流浪の旅人と読心少女
おはようございますこんにちはこんばんは。
短編投稿3作品目になります。前作までは現実世界が舞台でしたが、今回は一応異世界が舞台です。
稚拙だとは思いますが、何卒よろしくお願いします。よろしければ参考までに感想を頂けると幸いです。
石造りの家々が建ち並ぶ、どこかメルヘンチックな決して大きいとは言えない町。
時刻は午後11時を過ぎた。町に多く点在するガス燈はぼんやりと辺りを照らすほどしか光っていない。
人々の多くは寝静まり、町を歩くのは酔っ払いくらいか。
静寂に包まれた町に、ひとりの男が足を踏み入れた。
「やっと、町に入れたな……と言っても、こんな時間じゃ宿を取れるはずもない、か」
軽く汚れた少し高そうなローブを纏い、その下に年期の入った背嚢を背負い、腰には拳銃が1丁、反対側には片手直剣が備えられている。
落ち着き大人びた雰囲気をしているが、年齢にして18歳。まだまだ未熟な少年である。
「取り敢えず、野営が出来るところを探すか」
フードを頭から外し、少年は朧な夜の町の景色に溶け込んでいった。
★☆
暗い町中。右腰からから剣を下ろし、ベンチの上に寝かせた。
彼がいるのは、いわゆる空き地。ただ、地面は石畳で町の雰囲気にうまく溶け込み、空き地と言うより「小さな広場」という表現が適切だろう。
数年前に家と家族をなくし、頼るアテもなく、仕方なくといった形で町を転々とする生活を送っている。山に入っては獣を狩り、町で売る。川に入っては魚を捕らえ、腹を満たす。
安定した生活を送っているとはとても言えなかった。
(つっても、この旅は死ぬまで続くんだろうなぁ。まぁどこかに定住するより旅人として生きる方が性分にも合ってるか)
この町は、20日振りの町だ。久し振りとも感じられる落ち着いた景色に、溜め息を漏らした。
下ろした背嚢から布袋を取り出し、その中の干した魚の切れ身を口に入れる。こうした保存食は常に携帯している。
次いで水をひと口飲んだところで、コツンと、地面を鳴らす音が聴こえた。
顔を上げると、目の前にはひとりの少女が立っていた。暗くてよく見えないが、顔立ちは整っていて、纏う服もそれなりに良質なものだ。
「誰だ?」
「あなたこそ、誰?」
問いに問いで返す少女。
「なぁに。通りすがりの貧乏人さ」
皮肉っぽく答えると、僅かに反応を見せた少女はコツコツと音を立ててこちらへと歩いてきた。そして黙ったまま少年の横に腰掛ける。
「あなた、旅人?」
「まぁ、どっちかって言うと放浪者って方が合ってると思うが……なぜそう思った?」
「簡単よ。まずは服装。高そうだけど幾つも汚れてる所がある。次に、その剣と腰の鉄砲。普通の人はそんなに武装しない。
最後の根拠は……あなたが自分で言ってたもの」
「俺が?」
その言葉に、少年はハテナを浮かべる。自分がいつ、旅人だと言っただろうか、と。
しかしその謎は、すぐに瓦解した。
「『つっても、この旅は死ぬまで続くんだろうなぁ。まぁどこかに定住するより旅人として生きる方が性分にも合ってるか』」
「!?」
少年は大きく目を見開いた。
少女の口から発せられた台詞は、今しがた自分が心中で呟いたものと一言一句違わなかった。
そして少女が次に告げたのは──
「私、人の心が読めるの」
「……は?」
戯言とも取れるなんとも珍妙なひと言だった。
少年は言葉を失う。普通に考えればなんだそれと軽くあしらうだろう。だが確かにこの少女は自分の心のの声を言い当てた。
彼とて馬鹿ではない。現実に起こったことを否とするほど愚かではない。
「フッ。読心術とは、また随分とオカルティックなことだ」
「別に、信じる信じないはあなたの勝手よ。この町のほとんどの人間が私のチカラを認知しているのもまた事実だけれど」
もう慣れたとでも言わんばかりに、少女は淡々と言葉を紡ぐ。
「いや。信じるぞ」
「……え?」
「町の人間とか、わざわざ訊いたらバレる嘘ついても仕方ないしな。それに、既に実演してくれてるんだ。少々戸惑ったが、信じるには十分だな」
少女は明らかに動揺している。そんなあっさりと信じるものなのかと。しかし、彼の本心は言葉どおりのものだった。
彼女を見下ろす男の表情は、確かに微笑んでいる。
──なぜ?
