誘うミルク
じゃ、次は私の番だね。
これは親戚のお姉さんの話。
そのお姉さん、少し長い期間入院したんだって。
肺炎をこじらせて入院がのびのびになって、毎日退屈だったみたい。だから症状が治まっていた頃にはちょくちょく病室を抜け出して怒られていたそうよ。
その日も抜け出して中庭のベンチに座っていたら、ふいに声を掛けられた。
怒られると思ったのかしらね。身構えたけれど、隣に腰掛けたんだって。横顔がとっても素敵な女医さん。お姉さん、女だけれど本当に見惚れるようなキレイな人だったって。
「お散歩かしら。確か四号棟の六階に入院してる子よね」
「は、はい。あなたは、お医者さん、ですか」
するとニコリと微笑み返して、「はい。お医者さんです」って。
心療内科の研究をしている先生で、長期入院している患者の様子をそれとなくフォローすることも研究の一環なんだって。
とても気さくな人で、そのままついつい話し込んでしまったらしいけど、先生のスマホが鳴ってその日はお開きになったみたい。
「入院も長くていろいろストレスも溜まってるんじゃないかしら。良かったら相談に乗るから、いつでも部屋に顔を出してくれてもいいのよ」
そう言い残してその場は別れたって。
「また会えるかなぁ」なんて考えていたら思いが通じたのか、夕方先生が部屋を訪れたときは心臓が飛び出るかと思ったそうよ。
「あなた、夜眠れないって言っていたから。これ。持ってきたの」
そういってアルミパウチの袋を手渡した。精神が安定するハーブなどで作られたサプリメントだって。
「ここで処方されている薬に障らないものだから、安心して。寝る三十分前くらいに飲めば、すっと入眠できるはずよ」
その日から早速使い始めたら効果はてきめんで、今まで悩んでいたのが嘘みたいに眠れるようになったみたい。朝もスッキリ起きれるようになったそうよ。
けれどしばらくすると別の問題が起きた。
今度は妙な夢を見るようになったんだって。
なんだか全身をジロジロ見つめられて、舐め回されるような嫌な感じがして。しばらくすると遠くで何やら強い光が光ってそれに吸い込まれるような。毎回微妙に違うけれど、毎晩のようにそれは続いて、深夜に目覚めることも多くなったそうよ。
その日も夜中に目が覚めたって。外の様子からしても三時くらいか、そういうとき決まって身体が動かないの。どれだけ身体を動かそうとしても、動かない。金縛りっていうやつなんだろうね。気が焦れば焦るほどどんどん動かなくなっていくような気がする。いつの間にか廊下からはコツ、コツと誰かが歩く音がする。
身体が、動かない。
枕元にあるナースコールまで手が届かない。動かせない、動かない、どうしてって気ばかり焦るけれど、どうしても身体は動かない。
コツ、コツ、コツ。
靴音がどんどん近づいてくる。やだ、だれか。声も出ない、なんで。怖い。
金魚のようにパクパクと口を動かすけれど、一向に声は出てこない。出るのはヒューヒューといった息が抜ける音だけ。
コツ、カツ、コツッ。
足音が止まった。と思えばドアのすりガラスにぬうっと人影が差した。
ジリジリと人影が近づく。長い髪が影絵のように揺らめく。
ドアのノブがゆっくりと回された。
一際心臓の鼓動がはねあがる。
ドアが微かな軋みを上げてジワリと開いていく……
ドアの奥に真っ黒な影を見た時。
意識をうしなってしまったんだって。
朝起きたら何もなかったかのような病室。
ただじっとりとかいた寝汗が、昨日のことが現実だったんだと告げていた。看護師さんがどうしたのって驚いていたらしいから、相当なものだったようね。その日は先生のところに行っていろいろ話したって。やっぱり入院のストレスがそうさせてるんだろう、って。
夢は徐々にエスカレートしていったそうよ。
起きているのか眠っているのか。夢か現実かわからない状態。朦朧としたというのか、夢うつつといったところかしら。
そんなときもやっぱり身体は動かない。ぼんやりした頭でも身体が動かないことはわかって。けれども目も開けていられない。
ぎしり。
足元の方のベッドに、何かが乗った感覚がしたって。目を閉じているから、他は鋭くなるのね。
その直後、何かしらの気配が覆いかぶさってきた。生暖かい空気が首筋をよぎるたび、ゾワッとした寒気が背中を駆け抜ける。
顔に掛かる感覚は、……糸? ……髪の毛!? なんで髪の毛が顔に。払おうにも手が動かない。また金縛りだ。
べろり。
「っっ!」
舐められた! 何かに舐められた感覚がした。その感覚は首筋や耳を執拗に攻め立てる。
ゴソゴソ、ピチャ。ゴソゴソと耳に不快な音が届く。
気配が離れる。ホッとしたのもつかの間、今度は腕をぎゅっと締め付けられる感覚が襲ってくる。
ヤダ、ヤダヤダなに怖い怖い怖い助けて!!
