palindrome ~カッコつけた言葉はいつだって、堂々めぐりを繰り返す~
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「……あーあ」
溜め息混じりに、俺はぼそりと呟いた。
「……年末、つまんね」
手に持ったグラスの中で、琥珀色の液体に浮かぶ丸い氷が、カランと小さく音をたてる。
池袋にある行きつけのバー、『AKASAKA』。
ここに通い始めて、もう何年になるだろうか。
池袋にあるのに『AKASAKA』とはまた妙なネーミングだが――理由を聞けば何のことはない、オーナーの名字が赤坂だというだけの話だ。
まだ早い時間で、客はただ独り、自分だけの店内。
呟き声のつもりだったが、静かな店内では思ったよりも響いたらしい。
この店のオーナーであり、マスターでもある赤坂氏が、厨房スペースの奥から、のそりと現れた。
手にもった皿にはスモークチーズか何かだろうか、うす茶色の四角い切り身みたいなものがのっている。
「ん」
差し出された皿から、ひとかけつまんで、口に入れる。
……うめぇ。
もうひと切れ、と手を伸ばす俺の姿を見て、赤坂氏がかすかに自慢げな表情を浮かべる。
「……イカかい?」
「ん」
ニヤリと太い笑みを浮かべてうなずく赤坂氏。
……自家製のイカの燻製とはね。こりゃまたヒットだな。今日来て正解だったぜ。
――このおっさん、ゴツい顔立ちと体格に似合わず、実は料理のセンスが抜群なのだ。
客のいない時、たまにこうして作ってくれるつまみは、毎度酒がすすむこと請け合い。
半分はこれを目当てに通っているようなものだ。
スツールの上で身を反らすようにして、何とはなしに店内を見渡す。
カウンターと、テーブル席が2つだけの狭い店だ。
満席になることはあまりないが、知る人ぞ知る、という感じの店らしく、芸能人などもたまに訪れるらしい。
壁に貼られた写真の一枚には、眼鏡の優しそうな中年男性と赤坂氏が写っていた。
何やら表面に文字らしきものが書かれているらしいので近寄って覗き込む。
マジックで書かれてる文字は――『俺と森本レオ』
……サインとかじゃなくて、あんたの字かよ。
脱力し、苦笑しつつ、席に戻る。
グラスに残っていた酒を飲み干して、お代わりを頼んだ。
再び独りだけになった空間で――また、溜め息が漏れる。
――3年間付き合ってた恋人に手ひどくフられたのは、昨晩のことだ。
こんな日には、こういう行きつけの店の存在がありがたい。
「……世の中ね、顔かお金かなのよ」
そう捨て台詞を吐いて出て行ったアイツ。
冷め切った表情と声音の記憶がチラつき、シャツの胸元を握りしめる
「痛いよ……ああ……酔いたい」
情けない話だが、独りで思い出すと、思わず涙がこぼれそうになる。
なおかつ最悪なのは、こんな目にあっても、まだ、あいつの事を嫌いになりきれてないってことだ。
「……泣いたけど、遠いあの子にこの愛を届けたいな」
ポツリと呟いた言葉に、いつのまにか戻ってきていた赤坂氏が言葉を返してきた。
「……世界を崩したいなら、泣いた雫を活かせ」
言葉の意味はよく解らないが、どうやら励ましてくれてるらしい。
「………ダンナも、ホモなんだ?」
不意に悪戯心が湧いて、俺はわざとらしく流し目をしながら、赤坂氏に笑いかけてみた。
「……や! いや……」
ぶんぶんと首を横に振る赤坂氏。
あまりの焦りように、思わず吹き出してしまった。
……焦らなくても、あんたがノーマルだってことくらいわかってるよ。
……だいいち、あんたは俺の好みじゃないしな。
慌てる赤坂氏の狼狽ぶりをにやにやと眺めながら、俺は出てきたばかりのウィスキーをひと息に飲み干し、おかわりを頼むためにグラスを掲げるのだった。
Fin.
※タイトルの「palindrome」の意味は「回文」(前から読んでも後ろから読んでも同じ文)です。
文中のカッコつけた(「」つけた)部分は、「AKASAKA」等も含め、全て回文。お粗末でした。