少女はそう思った。男が確実に信じたというのは分かった。でも少女には分からなかった。
「気持ち悪いとか、思わないの?」
「ん? まぁ、心の内を全部見透かされてるってのはなんとも微妙な気分だが……別に覗かれて困ることもないしな。それに丸分かりな分、俺の言葉を信じてもらいやすい」
──分からない。
これまで彼女のチカラを知った者は例外なく、忌み、恐れ、蔑み、離れていった。両親でさえ、自分から距離を置いた。彼のように思う人は誰ひとりとしていなかった。
「変な人。でも、あなたみたいに言ってくれた人は、初めてだわ」
少女は俯き加減で少し、笑った。
「このチカラは鎖。私を縛って、どれだけ足掻いても外れない、硬く複雑な……誰にも見えない鎖」
少年は少女の言わんとしていることを悟った。
才を持つ者、力を持つ者、知を持つ者、いずれもそれぞれの抱える負の一面がある。それが鎖だ。
持つ者が持たざる者のことが分からぬように、持たざる者もまた持つ者のことは分からない。
「俺は読心術みたい特殊なチカラを持っていないから、お前の苦悩は分からないし、分かってやるとも言えない。そんな浅慮はかえって逆効果だ。
だけど、ひとつ言えることは、物事に対する認識や見解は人によって違うってこと。俺にとったら心を読めようが読めまいが、そんなもんは些細な違いに過ぎない。ただそれだけのことだ」
──初めてだ。こんな人も、いるんだ。
なんでもない風に語る少年の隣で、それに耳を傾ける少女は久し振りに心が温まる感覚に浸った。
「でも、それはそれとして」
と、男が声の調子を変えた。
「こんな夜中に子供が外出とは、頂けないな」
ビシッと少女の額に指を当て、そう言った。
「あ、あなただって大して変わらないじゃない!」
「言ったろ。俺は旅人だ。放浪人だ。帰る家なんてねぇの。この町にもさっき着いたとこだから宿も取れてないんだよ。今日はここで野宿だ」
ぬぅ〜、と少女は悔しそうに唸る。
「で? お前はなんでこんな時間にこんなとこにいるんだ?」
続く男の問いに少女はひとつ溜め息をつく。
「もうその『お前』って言うのやめて。私の名前はメアよ。もうすぐ16になるわ。あなたは?」
「……刹だ。歳は18だ」
刹と名乗る少年。妙に空いた間に少女──メアは違和感を覚えた。
「偽名、なの?」
そんな可能性が過ぎり、ジト目で訝しげに尋ねる。
「まさか。旅人に偽名なんざ、何の役にも立たんよ」
はぐらかされた。メアは少なからずそう感じた。しかし、彼の心も『ただ名乗るのを躊躇っただけ』とだけ言っているので信じざるを得なかった。
「それで、お前……メアは何しに来たんだ?」
再びジト目で睨まれ、刹は言い直す。
「別に何も。ただ落ち着くからよ、家に閉じこもってるよりね。だからこうして毎晩抜け出してここに来てるの。
私、この町でいちばん裕福な家に住んでるの。でも、親も親戚も、使用人も町の人たちもみーんな、私を腫れ物のように見るわ。だから誰もいない時間に、誰もいないこの場所に来るの。
……皮肉なものね。孤独がいちばんの幸せなんて」
メアは前へ向き直りそう答える。
本来は裕福な家庭に生まれたなら、それなりの将来を約束され、一般人より順風満帆な人生を送れるのだろう。だが彼女は異常。
故に、それは読心術を持ってしまったが為の悩み、辛み、苦しみ。誰に頼ることも、誰を信じることもできない。
「でも、あなたに会えて、初めて誰かといることに安心を感じられた」
