14 村々の守り神
20年ほど前。裏山の洞窟の入り口。
久しぶりに甲冑を着込んだマグナスは、眼下に広がる森の向こう、中の町を見下ろしていた。雨季の晴れ間にながめる光景は、まぶしかった。
そして彼は、それを疎ましく思った。啖呵を切って町を出たのに、「オレはどこで間違えた?」と考えてみる。
これでもう、全ての希望が失われた。
そう思いながら、マグナスは松明に火をつけると、一人、洞窟の暗がりへと足を踏み入れた。
王都で騎士になれた時、彼はそれはそれは嬉しかった。たとえそれが、何回目だかわからない、北方の退魔制圧戦の兵役を意味したとしても。そもそもマグナスが兵役の意味を理解したのは、実際に味わったあとだ。
極寒の地での行軍、不平だらけの兵の管理。戦術も何も通じない化け物との戦い。
来る日も来る日も報われぬ、ただ生き残るためだけの戦いの日々。次は誰が死ぬか、兵はどれだけ残るのか、それだけを考え明日を迎える。
当時、王都は北方での偉業で湧き立っていた。すでに大賢者と呼ばれ、魔法学院のグリーの使い手である北の探求者が、月の巫女と共にあの火龍を討伐したのだ。
しかしマグナスにとって、それは光に照らされた一握りの人の話であって、前線の兵の辛さは何も変わらないと思った。
洞窟の中は深く続いていた。若い頃、カミラもマグナスも一点の曇りなく輝いていた時。その頃にも入った事のない、洞窟の深淵へとマグナスは歩みを進めた。
松明が照らす、退屈な薄茶色の土壁に沿って、ただ歩き続けた。
兵役に限界を感じた頃、マグナスは恩給が減るとしても帰郷する事に決めた。
「古里には、カミラがいた」
洞窟の暗がりで、彼はそう口に出した。
長年の不在を棚に上げて、我ながら身勝手な話だとは思う。だが、カミラが迎えてくれるならば、人生をやり直そうと考えた。
ルスティカの山賊討伐にも力になれる、マグナスは寄り合い長にそう提案もした。
だがしかし、カミラが彼を見限り、寄り合い長の息子との婚礼が近づくと、寄り合い長との仲も気まずくなった。
マグナスは、だんだんと、中の町に居場所を無くしていた。
「やはり、そうだ」
洞窟の奥から、マグナスの頭の中に言葉にできない呼びかけが響いてくる。帰郷してこの洞窟を訪ねてから、ずっと気になっていた。
「今のオレに、拠り所にできる何かがあるのか」といぶかった。
そして彼は、松明が照らす奥の壁に、何かを見つけた。
◇
神の悪意、マリスと呼ばれるその石は、ルスティカの東、裏山の洞窟の壁に埋まっていた。へこんだ壁の奥から、尖った角を出し、紫色の淡い光りを周囲ににじませていた。
「中の町の偉大な騎士」マグナスが、その黒い石に手を伸ばす。
尖った石から赤い光りが放たれ、その男の青い髪と顔を照らした。
マグナスは、心の中に一気にどす黒い感情が湧き上がる。
誰かの声が頭に響く。
「邪魔する者は傷つけ、力の限り破壊し、思うものを手に入れればいい。なぜならそれは、神の威光により、正しいのだから」
激しさのあまり身悶えするほど苦しいが、進むべき光明を見た思いもした。だから、身を委ねた。
絶叫し、身をよじるマグナスは、壁に生える尖った黒石に、自らの頭を力の限りぶつけた。
黒い石は彼の額に深々と刺さり、赤い血が吹き出す。
そして青い髪は黒々と染まり、頬には尖った刺青がいくつも浮かび上がった––––。
◇
乱れた、白金色の髪の間から、カミラはぽつぽつと唇を動かしていた。
「彼と、裏山で暮らすようになってから、何度も何度も、同じ話を聞かされました。黒い石を見つけてから、寄り合い長の家を襲った時も、何の迷いもなかったと」
目を開く一同の中で、アルが遠慮がちに片手を挙げる。プロピウスと目を合わせたあと、アルは聞いた。
「マリス……その黒い石を頭に刺した後も、マグナスは、話ができるほどに正気をたもっていたんですね?」
カミラは、ゆっくりと魔法使いの若者に顔を向ける。
「私が……カミラだとわかる時は。
そして、他の方がカミラを演じる時……」
言葉に詰まり、カミラは口に手をあて、耐えられないように嗚咽した。
はっとしてマルコは、カミラの長い髪を見つめた。
プロピウスが、暗い眼差しで先を続ける。
「お察しかと思いますが、マグナスは、当時の寄り合い長の一家を斬殺したのです––––」
◇
その夜、青年プロピウスは、役場の同僚と一緒に、宿の酒場で遅めの夕食をとっていた。
彼は、この宿に泊まっているはずのマグナスのことが気になり、しきりに階段の方へと目をやった。
テーブルにドンッ! と大きな杯が置かれる。
宿の女将が、たれ目を細めて言った。
「出てったきり。今いないわよ。あの人」
プロピウスが、あわてて女将に尋ねようとした時、騒がしく玄関から誰かが入ってきた。
その町の者は、キョロキョロと見回すと、あわててこちらのテーブルに近づき、同僚にひそひそと話す。
「来てくれ。大変な事態だ––––」
◇
「とても……悪い予感がしました。仲間と共に、寄り合い長の家へと走りながら、ふとマグナスが好きだった裏山が頭に浮かんだのです。一緒に野宿をしたり、楽しい思い出ばかり。
ですがこの時は、そこで彼と会えるのではないかと、そう思いました」
そう言うと、寄り合い長は静かに杯を傾けた。
ゴードンは、その表情を穏やかに凝視していた。一つの嘘も見逃さないように––––。
◇
夜道で同僚からはぐれたように装い、プロピウスは裏山の入り口にいた。小道から森へ向かって、息を切らしながら叫ぶ。
「ハア……マグナース! ハァ…マグ––––」
「るせぇ。静かにしやがれ」
森の木陰に、屈強な甲冑姿の男が現れる。
木陰で顔は隠れ、右手の長い長い大剣にべっとりとついた血を、月明かりが照らした。
そして左手には、気を失った白金色の髪の女が抱かれていた。
プロピウスは恐ろしさにぞっとして叫ぶ。
「姉さん!」
「るせぇっつってんだろうが。いいか、プロピウス、よく聞け。オレはこれから山賊制圧の任につく」
「えぇ?」
プロピウスには何がなんだかわからない。
かまわず、マグナスは続けた。
「村々を守る役を負う。山の神さんとの約束だ。そのためには……悪いが、カミラには側にいてもらわなきゃならねぇ。
……勘弁な」
そう言って彼は、月の光りが届かぬ陰へと、姿を消した––––。
◇
寄り合い長プロピウスが、その場の一同を見渡した。
「そうして……『村々の守り神』が生まれたのです」




