9 はずれ森での危機
「キャーーーーー!」
はずれ森に響く、シェリーの悲鳴。
マルコは、足をすくわれ宙返り。地面を上に木漏れ日を下に目が回る。
そんな中、頭には雑念が、走馬灯のように駆け巡った––––。
◇
あれから五日は過ぎるのに、アルは戻ってこなかった。
なのでマルコは、あの日に聞いた善意の石や悪意の石といったことが、現実でなく夢のように思いはじめている。
夢といえば、夜、マルコはアルを思い出す。数日会ってないだけなのに、懐かしい。
そしてなぜか、耳元でアルが何か唱える声が聞こえる気がした。だがそのまま寝入ってしまい、朝には忘れた。
朝起きると剣の訓練。
午後には決まって狩りに出かける。
小熊亭の食卓で、マルコは訳を話す。
「アルにも、美味しいお肉を食べてもらわないと」
だが実は、シェリーと一緒に過ごしたいだけだったのだ。
狩りの成果は日によって違う。
無い時もあれば一羽の時も。
だけど毎日が安心できる繰り返し。
決まった場所と決まった場所を行き交うこの感覚は、彼にひどく染み付いている。
「……以前の記憶?」
と、ここでマルコの意識はさめた––––。
◇
「あたたたた……」
マルコが地面から体を起こすと、激突した猪豚が足をバタつかせている。
その獣は、毛は茶色のイノシシで、口から危険な牙が二本飛び出す。
ただ年寄りなのか、牙はどちらも削れて丸い。
もしあれが尖っていたらと思うと、マルコはぞっとした。
「マルコ! 大丈夫? このっ」
風を切る音がして、シェリーの矢が猪豚のお尻に刺さる。
だが尻をぶるっと震わせて、猪豚は平然と長い鼻をフゴフゴ鳴らす。
シェリーが草むらから叫んだ。
「こいつ! 脂がのって矢が効かない!」
マルコは、猪豚のお尻をながめる。
「脂……? 美味しい部分か」とまたも気が散りそうになった。
だが首をふり、狩りの最中だと、やっと思い出す。
なんとか右脚で立ち上がったマルコは、左足がぶらんとして、ろくに力が入らない事に気づいた。
次の突撃は、左にはよけられそうもない。
蹄を地面にこする猪豚は低く、南方剣術の攻撃も難しそうだった。
フゴ? フゴッ? ブヒイイいーッ!
突然、猪豚が騒ぎ、辺りを見回す。
「痛くなって怒ってるのかな? シェリーが狙われると厄介だ」とマルコは思う。
彼は、スミス老に研いでもらい格段に切れ味が鋭くなった剣を、静かに抜いた。
左の鉄の肩当てに剣先をあて、甲高い音を鳴らしてみる。
チーン、チン……。
猪豚がこちらを向く。苛立つように、蹄をこすりはじめた。
ブヒイーーーーーッ!
猪豚は風のように早く丸太のように重々しく、マルコを吹っ飛ばそうと一直線に迫る。
体を左に、マルコは突進を誘導する。
牙の先が刺さる寸前、体を横に、猪豚に張り付き剣を突く!
深々と貫いた刀身に、マルコはすかさず小盾をあてた。
身体を引きずるもの凄い圧が、剣を通して伝わってくる。
彼の右膝は地面とこすれて服は破れ、左足はおかしな角度に曲がる。
たとえようもない激痛で目がくらむ。
剣を手離さないことだけを考え、マルコは意識を強くもった。
横腹に剣が刺さった猪豚は、そのまま、マルコを中心に小さな円を描いて回る。
マルコは剣を離さず、身体は回転。
それでも剣が獣を裂き、あふれる血が、地面にきれいな円を描くころ、突撃の勢いはやっと止まった。
シェリーが弓を放り投げ、駆けてくる。
マルコは、何か叫ぶシェリーの顔を見たのを最後に、気を失った––––。
◇
次にマルコの目が開いた時。
幸せそうな、目尻の下がった猪豚の顔が目の前にあった。
「マルコ気づいた! 大丈夫? もうすぐ家だから、がんばって、がんばって……」
朦朧とした意識の中、シェリーの泣く声をマルコは聞いた。
彼は、担架で運ばれていた。
村の者は、獲物も一緒に運んでいる。
視界に再び闇がおりてきて、マルコは猪豚とぴったり添い寝させられていることに、「なんで?」と思う。
「シェリーはあんな風に泣くんだ」と、心でつぶやきながら、彼はまた気を失った––––。
◇
三度、マルコの意識がさめた時。
頬が暑すぎると感じて、彼は目を開く。
体が動かせなかった。
ゆれる椅子に座らされ、毛布でぐるぐる巻きになっている。
首を回すと、小熊亭の大きな暖炉が、そばでパチパチ燃え上がる。
「あつっ! ちかい。近すぎるから!」
シェリーとソフィアが、マルコの顔をのぞき込む。泣き顔から笑顔になった。
真っ赤な顔のポンペオが、こちらを見て大声でどなる。
「英雄! マルコのお目覚めだ。
みんな! ちゃあんと生きてるぞー!」
◇
雪壁山脈の南。
山の麓にある、端村の夜。
歌う小熊亭には、煌々《こうこう》と明かりが灯り、窓からあふれんばかりの大歓声が響き渡った。
「いったい何人いるんだろう?」と目を丸くするマルコに、ソフィアが語る。
「治療師さんのお話によるとね、ウッ!
命には全く……別条はないんですって! ああぁ。
でもね。脚をやられて! ウッ。
冷やすのと、動かすのが……ズズッ!
一番、良くないそうなのよ!」
そう言ってソフィアは泣き崩れ、シェリーと抱き合った。
マルコは叫んだ。
「わかった……わかったから。
少し……少し暖炉からはなしてーっ!」