誰とも違う価値観を持ち、今までの当たり前を容易く覆してくれた。こんな感情を抱いたのは、本当に久しぶりだった。
「そうか。そんなことを言われたのは生まれて初めてだが……存外嬉しいもんだな」
幼くして理解者を失い、単身旅人として、放浪人として生きてきた十数年間。金銭と衣食以外に得るものも有るのだと、メアの言葉にそう感じた。
★☆
「ねぇ刹、あなたはどれくらいこの町にいるの?」
もう日を跨いだ頃。メアは隣に座る刹にそう尋ねた。
もともとは明るい性格だったようで、今のメアは最初よりずっといい顔をしている。最初のどこか冷めたような表情は、今では年相応の明るい顔だ。
「そうだな……売れるもの売ってしばらく羽休めたいし、1週間はいるかな。どうした急に?」
「なら、明日から……いやもう今日か。今日から毎晩ここで会いましょう!」
「……はい?」
メアからの突然の提案に刹は素っ頓狂な声をあげる。
「言ったでしょ。刹は私の初めて安心できる人だって。だから、せめてあなたがこの町にいる間だけでも……ダメかな?」
一変してまた物憂げな表情になるメア。刹はゆっくりと彼女の頭に手をポンと置く。
「そうだな。メアがそうしたいのなら、そうしよう。俺でいいならいくらでも不満の捌け口にしてくれていいさ」
「……うん。ありがとう」
メアは刹の手をどけることなく、柔らかい笑顔を見せた。
★☆
約束通り、その日から刹とメアは夜中にふたりで会うようになった。刹が旅で訪れた国や町のことや、メアのこと、お互いの好きな物。ふたりは毎夜他愛のない会話に花を咲かせた。
昼間は、刹は宿で過ごしたり町を観光したり質屋で金を得たりと、長旅の疲れを癒す。メアはチカラの関係上、ほとんど家から出ることはなく、半隔離的な生活を送っている。学校には行けず勉強は全て家庭教師に頼み、町を歩くのも限られた時間の限られた範囲だ。
だからこそ、メアにとって夜の密会は心安らぐひと時だった。チカラを使っても嫌な顔ひとつせず本心に正直なまま笑い合える。やがてメアは、刹に対して心を読むことをしなくなった。
そんな時間は、刹にとっても実りある時間であることは間違いなかった。
しかし、その安らぎに突如亀裂が走ったのは5日目のことだった。
その夜もふたりはいつもの場所で落ち合った。
「そうだな……1年ほど前は南の方の国にいたんだが、そこが機械だらけでなぁ。町の至る所に歯車やらでっかいネジやらが剥き出しになってたのは正直言葉を失ったな」
「へぇー、世界にはそんなおかしな国もあるのね。この町じゃ機械なんて日用品くらいしか見ないわよ」
刹が旅した世界の話に笑い合っていた。
(私も刹みたいにいろんな国を見てみたい。外の世界を旅してみたい)
いつからかメアはそう思うようになった。
「刹。私もうすぐ誕生日だって言ったでしょ?」
「ん? 似たようなこと言ってたな」
刹は、メアが初めてあった日に「もうすぐ16になる」と言っていたのを思い出した。
「それって明明後日なの。でもその前に刹はこの町を出発してしまう。 ……だから明後日、何かプレゼントをちょうだい!」
「お前、会って5日のやつにプレゼントせがむって、なかなか図太い神経してるな」
言いながらも刹は柔らかくわらう。そしてひと言。
「覚えてたら、な」
「ありがと!」
メアは満面の笑みを浮かべる。
恐らく彼女はそんな些細なものすら貰えないのだろうと、もうすぐ16になる少女にしてはあどけないその笑顔を見て刹はそう思った。
「こんなところで何をしている、メア」
突然、冷たく鋭い声がふたりの会話を遮った。
