15 小屋でのひととき
目が覚めると、上は見知らぬせまい天井。
魂がゆっくりと体に入る気がした。
扉が開くとそこに、光る黄緑色の髪から、しずくをたらす男。
昨日と同じ、緑のブーツに赤茶の上衣だが全身ぐっしょりと濡れている。
「マルコ、もう昼前だ。
君も体を流すといい。外は春の雨だ」
そう言われ、マルコは窓を見る。
雨粒がガラスにあたり、向こうの葉の緑は雨と日の光りで輝いていた。
エルベルトは濡れた服のまま、ホロホロ鳥の大きな白い肉をテーブルに置いている。
野草やキノコもならぶ。
マルコが寝ている間に、下準備をしていたようだ。
彼は森の爽やかな芳香を漂わせ、不思議なことに、服もずぶ濡れなのに不自然な感じが全くない。
ふとこちらを見て、低く甘い声を出す。
「どうした? 服を濡らすのが嫌ならベッドの下の手ぬぐいを使え。
このユーカリの近くなら裸でも安全だ」
起き抜けのぼんやりした頭のまま、マルコは従う。
衣を脱いで下着姿になり、手ぬぐいを手に扉に向かう。
その背中に、エルベルトがきっぱり言う。
「今日は、鳥鍋を食べる」
マルコは思い出したようにふり返った。
「そう……ところでエルベルトはあのあと、眠ったの?」
「枝の上で寝た。
月の光がまだ美しいままだったから。
そう言えば夕べ君と出会った時も、私は、あの木の上でうたた寝をしていた」
マルコは、とても信じられなかった。
◇
大きなユーカリの木の下。
マルコは全裸で、はずれ森の雨を浴びた。
最後の下着を脱ぐ時、「これって普通じゃないよな」とためらったが、ためしてみるとほかにない解放感。
天に向かって口を大きく開き、雨を飲んで喉を潤す。
すると、重たかった気持ちがいくらか軽くなって、お腹も減ってくる。
「ご飯を食べて、これからの事を話そう」
マルコは元気が出て、そう口に出した。
◇
テーブルの上に、鍋がある。
マルコがのぞき込むと、鳥肉に加えて緑のもの、キノコや人参、玉ねぎもある。
木の上のこんな小さな小屋なのに、立派な鍋料理を見てマルコは驚いた。
エルベルトは喜びをおさえ、淡々と語る。
「つくしに、ふきのとう、水菜はたっぷり入れてある。アルフォンスの野菜は少し古いがこれで最後。
鳥肉はマルコの獲物だ。……感謝する。
塩と、エルフの調味料、本来は気付け薬だが少量だ。それで味付けした。
キノコは……ああ、もういいだろう。
さっそくいただこう」
マルコも賛成して席に着くと、指を組んだエルベルトがじっとこちらを見ている。
マルコは無言でうなづき、同じように指を組んで声を合わせる。
「命をいただきます」
エルベルトが、ふっと微笑みを浮かべた。
◇
空のお椀を前に、マルコは満足した吐息をもらす。
「最高に美味しかったよ。ありがとう!」
エルベルトは、ガラスの杯に真珠色の飲み物をそそいでた。マルコの前に差し出す。
「食後の飲み物だ。口直しになる」
「あ……僕、お酒は飲めないんで」
「大丈夫。これは酒とは言えない」
エルベルトは穏やかに笑った。
◇
窓枠に座るエルベルトが、物憂げな目で手にした竪琴を鳴らす。
美しい旋律のあと、口を開いたところで、顔が真っ赤のマルコがくだを巻く。
「おしゃけじゃないって! えるべるとひったあよねぇ! もくのめないんだがあ!」
エルベルトは目をそらすまま。
「何度も言うが、それは酒とは言えない。
だが……済まなかった」
言うなり竪琴をかき鳴らし、熱く歌いだす。
マルコはテーブルに突っ伏した。
◇
ユーカリの大木を西日がてらし、日ざしが幹の虹色を輝かせる。
朝からの雨はやんで、光るしずくがいくつもの星になって地に落ちる。
小屋の窓から、郷愁を誘う旋律と、低い男の声が森に流れ、広がっていった。
マルコは、ピクリとして、ゆっくりと頭を上げた。
西日がさす窓際で、逆光で黄緑の髪を光らせながら、男が歌っている。
異国の言葉で意味はわからないが、うっとりして聞き惚れた。
演奏が終わって、声をかける。
「とても……きれいなメロディーだね。少し物悲しいような。何て言ってるの?」
「いろいろ言っている」
「……分かる言葉にして、歌ってみてよ」
その言葉に、エルベルトはぎょっとして、マルコをまじまじと見る。
それから下を向き、ふっ、と笑みを浮かべ顔を上げ、目をつむってぶつぶつ口を動かす。眉間にはしわを寄せる。
マルコはぐびりと一口、水を飲んで、歌の訳をゆっくり待つことにした。
しばらくして、エルベルトは竪琴の音合わせをし、そして、おもむろに歌い出す。
それは、次のような内容だった。
エルフの火 エルフの火
人ならぬ人と歩むとき その炎を燃え上げる
仇なす者を焼きつくさんと 西に東に飛び火する
エルフの火 エルフの火
この世が果てるその日まで 浄化の炎 絶えることなく
エルフの水 エルフの水
浄化の炎 目に映すとき その海 何処も繋ぐ––––
とここまできて、エルベルトは演奏をパタリと止め、指で目頭をおさえた。
あわててマルコが叫ぶ。
「どうかしたの?」
「ここから先は本当に悲しい」
エルベルトは、そう答えた。
◇
だらしなく、マルコはベッドに寝そべる。
気怠さがまさり、帰ると言い出せないまま日は暮れて、いよいよ暗くなってしまった。
小屋での夜は、二晩目だ。
エルベルトは持ち歌を全て歌い終わって、退屈そうに竪琴をつまびく。
マルコは天井をながめながら、興味ない風にたずねる。
「エルベルト……小鬼って何?」
竪琴の音が止まる。
沈黙。
返事が無いなんてはじめてだ、と思いマルコは起き上がった。
「実際に……見た方が早いだろう。
明日いってみるか? あの洞窟に」
エルベルトも、何気ない風で答えた。
だがマルコは、悶々《もんもん》と考えこんでしまう。
エルベルトは何かがやっとすっきりして清々《すがすが》しい顔で、夕食の支度をはじめた。
はずれ森の夜は、ゆっくり更ける。
外を澄んだ虫の音がみたす。
小屋は、なにかに守られているように安らかで、心を癒すひとときが過ぎていく。