ゴザル
「僕、村を出て王立魔導学院に入ろうと思う」
村人総出での宴が行われた次の日の朝。
僕は母さんに向かってそう言った。
きっと、母さんもその理由には気付いただろう。
「そう.........あなたがそう決めたのなら私は何も言わないわ。だけど一つだけ、アンリちゃんの邪魔はしちゃ駄目よ?あの子は勇者様と結婚するんだから...........」
少し悲しそうな顔をして母さんはそう言った。
ごめん、母さん。
それは出来ない約束なんだ。
もう前を向いて先に進み始めているだろうアンリには悪いけど、このままだと僕は前に進めない気がするんだ。
だから、一言だけでも想いを伝えさせて欲しい。
「わかってるよ。母さん」
だから僕は、嘘をついた。
『ますたぁ、嘘ついたのー。ローチはお見通しだよー?』
「ははは........ローチには勝てないなぁ.........」
ガサガサと草むらをかき分けながら森の中を進む。
朝の会話。僕が嘘をついたのはローチにはバレバレだったらしい。
割と上手く隠したつもりだったんだけど、母さんももしかしたら気付いてるのかもしれない。
―――ブブ.........ブブブブ
目の前を赤い虫が通り過ぎていく。
「『紅鱗蜂』か..........」
燃えるような赤い鱗を持った蜂。
正確にはこれは鱗じゃないけれど、細かく重なった甲殻は鱗のように見える。
標本にしても値段はそこそこ。素材としての用途は毒以外あまりないし、その毒もあまり使い勝手の良いものでもない。
だけど、僕が小さい頃に初めて作った標本がこの虫の標本だ。
あの紅がルビーやガーネットみたいな宝石みたいに輝いて見えて.........確か、5歳の時、うちに預けられるようになった頃の元気が無かったアンリを喜ばせたくて作ったんだ。
あの時の僕も馬鹿だったよね。
蜂の標本を見せられて喜ぶ女の子なんて普通居る訳ないのに。
あの時のアンリもちょっと困った顔してた。
反応を見てから気付いた僕は慌ててそれを彼女の見えないところにしまって、そんな僕が面白かったのか彼女はその時に初めて僕の前で笑った。
その時の彼女の笑顔は眩しくて、今まで近所の大人しい女の子だったアンリのイメージがガラッと変わった。
今思えば僕はその時から彼女に恋していたのかもしれない。
それからだんだんとアンリと仲良くなっていって、いつも自分の隣にいる掛け替えのない存在になっていって..................少し感傷に浸りすぎだな。
「はぁ........女々しいなぁ..........」
『ますたぁさみしいの?』
「まあ、ちょっぴりね。最後に一度だけ、会いたい人が居るんだ」
『ローチは..........いつでもますたぁと一緒だからね.......?』
「ふふっ、ローチは優しいね」
パタパタと飛んで肩に乗っかったローチを指先でくいくいと撫でる。
思えば不思議な力を貰ったものだ。
ゴキブリと会話して、さらにはそれを家族だなんて呼んでるなんて端から見れば気が狂っているとしか思えないだろう。
でも実際僕はそんな力を手に入れて、それで呼び出された一匹の虫に助けられている。
ローチは昨日出会ったばっかりだけれど、僕の言いようのない孤独感を癒してくれた。
彼女の代わりにはなれなくとも、明るくて子供っぽいローチは倒れそうな僕を気付かないうちに支えてくれていた。
『えへへ、ますたぁに撫でて貰えて嬉しいのー♪』
肩の上で嬉しそうにふるふる震えるローチ。
一人と一匹が向かうのは昨日も行った、森の中の開けた場所。
歩きながら肩に乗った小さな家族を愛おしそうに撫でるエド。
まさかローチの身にあんなことが起きるとは、この時のエドは知る由もなかった。
「さて、と...........タイムリミットまで、しっかり鍛えますか」
草むらの中に立ち、ぐいーっ、と伸びをするエド。
あれから母さんと話して、王都へと向かう予定も決めた。
一人で町まで行くのは流石に危険だ。
だから、昨日のゴブリンキングの件で近隣のギルドから調査隊が派遣されるので、その調査隊が帰るのに同行させて貰おうという予定になった。
村で唯一町への連絡手段を持っているダゴマさんに既にギルドへの連絡は済ませて貰ったから、派遣されるギルド職員や冒険者達もその事は皆わかってくれたそうだ。
むこうのギルドマスターからは「受験頑張れよ!お前ならぜったい受かる!」との伝言まで頂いた。