慌てて腕を動かそうとしても金縛りにあって動かせない! 声も出ない!
どれだけ身をよじろうとしたり手を振り上げようとしても、身体はピクリとも反応しない。
まるで死人だ。え? しんでるの? 生きてる、生きてるよ……きっと。
しばらくすると腕を締め付けていた感覚は消えて、そこでピカッと明るい光に合わせて、また意識が途切れたって。
朝起きたらいつもの病室。
けれどものすごくだるい。あれも夢だったのか。そういえばこのだるさ、ここ最近ずっと続いている。主治医の話では貧血だろうと。
「何かいる」
そんなお姉さんの訴えを主治医は笑って聞き流した。
はいはい疲れてるのかもねと、栄養剤と造血剤を出すってことで落ち着いてしまった。
その日の夜、就寝前の支度に来てくれた看護師さんに何となく聞いた。
看護師さん。ここ、なんか出るんでしょ? って。
「なにも出ないわよ~」って看護師さんは笑った。
正直聞かなきゃよかった、って後悔したって。直前に少し驚いたような表情をされたから。
絶対、なんかいる。そして毎晩やってきて、とり殺そうとしているんだ。きっとそうだ。
サプリを飲もうと出そうとした時動揺したのか、一錠、手からこぼれ落ちた。コロコロと床を転がって止まった先は看護師さんの靴。
「あら、お薬落としちゃった? 替えを貰ってこようか」
「い、いえ、それはサプリなんで大丈夫です」
「そう? なら捨てておくわね」
そういってトレーにのせ、ナースステーションに戻った。
次の日、血相を変えた別の看護師がやってきた。
「あなた、あの薬、どうしたの?」
「え、あの薬ってなんですか?」
「ここで昨日落としたっていう薬よ」
「ああ、……人にもらったんですけれど」
なぜか先生の名前を言うのははばかられた。
「いや、人にもらったとか、あり得ないから。あれ、治験中の睡眠薬なんだけれど」
「え? それって」
「まだ世に出ていない薬ってこと。この病院だと、心療内科で……っといけない」
とにかく、残っててももう飲んじゃダメだからね、と念押しして看護師は帰って行った。
先生、サプリメントでなく本物の睡眠薬をくれていたの? なぜ?
疑問を解消すべく、いつものように先生のお部屋にいった。けれどあいにく留守だった。部屋もブラインドがピッチリ閉じて薄暗い状態だったって。
「先生、いないのか……」
すこし待たせてもらおう。コロコロ、と点滴スタンドを押しながら部屋の中に入っていく。先生の部屋は奥にも研究用の部屋があるみたいで、そちらのドアが少し開いていて、そこから光が漏れていた。なんだ、奥にいるのか。
「失礼しまーす……」
そちらの扉を開けるとデスクランプがついているだけでやはり誰もいない。
あれ、やっぱり居ないのかと諦めて戻りかけたそのとき。
見なきゃよかったんだ。それを。
机の上の写真。女性の寝顔の写真。近づいてまじまじと見た直後、息がとまるかとおもった。
「これ……私!?」
映っていたのはお姉さんの寝顔。それも一枚だけじゃない。何枚も、何枚もあったって。
そしてさらに奥の壁を見て息を飲んだ。
壁いっぱいに貼られた写真。
全部お姉さんの写真。中庭でぼーっとしている写真。食事をしている写真。診察を受けている写真。検査に向かっている写真。そして寝顔。寝顔。また寝顔。
いつ撮られた?
そしてそれら居並ぶ写真の下に鎮座する冷蔵庫。
なんだろう。開けてはいけない気がする。けれど開けないと気が済まない。少しためらったけれど、意を決して扉を開けた。
オレンジ色の光が溢れるその先にあったのは。
「な、なに、これ」
冷蔵庫の中を埋め尽くしていたのは小さい試験管のようなものがギッシリ。大量に。整然と並んでいた。
それぞれにラベルが貼られている。震える手で一本取り出してみる。
そこには日付と――お姉さんの名前。
短い悲鳴を上げると手に持ったそれを取り落としてしまった。
カシャッ!
