぶしい光を反射する。
手には小ぶりの木刀、柔らかそうな革鎧を着た細身の少女が、丸太の前に対峙した。
空気を切り裂く、夫人ソフィアの悲鳴。
となりで亭主が、険しい顔から不敵な笑みに変わる。
「集中!」
丸太は、二撃目を少女へふり下ろした。
彼女は、素早く一度、舌舐めずりすると、丸太を凝視。
突撃が少女の身体を吹き飛ばすと思われた刹那、踏み込んだ彼女は、ぎりぎりで体を半回転し、丸太の右によける。
しかし、やり過ごすのではなく、そのまま木刀の一撃目を打ち当て体を一回転。
さらに回り、二撃目を打ち込み二回転。
少女は、肌が露出した白い脚を軸に、桃色の光を放ち跳ね回る。
その光景は優美な舞そのもので、マルコはこれは踊りを観ているのだと思った。
だが二回転を回りきるその時、少女の足が地面にぴたりと張りついた。
足から上半身にねじれてためた力が、木刀を持つ肩を逆回転させ、その反動の力を一気に丸太へ!
ポンペオの音に引けをとらない、木と木が撃ち合う衝撃音が中庭に鳴り響いた。
勢いのまま少女は側転。丸太から離れると剣先を上に構え、必要ないかけ声をあげる。
「ハーーー! ……見た?
今の見た、お母さん?」
「ああぁ〜! 私のシェリー!
いったいなんて真似を」
ソフィアが泣きながら、娘に駆け寄る。
父親のポンペオがわざとらしく叱る。
「こらあ、シェリー!
こんな、危険な訓練をしちゃいかん!
そんな曲芸みたいな技、実戦に使えたもんじゃない! 最初の、あの踏み込みはとても良かったな……とにかく!
もうやっちゃ、ダメだぞ」
顔はにやけ、全く怒ってみえない。
それから、亭主夫婦の娘シャルロットは、マルコに向き直ると、背筋を伸ばし堂々と近づいてきた。
桃色の髪がゆれ、白い肌に目力のある端正な顔が見える。
はじめ期待に満ちた微笑みは、近づくにつれだんだんと残念そうな表情に変わる。
最後はマルコに駆け寄って、片手を頭の上にあげ、自分とマルコの背丈を比べた。
「背! 高さ、そんな変わんない!
それに……。もー。
なぁにが『異国のイケメン狩人』よ!
あーまたあの魔法使いにだまされたー!」
母親のソフィアは驚いて口を開く。
ポンペオが豪快に笑いながら歩いてくる。
にぎやかな笑い声が響き、楽しげな空気に満ちた、歌う小熊亭の中庭。
しかしマルコは独り、落ち込んでいた。
だがこの時、彼の数奇な運命の歯車が回りはじめたのだ。