第3話 月に行こう
魔法船に乗ってしばらく経った。
色々なことがありすぎたせいだろう。
僕は、ぼーっと座っていた。
メイドの女の子が、僕に毛布をかけ、あたたかいココアを飲ませてくれる。冷えた体にはありがたい。礼を言うと、女の子はピコンとうなずく。
ぼんやりとした心地よい時間。
「って、いやいやいや!」
僕は慌てて首を横に振った。
女の子がピココッと驚いたような音を出す。うん、ごめん。
でも、ぼーっとしている場合じゃない!
このわけのわからない状況はなんだ?
考えるべきことはいっぱいあるが、問題は1個ずつ解決しよう。
まずは……そうだ、魔法船は動いている。
どこに向かっているんだ?
僕は窓から外を見る。
(暗くてよく見えないな)
はじめはそう思っていた。
ところが、しばらくすると外が明るくなったのだ。
いや、明るくなったというのとは少し違うか。
あれは……。
「地球だ……」
僕は驚きの感情を込めて、つぶやいていた。
窓の外には、地球にしか見えない青く輝く星が存在していた。
「……いや、あれは……地球ではない?」
違和感に気づく。
大陸の形が違うのだ。あんな形の大陸、地球には存在しない。
地球に似ているけれども、地球ではない星。
僕はここに来てようやく、自分が異世界に来てしまったのだということを理解した。
「……あれが、僕達がさっきまでいた星?」
僕は女の子にたずねる。
女の子は無表情のまま、ピコンと電子音を立ててうなずく。
肯定らしい。
「僕達はどこに向かっているんだ?」
今度はそうたずねる。
だが、女の子は答えなかった。
どう答えていいのかわからないのか、ピューンと弱々しい電子音を立てて、申し訳なさそうに首を縮こませる。
「はい」か「いいえ」で答えられる質問しか、回答できないのだろうか。
「……ひょっとして、僕達は月に向かっている?」
女の子はすかさずピコンと力強い音を立てると、ぶんぶんと首を縦に振った。
イエスらしい。
「はは、そうか、月か……うん、月ね……」
本来なら、目が飛び出るほど驚くべき事実なのだろうけど、色々あってあまりにも驚き疲れているせいで、かえって冷静になってしまっている。
オーケー、理解した。
僕は月に向かっている。
……で、なんで月に連れて行かれているの?
僕は考え込んだ。
僕のスキルは『庭作り』である。
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[スキル名]
庭作り
[効果]
緑豊かな庭を作ることができる。
[制限]
他人の土地では使えない。
小麦や綿花や魔法草のように、衣食住に役立つ植物は育てられない。
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説明文の通り、庭を作ることしかできないはずだ。
なのに、このスキルを月に向けて使ったら、どういうわけか魔法船が降りてきて、メイド服の女の子に救出された。
一体どういうことだろうか?
「待てよ……」
僕は改めてスキルの文章を思い出し、そして「ああっ!」と叫んだ。
ひょっとしてこういうことだろうか。
スキルの説明文には、こう書いてあった。
緑豊かな庭を作ることが『できる』と。
そう、『できる』と書いてあるのだ。
僕はスキルを月に向けて使った。
でも、肝心の僕は、あわれにも月から遠く離れた星で牢屋に閉じ込められている。
このままでは僕は庭作りが『できない』。スキルの説明文が嘘になってしまう。
そこでスキルは、僕を月まで運ぶための魔法船と、僕を牢屋から救出するための女の子を生み出し、迎えに来させるという形で発動した。
これで僕は晴れて庭作りが『できる』ようになったというわけだ。
考えてみれば、昼間スキルを使った時も、何もないところから草を生み出したのだ。何もないところから魔法船や女の子を生みだしたっておかしくない。
たぶん、このスキルは、海に向けて使えば、庭作りのための緑豊かな陸地が浮上してくるのだろう。南極に使えば、庭作りのために氷が溶けて一面緑で覆われるのだろう。
そういう、何が何でも庭作りを『できる』ようにするスキルだったんだ。
「ん? ということは、まさか……」
はっと気がついた僕は、慌てて別の窓から外を見る。
魔法船の進行方向でもあるその窓には、月が映っていた。
「いや、あれは月……なのか……?」
なるほど月に見えなくもない。
白いし、丸い。
ただひとつ違うのは、地球のように青くなりつつあるということだ。
まるで『海が出来つつある』かのように、ものすごい速さで青くなっていく。
それだけではない。
心なしか表面に緑色の点々も見え始めている。
まるで『植物が生えつつある』かのようだ。
さらには綿のような白い何かまで、漂っている。
まるで『雲が生まれつつある』かのような……。
「なあ、あれは月か?」
女の子は無表情のまま、ピコンと電子音を立てて、うなずいた。
「じゃあ……あの青いのは海で、緑色のは植物で、白いのは雲……なのか?」
女の子はまたうなずいた。
なるほど『緑豊かな庭を作ることができる』というスキルを実現するためには、水と空気と植物が不可欠だ。
でも、月には、そのどれもが存在しない。
だから僕のスキルは親切にも、3つ全てを生み出してくれたってわけだ。
「ああ、うん、なるほど……」
人間、あまりにも大きなことをやってしまうと、どう反応していいのかわからなくなる。
地球では、月や火星に人が住めるようにしようと、国家単位で何十年とチャレンジしているが、いまだに実現は遠い。
だというのに、僕はそれを念じるだけで成し遂げてしまったのだ。
正直リアクションに困る。いや、やったのは僕なのだが。
「ああ、うん、なるほど……」
僕はとりあえずまた、意味のないことをつぶやく。
女の子は、ちょこんとかわいらしく首をかしげ、不思議そうな仕草で僕を見る。
「いやいや、なんでもないんだ」と僕は言う。
女の子はピコンと音を立ててうなずく。それから僕にまた温かいココアを差し出す。
僕は「ありがとう」と言い、ずずずっと飲む。
そうして数時間が過ぎた。
窓の外の月は、もう完全に青くなっている。そして、すぐ目の前にあった。
魔法船が月に到着しようとしていた。