第9話 帝国の遠征軍が悲惨な目にあう話 (2)
三人称視点です。
「だぁ、あー」
1歳の娘が、無邪気な顔で小さな手のひらを自分に向けてくるのを見て、ララベルは微笑んだ。
「ふふ、どうしたのかなー」
「あぅ、まぁー」
「ほーら、まぁじゃなくて、ママでしょー」
「うー、まぁま」
「えへへ、そうだよ、ママだよー。よく言えたね、ユア」
ララベルは嬉しそうに笑いながら、娘のユアの頭をそっと撫でる。
母に撫でられたのが嬉しいのか、ユアはきゃっきゃと声を出す。
ここは砂漠のオアシスに建てられた小さな都市国家である。
ララベルはそこで、1歳の娘のユアと2人で暮らしている。
去年、夫が亡くなった時、ララベルはこの世の終わりが来たかのような絶望に沈み込んだ。
それでも生きる希望を取り戻せたのは、娘がいたからだ。
(この子は私が育てるんだ。ご飯を食べさせて、泣いていたらあやして、ちゃんと育てるんだ)
ララベルはそう決意した。
幸いにも、国でそれなりの地位にいた夫は、ある程度の財産を残してくれたため、内職をしながらどうにか子供を育てることができた。
「んみゅ……」
娘のユアが眠そうな顔をする。
「あらあら、おねむかな」
「うにゅ……」
「よしよし、それじゃママと一緒におねんねしようね」
「んん……」
ララベルはユアをベッドへ連れて行こうと、だっこする。
その時、うつらうつらしていたユアが、ララベルの服を小さな手でぎゅっと握りしめながら「まぁま……」と言った。
母の腕の中で安心しているのか、幸せそうな顔で眠っている。
「……ありがとうね、ユア。生まれてきてくれてありがとう。ママ、がんばるからね」
ララベルは娘をそっと抱きしめながら言った。
彼女にとって、娘はかけがえのない存在だった。
だが、わずか1ヶ月後、その大切な娘の命が失われようとしていた。
◇
「そおれ!」
帝国兵の投げた剣が、ひゅんひゅんと回転しながら1歳児であるユアの頭上に落ちてくる。
剣は音を立てながら落下し、ユアのすぐ目の前の地面に突き刺さった。
「うわああああん!」
剣こそ当たらなかったが、怖かったのか、ユアが泣き叫ぶ。
「ああ、ユア! ユア!」
ララベルは悲痛な叫び声を上げる。
今すぐユアのところに駆けつけて大切な娘を守りたい。泣くのをあやしてやりたい。大丈夫だよ、ママはここにいるよ、と言ってあげたい。
けれども、彼女の体は屈強な帝国兵達によってがっちりと押さえつけられ、一歩も動くことが出来ない。
「ほぉら、ダメだよー、お母さーん。まだあと9回残っているんだから」
押さえつける帝国兵が、ニヤニヤ笑いながら言う。
帝国兵達は今、ゲームをしていた。
10人の兵が1人ずつ、剣をユアの頭上に放り投げ、一度も当たらなければ命だけは助けてやる、というゲームだ。
「じゃ、次、俺いきまーす!」
「お、ヨグルか。おーし、いけいけ」
「狙ってけよー、ヨグル。当てれば銀貨一袋だからなー」
「わかってますって。じゃ、いきますよー。そーれ!」
帝国兵がまた剣を回転させながら投げる。
剣はくるくると回りながら、今度はユアのすぐ横の地面に刺さる。
「わあああああん! まぁま! まぁま!」
「ユア! ユア! ああ、お願いです! どうか、あの子を許してあげてください! わたしはどうなっても構いません! ですから、どうかあの子だけは! あの子だけは!」
ララベルは必死に訴えるが、帝国兵達はへらへらと笑うばかりで相手にしない。
(どうして……どうしてこんなことに……)
帝国は侵略者だった。
オアシス国家から見て、帝国は西側にある。
これまで、オアシス国家は砂漠という天然の防壁により、独立を保ってきた。
が、帝国も学習する。
はじめのうちは慣れない砂漠に手こずっていた彼らも、しだいにノウハウをため、砂漠を越えられるようになっていく。
そして今、ララベルとユアの住むオアシス国家は、突如現れた第8皇子率いる帝国軍によって、あっけなく陥落したのだった。
オアシス国家にも軍はいたが、弓と槍を主武器とする彼らは、魔法草で強化された帝国の魔炎の前に、もろくも焼き尽くされてしまった。
金髪おかっぱ頭がトレードマークの帝国遠征軍司令官の第8皇子は、住民を広大な中央広場に集めると、演説を始めた。
帝国がいかに優れていて高貴なる存在であるか、他民族がいかに劣ったクズであるかを、たっぷりと聞かせてやるのだ。
「まったく、君達は実に愚かだねえ。西方に最強の帝国あり、という話は聞いていなかったのかい? 僕達のような尊貴なる存在を知らずに、よく今まで生きてこられたものだ。しょせんは蛮族ということかな?
