2 ビッグバン BIG BANG
優香が亡くなった。
そう聞かされた時、頭が真っ白になった。
塾の帰り道、交通事故でひき逃げにあった。道路を渡ろうとして車にひき逃げされたらしい。恵里菜が電話で教えてくれた。見つかった時はまだ息をしていた。病院に着いた時点で、既に手遅れだった。
優香と最後に話したのは、一昨日の課外授業だった。職業体験で商店街で販売の体験をした。優香とは同じ班だった。あまり客は来ず、もっぱら将来何になりたいか、皆でそんな話をしていた。
「 新野君は何になりたいの? 」
「 オレは何も決まってないよ。第一、何になりたいかなんて考えたことも無い。 」
「 大丈夫? みんな何か考えてるよ。 」
「 いいんだ俺。ゆっくり構えるタイプだから。 」
「 そうなんだ。じゃ大丈夫だね。 」
単純で分かり易く深追いしない。だから優香が好きだった。それにしても僕の答えは何て軽薄なんだろう。もうちょっと気の利いた答えが出来たはずだ。
買い物に付き合ったこと、体育祭の打ち上げで二人だけで帰ったこと、修学旅行の自由時間、同じグループで海で過ごしたこと。時間が逆戻りして何度も頭の中を駆け巡った。優香をひき逃げした相手を恨む気持ちは不思議と湧いて来なかった。 僕の中に [ 死=全ての終わり ] という図式がある。前世や死後の世界は信じていない。
とにかく、もう学校へ行く理由が無くなった。お通夜やお葬式に誘われたが行かなかった。
それから空白の時間が流れた。
いつもの時間に起きて、本を読んだり、ネットを見たり、ギターを弾いたりして過ごす。何日経ってもその3つを繰り返し、過ごした。
一緒に暮らすのは父親だけ。ウェブ製作関連の仕事で、ほとんど家で仕事をしている。メゾネットの1階に父の部屋があり、2階は全部僕の部屋だ。父は学校でのことは何も聞かないし、学校に行かなくても何も言わない。仕事や学校のことは家族の間に持ち込まないのが主義らしい。これは、母がまだ元気な頃から同じだった。
3年前、母が亡くなった。癌が母の体を蝕んだ。癌を発見した時には、もうあちらこちらに転移していた。母は元気を無くし、回復する兆しも無かった。僕は父に一度だけ泣いて頼んだ。何とかして母を元気にして欲しい。母が死んだら父のせいだと。しかし、父や医師の努力もむなしく、母はあっという間に亡くなってしまった。
父と母は大の仲良しだった。というよりも父は母に完全に頼りきっていた。仕事以外の身の回りのことは全て母がやっていた。父の世話を焼くのは母の生き甲斐だった。
母が亡くなると、父は呆然として過ごした。そしてサラリーマンを辞めた。下着の場所、通帳やハンコの在り処さえ知らなかった。しばらく母に代わって僕が世話を焼いた。1年間は魂の抜け殻になり、家からほとんど出なかった。
去年、突然今のマンションに引っ越した。思い出の詰まった家を後にして、完成したばかりの新しいマンションに移り住んだ。父は母のことを思い出すのが辛かったのだろう。父は1年過ぎたぐらいで立ち直り、サラリーマン時代のコネを生かして、企業のサイトを製作・管理する仕事をやり始めていた。
優香が亡くなり、僕も父と同じ様に嫌な思いをすることになる。大切な人を失った痛み。
人の心は何故痛んだり、病んだりするのだろう。でも、母も優香も僕の心の中に生き続けている。
「 優香は何を目指してんの? 」
「 私、動物好きだから、獣医かトリマーだな。犬が大好きなの。さくら知ってるでしょ。さくらと居る時が一番幸せ。さくらになら何でも話せるし、ちっとも嫌な顔しないで何でも聞いてくれるの。犬は私を幸せにしてくれるから、だからその恩返しに、犬に幸せになってもらうの。 」
「 なんかすげーな。もうすっかり決めてるじゃん。優香頭いいし、大丈夫だよ。頑張りなよ。 」
さくらは優香の愛犬だ。学校から帰ると犬の散歩に出掛けるのを日課にしている。以前、一日買い物に付き合ったことがある。帰りに優香の家に立ち寄り、散歩に付き合った。
「 時間があるんだったら、犬の散歩に付き合って。 」
優香は一度家に戻り荷物を置くとさくらを連れて出てきた。
足が短く、目がクリッとした愛嬌のある犬だった。コーギーという犬種で、さくらという名前であることを教えてもらった。「さくら」と声をかけると嬉しそうな顔をしながら短い後ろ足を支点に寄りかかってきた。僕も犬が好きなので、リードを持たせてもらった。後ろ姿を見ているとシッポが無いことに気付いた。
「 あれ、シッポが無いんだ、この犬は。 」
「 そう。断尾するの。だ・ん・び。生まれたらすぐシッポをゴムで括って血流を止めるの。そうしたら自然にシッポが落ちるでしょ。昔、イギリスの農場では取っちゃうのが普通だったの。犬がシッポを怪我したりすると治りにくいのを知っていたのよ。 」
「 痛くないの、それ? 」
「 生まれてすぐだと、まだ神経も発達してないし、大丈夫みたい。でも、シッポは無いけど、嬉しい時は付け根の所が動くの。ホラ。 」
優香がさくらを抱き上げると、さくらのお尻をこちらに向けた。シッポが付いていたであろう部分がひょこひょこと動いていた。優香がさくらにキスしようと顔に近付けたが、思いっきり顔を舐め回されていた。僕はそれを見て笑った。