瞬間、ふたりの間の時間が止まる。メアは顔を真っ青にし、声の主へと顔を向ける。そこには先程の笑顔は砂粒ほども残っていない。
「最近様子がおかしいと思ったら、まさかこんな時間に家を抜け出していようとはな」
倣って刹も正面へ顔を戻す。
そこには、何かの礼服だろうか整った服装に長い髪を後ろで括ったひとりの男が、腕を組んで立っていた。
「父……様……」
「父様?」
その男は、正真正銘メアの父親だった。
「お前は自分の立場を理解していないようだな。お前のチカラは不幸の火種だ。最低限の外出を認めているのにまだ災い撒こうとするとは。
それになんだその小汚い男は。どこの馬の骨ともしれん輩とつるむなど言語道断! 我が家の名を穢すつもりか!」
「刹のことは悪く言わないで! 彼はただひとり私のことを理解してくれた人よ!」
自らの娘を強く罵倒し、更に刹にまでも矛先を向ける父親に対し、メアは声を荒らげた。
「親に向かってその態度とは、躾が足りんようだなァ、メア!」
「そんなの知らないわ! 私を気味悪がって近づこうともしなかった癖に、こんな時だけ父親面しないで!」
激しく口論をする親子。刹はそれを、一切の表情を消して傍らから静観していた。
やがて父親は強行手段とばかりにメアの腕を掴みあげ強引に引く。
「離して! ……刹!」
顔を歪め、メアは刹に助けを叫ぶ。しかし刹は眉ひとつ動かさず沈黙している。
「刹ッ! 刹ッ!」
「フンッ。理解してくれたと言っても、所詮は他人。その程度のものだ」
父親に腕を引っ張られ、ひ弱な力でそれに抗いながらも、メアは刹の名を叫び続けた。
『────』
しかし、ふと、メアはそれをやめた。そして顔の歪みを消すと、そのまま父親と足取りを同じにし、去っていった。
その場には、ひとりの少年だけが取り残された。
★☆
町で最も大きな邸宅。その敷地には住宅とは別にその様式に似合わぬ木造りの建物があった。
その建物はいわゆる書庫。先々代当主が東国好きで、その当時に建てられたものだ。しかし、2度の代替わりを経て、ただあるだけのモノとなった。
そんな何十年も放置された書庫に、人の影がふたつ。
「しばらくここで頭を冷やせ。それまでここから出さん!」
「……ぅッ!」
暗い庫内で木霊するのはこの邸宅の現当主の怒鳴り声とその娘──メアの呻き声。
バタンッ! と勢いよく閉じられた扉。その直後に鳴る施錠音。無理矢理連れ帰られたメアは、その書庫に閉じ込められた。大きな独房に幽閉された、そう言っても間違いではないだろう。
「こんなボロ屋誰も使わないし、誰も近づかない。心を読む相手もいないし、隔絶するにはもってこいね……」
時刻は深夜1時。高い窓から僅かな月光しか入らない、昏い密室でメアは呟いた。
彼女が思うのはただひとりの存在。孤独を晴らし、幸せをくれ、黙って別れを告げた、ひとりの歳上の少年。
(…………刹)
ギュッと目を閉じ、目尻に雫を浮かべ、祈るように両手を胸の前で握る。
再び開かれたその瞳には、そこに宿る灯は、しかし、まだその輝きを消してはいなかった。
そんな彼女がいる書庫を擁する広い敷地を持つ屋敷。
2階建ての建物の屋根の上からソレを真っ直ぐに鋭い目で見据える、ひとつの影があった。
★☆
滞在7日目の午後。刹は立ち寄った店の主人から瓶を3本受け取った。
「にしてもニィちゃん、旅人だろう? そんなモン何に使うんだ?」
「別に。ちょっとした野暮用さ。あって困るような物でもないからな」
「ふぅん……そうか。ま、達者でな」