それにしても、君達の軍の弱さと言ったら。うっぷぷぷ。よくあれで軍を名乗れるねえ。まるでゴミじゃないか。
さて、そんなゴミである君達に、崇高なる帝国の歴史を教えて上げよう。はじめに双子の子供が……」
住民は悔しそうな顔をしながら、けれども敗者であるため、歯ぎしりをするばかりで何も言えない。
そんな『惨めな敗者ども』に向けて、帝国の素晴らしさをたっぷり語るのが、皇子にとって最高の愉悦であった。
ところがこの日、せっかくの演説が邪魔をされてしまった。
「うわあああああん!」
演説の最中、赤ん坊の泣き声が響き渡ったのだ。
見ると、住民の中で赤子が1人泣き叫んでおり、それを母親らしき女が必死にあやしている。
皇子は激怒した。
ただちに母子を殺そうとして、そこでふと、母親が美人であることに気がついた。
あの顔をできるだけじっくりと絶望に染めてやりたいと思った。
「ねえ、そこの女。場合によっては子供の命を助けてやってもいいよ。一種のゲームだよ」
皇子はニヤニヤ笑いながら言った。
そして、幼子の頭上に剣を投げつけるゲームが始まったのだ。
1人目の帝国兵が剣を投げた。
2人目の帝国兵が剣を投げた。
「いや! いやあ! ユア! ユア!」
そのたびにララベルの顔が絶望と恐怖で真っ青になるのを見て、皇子は楽しそうに笑う。
どのみちオアシス都市の住民は皆殺しにするつもりでいるが、ただ殺すのではつまらない。こういう工夫があってこそ殺しも楽しくなるのさ、と皇子は自画自賛する。
ララベルはというと、気が狂いそうだった。
1人目の剣も2人目の剣も、運良くユアには当たらなかった。
が、ちょっと手元が狂っていれば、当たっていたのだ。
そうなっていれば、我が子の命は失われていただろう。
ユアが死ぬ。
このままだと死ぬ。
大切に育ててきたかわいい我が子が、目の前で殺される。
ララベルは顔を真っ青にして叫んだ。
「お、お願いします! わたしならいくら斬りつけてもかまいません! どうか! どうかお許しくださいませ! お願いします! お願いします!」
ララベルが必死に叫ぶ。
何度も何度も叫ぶ。
が、帝国兵達はゲラゲラと笑うばかりで、誰も助けようとしない。
「おーし、じゃあ次はオレがやるぜ」
「おお、怪力ゴーラか」
「待ってました! やれやれ!」
ゴーラと呼ばれたひときわ大柄な男は、その体格に見合うだけの大剣を軽々と持ち上げ、今まさに投げようとしていた。
「ああっ!」
ララベルは絶望の叫び声を上げた。
あんな大きな剣が当たったら、ユアのような赤子などひとたまりもないだろう。
「やめて! ユアに手を出さないで! わたしの! わたしの大切な子なの! だからお願い! やめて!」
「バーカ。誰がやめるかよ。お前はそこで黙ってみてな。ぎゃははは!」
ゴーラはバカにしたように笑うと、剣を投げようとする。
その時である。
1人の帝国兵が広場に駆け込んできた。
「た、たたた、大変です!」
「……なに?」
これからいいところなのに何だよ、と言いたげな顔で、司令官である皇子は兵士を見る。
「そそそ、その、外が、外が!」
「は? 外がどうしたって? 砂漠しかないじゃないか」
「そ、その砂漠が、一面緑で覆われているんです!」
「……はあ!?」
突然の謎の報告。
それが彼らの地獄の始まりだった。