とガラスが割れる音がして中身が飛び散った。まるで彼岸花のようだ、とぼんやり考えた。中に入っているのは、赤黒い、どろっとした液体だった。
「これ、もしかして、血……!? ラベル、わたし、何で? いつ、そんな」
「勝手に人の部屋に入ってのぞき見だなんて。意外と行儀の悪い子だったのね」
「ひっ!? せ、先生っ」
不意に掛けられた言葉に心底驚いた。
いつの間にか、隣に先生が立っていた。
「せ、先生、これ、何なんですか?」
「えっ、見たでしょ? あなたの写真と血液よ? 私が集めたの。すごいでしょ?」
無邪気に先生が笑う。
「す、凄いって。寝てる写真なんてどうやって。それに血! あれ、私のなんですか? どうやって」
「どうやって手に入れたか、知りたい!? 知りたいわよね! あれはね、あなたが眠っていた間、私がコッソリ少しずつ抜いたのよ。それも毎日!」
目をキラキラ輝かせて先生が手を握ってくる。
「ま、毎日?」悪寒が全身を駆け抜ける。
「そ、毎日よ。いつ目を覚ますか、いつもドキドキしていたけれど、結局気付かれなかったようね。すごい、私!」
「ど、どうしてそんなこと」
先生の手を振りほどいて一、二歩後ずさる。
「どうして? ……あなたが大好きだからに決まってるじゃない。ずっと見ていたわ。貴方が入院してきた日から。ここで出会ったのはそう、運命! 私達の運命は決まっていたの! あなたのこと手に入れたくて。欲しくて欲しくて仕方なかった。でもなかなか難しそうだったから、手始めに少しずつ血をもらうことにしたの!」
「な、なんだか眩暈がしそうな話」
そんなことを言っていたら本当に眩暈がしだした。
「どうしたの? 眩暈でもする? ふわふわした気持ちかな? ソファに掛けなさい」
「は、はい」
そういって腰掛ける途中に床に落ちているものに目が留まった。
中身が半分程入った注射筒。
なんで? なんで、そんなものが床に転がっているの。
それにどうして、私の名前が書いてあるの?
「あ、あの。その足元に落ちているシリンジは」
「ん? ああ、この機械に入っていたんだけれど、邪魔だったから捨てたのよ」
と先生は私の点滴スタンドについている輸液ポンプを指さす。
「え、じゃまって。それならその機械にはいま、何が入ってるんですか……?」
「んー? な・い・しょ。それよりー、そろそろ気持ちよくなってきたんじゃない?」
身体を支えきれなくなって、ソファに沈むように掛けたお姉さんは必死に聞こうとしたの。
「だ、からせんせ、そのく、すり、なん……なの……」
「だから、 プロポフォール。麻酔薬よ。気持ちいいでしょ。あまりにも気持ち良いもんだから、有名なアーティストも乱用して死んじゃったわ」
輸液ポンプの中のシリンジをウットリと見下ろす。
「そのアーティストがミルクって呼んで愛していたの。いい表現よね。ましてやこんなにも気持ちいいなんて、とっても素敵じゃない? あら、もう眠いのね。じゃ、おやすみ。ゆっくりお眠りなさい」
「い、や……た……すけ……」
それ以上は無理だったみたい。そのままお姉さんはカクリと糸が切れた人形のように、意識を失ってしまった。
――お姉さんはその後すぐ『転院』したんだって。これでこの話はおしまい。
え、なんでそんな細かいこと知ってるんだって?
うふふ、だってその先生、私のお姉さんだもの。
あなただって、自分のお姉さんのこと、聞きに来たんでしょ。
驚いた? 実は私もこの間知ったばかりよ。世間は狭いわね。さっき先生にお願いしておいたから、もしかしたらお姉さんと会えるかもしれないわよ。
そうよね。きっと会えるわ。
先日見せてもらったけれど、あなたのお姉さん、とっても綺麗ね。
まるで生きているようだったわ。
それにあなたも負けないくらいステキ。二人並んだら映えるわ。
……どういうことかって? すぐわかるわ。
ところであなた。
……そろそろ、気持ちよくなってきたんじゃない?