主人と軽く言葉を交わし、店を後にする。
「後はあれだけだな」
そう零し、手に入れた3本の一升瓶を背嚢に入れた。
★☆
時は進み夜も更けた12時。
「刹、やっぱりもう行っちゃったかな……」
本棚のひとつにもたれ掛かり、床に座り込むメアの傍らには何冊か本が落ちていた。
最後に彼と別れてから2日が経とうとしている。それは刹の滞在期間である7日が先程過ぎたことを表していた。
1日に3度、食事を持ってくる使用人以外人とは会わず、気を紛らわすために何冊か本を読んだが、15歳の少女には難しいものばかりだった。
「いや、もう12時過ぎたから16歳か」
そう。刹が街を去った翌日に彼女は誕生日を迎えた。
「最後にもういちど会いたかったなぁ……」
声も、体も、心も、己の何もかもが震える。辛く、苦しく、悲しく、寂しく、恐ろしい。かつてこれほどまでの負の感情を覚えたことはなかった。
──バキッ
微かに、そんな音が聴こえた気がした。顔を上げるが特に変わった様子はない。
──バキッ
今度は確かに聴こえた。扉の方からだ。
木の割れるような音に混じって、所々で金属音が聴こえる。
──バキッ、バキッ、バキッ
それが数回続くと、ゴト……と、何かが落ちた音がした。そのほんの1秒後、ギィィと扉が開く音とともに、ひとつの影が月光を背にして独房に足を踏み入れた。
「遅くなってごめんな……メア」
自然、涙が溢れた。止めることなどできるはずもなかった。
そこには、右手に剣を持った刹が立っていた。
「刹…………」
途端にメアの脳裏をある言葉が駆け巡った。
それはあの夜。父親に腕を引っ張られ、メアは刹に助けを求めた。しかし、彼はピクリとも動かなかった。
──だから少女は少年の心を覗いた。
『……待ってろ』
『お前の鎖は、俺が断ち切ってやる』
沈黙する少年の心は、少女に最後の希望を与えた。
刹の足下には四角く切り取られたドアの一部が転がっている。月光に照らされたその木の板には、鍵穴がそのまま埋め込まれている。
刹はゆっくりとメアの元へと歩いていく。
メアは刹にしがみつき、泣いて泣いて泣きじゃくって、彼のローブを濡らした。
「うぅ……せつ、せつぅ……」
嗚咽を混じえ、何度も何度も少年の名を呼ぶ。
刹は、それに応えるように、そっとその髪を撫でた。
「メア。お前が望むなら、今のお前を終わらせてやる」
メアが泣き止んだのを確認すると、刹はそう切り出した。それに対しメアは、
「刹。私を……私を一緒に連れてって」
「フッ。訊くまでもなかったな」
そう言うと刹は背嚢から瓶を3本取り出した。
「なに? それ」
「お前を殺すための道具だ」
メアは突然の言葉に耳を疑い言葉を失ったが、その言葉の意味は刹の心が教えてくれた。
「わかった」
メアの答えを聞くと、刹は瓶を空中へ投げる。それを構えた右手の剣で三閃、そのまま流れるよにうに剣を納める。真っ二つに割れた瓶は中の液体を盛大に散らし床で割れた。
広範囲に散った液体は床を、本を、机を濡らす。ひと飛沫としてメアに被害がなかったのは、刹の技量が成せる業だろう。
そして刹は、メアを片腕で抱きしめ、左手で懐から小さな四角い金属塊を取る。
その金属塊はライター。そして、撒かれた液体の名称は油。
「これで今の鎖に縛られたお前は死ぬ。これから生きるのは新しい、何にも縛られないお前だ」
「うん……」
孤独に生き、自由を認められた少女の目には、僅かに残った涙の雫と確かな意志が宿っていた。
刹の手から、火を灯した金属塊が床に落ちた。
★☆
