16 枯れ川
翌朝。
森が終わる崖の先は、雲一つ無い青空。
崖下は、水がほとんどない枯れた川になっていて、それを渡ると岩場だ。
さらに遠くは、ずっと山だがさほど高くはなかった。
マルコが身を乗り出してのぞくと、枯れ川の向こう岸、ぽっかりあいた黒い穴が見える。
あれが例の洞窟か、と彼は思った。
早朝からエルベルトと来たものの、小屋からそう遠くはなく、意外だった。
木々の間からエルベルトが顔を出す。
「あまり身を出すな。見つかると危険だ」
マルコは、あわてて木陰に戻った。
◇
葉が茂る木の下に、エルベルトは焚き火をおこしていた。
火の上では、鳥肉が棒でさして炙られ、食欲をそそる香ばしい匂いを漂わせる。
「今回は、鳥の残りを山賊焼きにする」
と、エルベルトはきっぱり宣言していた。
マルコはその時は「はあ」と応じたが、今は食べるのが楽しみで仕方がない。
小鬼を見張る不安と、うきうきと焼き鳥を待つ期待がまざり、彼は混乱した。
エルベルトは、たまに鳥肉に調味料をかけて棒を回し、かと思うと背中を向けて、ガラスや食器の音を立てる。
「小鬼は、日がある間は出てこないはずだが用心にこしたことは無い。
入念に準備した上で、昼間こちらから不意打ちをかける方がいいだろう」
「なるほど……。
ところでさ、天気が良いのはいいけど、こう晴れると、けっこう暑いもんだよね。
歩いたから喉がかわいちゃったよ」
そうマルコがこぼすのを聞いて、背を向けるエルベルトはニヤリと笑みを浮かべ、竹筒の水をそそぎ何かをいそいそ用意する。
しばらくして、爽やかな笑顔でふり返ったエルベルトが、ガラスの杯をマルコに渡す。
「このお茶を飲め。
渇きを癒し、すっきりするだろう」
「わぁー……ありがとう!
これ何? 冷えた緑茶かな?」
マルコが見ると、杯の中身は鮮やかな緑で底に細かい茶葉が沈む。
マルコは首まわりをパタパタあおぎ、冷えたガラス杯を傾けた。
一口飲んで気に入り、グビグビと飲む。
すかさずエルベルトはマルコの方を向いて、指で何かの仕草をしながら唱えた。
「森におわす木の霊よ、此の者に、静かなる加護を––––」
「ん? 何か言った?」
「ああ、おまじないだ。
少しは涼しくなっただろう」
エルベルトに言われ、マルコは確かに、そう感じた。
そのうえ、混乱した気持ちも落ち着いて、まずは食事に集中できた。
焼きたての鳥肉にかぶりつくと、パリッと皮が音をたて、口の中に肉汁があふれる。
噛むと、塩味と少し酸味もある旨さが口に広がる。
美味しいものを食べる喜びで、不思議なことに、マルコは笑いがこみ上げてきた。
「ふふ。……うまい! 本当においしいよ。エルベルト! ありがとう!」
「そうか……。良かったな。
まあ、あまり大声を出すな」
いつもの控えめな笑みを浮かべ、エルベルトは応じた。
彼も一口かじると、一瞬、目を見開く。
だが、必死に冷静さをたもつように静かに口を動かす。
それから、鍋で湯を沸かしはじめた。
マルコが、申し訳なさそうに言う。
「あの……なにか飲み物ある?
さっきのお茶を残せばよかったんだけど。水でもいいので––––」
「まあ待て! 早まるな」
エルベルトは湯が入った小さな鍋を持ち、背中を向けごそごそとやる。
しばらくして、爽やかな笑顔でふり返ったエルベルトが、手に持つ椀をマルコに渡す。
「このスープを飲め。
焼き鳥の油を流してくれる。
うまさもさらに味わえるだろう」
マルコが椀をのぞくと、濃厚な茶色のスープに、焦げ茶の粒が浮かんでいる。
嗅ぐと落ち着く、出汁の良い香りもして、マルコは素直に口にした。
コクがあり、これまた美味い。
残る焼き鳥を頬張りもぐもぐとしたあと、両手で椀を傾け、ズズーッと流し込む。
すかさずエルベルトはマルコを見つめ、指で何かの仕草をしながら、こう唱えた。
「地に住まう土の霊よ、此の者に、安らかなる加護を––––」
「ふうう〜……。うまい!
この組み合わせも、最高だったよ!」
マルコは満面の笑みを浮かべ、エルベルトに感謝した。
すると気持ちはさらに落ち着いて、食後の充足感に満たされた。
くわえて行動しようという意欲、つまり、やる気も出てきた。
二人で後片付けをしたあと、エルベルトは珍しく、そわそわしながら切り出す。
「食後の飲み物も用意した。もちろん!
昨日のようなことは決して無い。
酒の成分はないと確認して––––」
「ちょっと待って! エルベルト」
「……何だ?」
「さっきから僕に、何か飲ませてるでしょ?
僕のこと、バカだと思ってるの?
なにをやってるのか、教えてよ」
「精神が安定し、洞察力も増したな。
加護がちゃんときいている」
と言ってエルベルトは、おまじないの説明をはじめた。
エルベルト自身は魔法を使うことはできないが、自然の存在にお願いして、守りや助けを得ているとのこと。
だがその効果は、ほとんどが精神に作用するものなので、過信は禁物であった。
マルコはたずねる。
「で、さっきは、どんなおまじないを?」
「森や洞窟の中でも、落ち着いて考え、行動できるまもりをかけた。
……先日、森の主に遭遇した時のような、動揺はないだろう」
「なるほど。それで、次は何をするの?」
それを聞いたエルベルトは、マルコが初めて目にする、あやしい笑みを浮かべた。
◇
マルコが持つガラス杯で、白銀液が輝く。
太陽にかざすと、日の光を浴びてまばゆい光を反射する。
彼は、一口ふくんでみる。
「とろりとして甘い!」
ニコニコと笑顔を見せるエルベルトを横目でにらんだあと、マルコは、ゆっくりとその液体を喉に流し込む。
体が喜ぶ甘みが流れ、肚に力をもたらす。
エルベルトは、今度は真っすぐにマルコを見つめた。
手と指で何かの仕草をしながら、低く甘い声で、こう唱える。
「鉄にも銀にも宿る金の霊よ、此の者に、貫く意志の加護を––––」
ぐっぐっと喉を鳴らして、マルコは白銀の液を飲み干すと、大きな息を吐いた。
「ぷはー! うまかった!
じゃなくて……今は何してくれたの?」
エルベルトは、達成感を得たように、心からの穏やかな笑顔を見せて言った。
「わかり易く言えば、君に勇気を授けた」