どうやらそのギルドマスターはSランク冒険者である父さんと親交があるらしく、僕の話はよく聞いているそうだ。
っと、そろそろ今日の予定に入らないと。
時間は有限。
王立魔導学院に着くまでに、出来るだけのことはしておきたい。
『今日はなにするのー?』
「新しい仲間を増やそうと思う。『召喚士』としての力をもっと付けたいんだ」
『仲間ー!』
背の低い草原の上でぴょんぴょん跳ねるローチ。
ゴキブリなのに相変わらずやっぱり可愛い。
「じゃあ何を召喚するかねぇ........」
マジックバッグからあの昆虫図鑑を取り出してパラパラとめくる。
今度はどんな虫を召喚しようか.........。
所でだが、今の一人と一匹のステータスはこんな感じだ。
エドガー・ファーブル 男 16歳 召喚士
Lv.31
HP1890/1890
MP1940/1940
力1700
守1430
速1700
魔1860
器2300
スキル:召喚魔法Lv.2 槍術Lv.9 火魔法Lv.3
加護:勇気の証
ローチ 女 1歳
Lv.17
HP620/620
MP700/700
力410
守220
速3680
魔600
器400
スキル:風魔法Lv.3 忍術Lv.2
ローチのステータスもぐんぐん上がり、ただでさえ化け物じみていた【速】が更にすごいことになった。
スキルも順調に上がっているようで何よりだ。
僕のステータスも、一般的な人のステータスの伸びがどれぐらいなのかは知らないけれど、驚異的な伸びを見せていることだけはわかる。
だって全ステータスの桁がおかしいもの。
だけどそれよりも気になる物が一つ増えた。
加護【勇気の証】だ。
今日、目が覚めてステータスを確認したらなんか増えていた。
いつ加護を貰うような事をしただろうか?と小一時間考えたけど結局『ゴブリンキングの討伐』しか思い浮かばなかった。
でもゴブリンキングの討伐で加護が貰えるのなら加護持ちの冒険者は世界に沢山いるはずで、そんなに沢山加護持ちが居たら【魔王】を倒すのに【勇者】なんて必要無いぐらいの超人世界になってしまう。
でも他に心当たりも無いし..............そもそもこれって【加護】なんだろうか?
だって名前は【勇気の証】だ。
話とかで聞くような【○○の加護】なんて名前じゃない。
【加護】で与えられた能力が何かもまだわからないし...........。
今はこれについては置いておこう。
何を召喚するか考えるのが先だ。
―――パラ、パラパラ
静かな森の中に本をめくる音だけが響く。
―――パラパラ...........パラ.......
「あ、これ........」
ページをめくる音が止まったのはクワガタが沢山載っているページ。
その中の一匹にエドの目は引きつけられた。
「【アマミノコギリクワガタ】。別名【リュウキュウノコギリクワガタ】と、ニホン?........勇者の故郷だよな?では最大種のノコギリクワガタなのか。あの魔境で生き抜く力をもったノコギリクワガタの最大種、いいかもしれない」
エドはローチのスペックの高さから『勇者の故郷であるニホンは魔王領を超える大魔境』だと思っているのだ!
「ローチ、アマミノコギリクワガタの雄を召喚するよ」
『わー、ローチ見たことなーい!』
槍を地面に突き立てて、エドは図鑑を片手に魔力を練り始める。
「行くぞ、召喚!『アマミノコギリクワガタ』!!」
カッ!と地面が輝き、魔法陣が展開される。
薄い蒼色を放って輝く魔法陣の中からズズズズズという効果音と共に赤褐色の滑らかな甲殻が見え始める。
雄大な大自然を象徴するかのように美しく湾曲した雄々しい大アゴ。
目算では大きさは恐らく78ミリメートル。図鑑に書いてある最大サイズにかなり近い大物だ。
「此奴が.........!!」
魔法陣から現れた其奴を見る。
凄い。
ここまで見るからに強そうなクワガタは始めて見た。此方の世界のクワガタムシは皆似たり寄ったりでその強さ、特殊性等を感じられないのだ。
そして彼はスッ、と此方を見上げ、
『お主が某のマスターでござるか』
ゴザル。
しかもめっちゃ良い渋い声。
「す、凄い..........ゴザルってどういう意味だ........?」
『ゴザルはゴザルなのー!』
『うむ、マスターで間違いないようでござるな。お供仕る』
新しい仲間は侍(擬き)だった。