静かな夜に、明かりが灯った。街灯やランプのような小さい明かりではなく、燦然と、猛るように輝く光。その正体は高く燃え盛る炎。火元はとある屋敷の木造建築物。火事の規模としては相当なものだろう。石造りの住居には被害がないものの、火元の書庫の全焼は免れないだろう。
慌てた使用人に起こされた住人たちは総出で消火活動にあたる。10分ほど遅れて、消防隊も到着した。
「メアだ! メアが中にいるんだ!」
使用人や消防隊員たちと必死で消火にあたる屋敷の当主は叫ぶ。中に娘がいる、絶対に助けろと。いくら突き放していようと自身の娘。親としての矜恃か、それとも愛か、声を荒らげる。
だが火は既に建物全てを覆い尽くしている。更に言うと書庫ゆえに数多の本──燃えやすいもの──があり、瓶3本とはいえ油まで撒かれているのだ。中に人がいれば生存の可能性はほとんどゼロだろう。
周辺住民の助力もあり、数十分かけて鎮火するも、書庫は黒く焼け焦げ既にその原型を留めてはいなかった。
立ち尽くす屋敷の当主は、その黒い残骸を前にし、口が塞がらず、ガクリと膝を着く。
その様子を、2階建ての建物の屋根の上から、火事の元凶である刹と、燃えた書庫を擁する屋敷の“元”ひとり娘であるメアが眺めていた。
「メア。今更だけど、本当によかったんだよな」
今回の一件で、メアは死んだものとなった。書庫は原型も留めず全焼したわけだから、当然刹が壊した扉も欠損など関係なく燃え尽きている。つまり客観的に見ると、焼け跡から誰も発見されなかったということは、密室に取り残された少女は骨すら残さず焼死したことになる。
しかし当の本人は、自身の家を捨て、家族を捨て、黒いスクラップとなった自身の家の書庫の光景を眺めているのだ。
「別に。あんな家に思い出なんてないわ。だから心残りなんて何もない……それに、思い出ならこれから刹と一緒に作っていくもの」
「そうか。そりゃあ楽しみだ」
「うん…………それより刹。そろそろ……おろして」
突然メアが思い出したようにモジモジしだした。
現在メアは、刹にいわゆる「お姫様抱っこ」をされている。
書庫に火をつけた後、刹は即座にメアをお姫様抱っこし、驚異的な跳躍を駆使して屋敷からここまで移動してきたのだが、一向に下ろす気配がなく、そのうちメアは恥ずかしくなってきて顔を真っ赤にしている。
「おっと。悪い悪い」
刹はメアをそっとその場に下ろす。
「それと、これも渡さないとな」
改めてメアを見据える。
そしてローブの衣嚢から花の髪飾りを手に取り、そっとメアの髪に備える。
「やっぱり、誕生日プレゼントは当日渡した方が、いいだろ?」
髪を梳くようにスルリと手を離す。
メアは腕を震わせ、確かめるように頭の髪飾りに手を添えた。瞬間。ボッと、その真っ赤な顔が更に紅潮する。
その顔を隠すように、刹に抱きつき顔をうずめる。
「あり……がどう……ずっと、ずっと……大事に、するね……」
「あぁ……誕生日おめでとう。メア」
刹はメアをそっと抱きしめ、髪を撫でる。
夜はまだ明ける気配はない。
屋敷の近くに住む人々は火事を聞き付け集まり、遠い人は夢の中。
故に、ギュッと手を繋ぎ、町を抜け出す少年と少女の姿を見た者は、誰ひとりとしていなかった。
〜Fin〜
ご拝読ありがとうございました。
前書きでも言いましたが、読んだ感想を頂けるとありがたいです。
他にも2作品、短編小説を投稿していますので、未読でしたらどうぞ暇潰しにでも御一読下さい。
最後に改めて、ご拝読ありがとうございました。