月の沈まぬ空の下
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雲一つない夜の海。
天空では大きな月が真円の姿を晒し、煌々と輝いている。
今夜は風も全くない。今この瞬間に海の水を掬ったら、とろりとした粘りさえ感じられるのではないかと思えるほどに、水面は平たく凪いでいる。
本当に時折、魚が跳ねた時などに僅かに水音が聞こえることはあるが、それ以外には波の音さえほとんど聞こえない。
静かな──ただひたすらに、静かなだけの海。
陸地からあまりにも遠く離れたこの辺りでは、海鳥の姿でさえ、もう何十年も見られていないのだ。
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月は、ずいぶんと退屈していた。
眼下の視界には、夜の闇に塗り潰された暗い海だけがどこまでも広がっている。
三百六十度全方位、ぐるりと見渡しても、遥か彼方の水平線まで、船影ひとつ、島影ひとつとて見えない。
──はるかな昔、この星をある種族が支配していた頃であれば、夜であろうと全ての陸地に文明の灯がともり、空の星々を写しとったように煌めく輝きに満ちていたものだったというのに。
いや、海の上でさえ、当時は、昼となく夜となく、あまたの船が行き来していた。
あまりの目まぐるしさに、月は目眩がするような気分になったものだった。
それが今やどうだろう。
月から見えるのは、ただひたすらの、海。海。海。
水。水。水。
月は心の中で、もう何度めになるか知れぬ溜め息をついた。
──ああ。
自分は、あのせわしなく、ちょこまかと動く、騒がしい種族が愛しくて。
わざわざ遠い距離を越えて自分を訪ねてきてくれたことが嬉しくて。
ほんの少し、今までよりも近付いて、相手を眺めてみようとしただけなのに。
あまりにも近づき過ぎたその結果、己の公転と相手の自転は、見事に釣り合ってしまった。
己の位置は、惑星の表面の一点から伸びた重力の鎖に固定され。
ある程度まばらに偏りながら相手の表面を覆っていたはずの海水は、そのほとんどが己の側に引き寄せられて。
──かつて文明の煌めきに満ちていた大陸の全ては、押し寄せる水の底に、あっという間に沈んでしまった。
今の月から見えるのは、ただ水のみに覆われた球の半面、それだけである。
──あの種族は、やはり滅んでしまったのだろうか。
──あるいは、こちらからは見えぬ惑星の裏側で、案外楽しく賑やかにやっているのだろうか。
昼も夜も代わり映えのしない、ただ水ばかりの退屈な眼下の景色を眺めながら。
月はまた、心の中で溜め息をついた。
Fin.
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