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番外編その1

 ロイドには、親の腕に抱かれた記憶がない。笑いかけられたこともなく、名前を呼ばれたこともない。それどころか、物心ついた時にはすでに別邸に押し込まれ隔離されていた彼は、親の顔すらろくに知らなかった。

 これらの待遇は全て彼が魔術を使えないことに由来する。

 魔力が高い者のみに許された貴族という特権階級と徹底的な魔力至上主義は貴族たちに尋常ならざる選民意識を植え付け、魔術が使えないものは人間ですらないという価値観が当たり前のように存在していた。

 そして高い魔力とそれから生み出される魔術が何よりも誇りである彼らにとって、自分たちの中から魔力が低く、魔術が使えないものが現れるのはあってはならないこと。

 『加護堕ち』

 貴族たちが忌む存在、それがロイドなのだ。

 当然彼の両親は、彼を別邸に追いやっていこう一度として会いに来たことはない。兄弟もまた然りだ。使用人達は毎日食事やその他備品を置いていくだけ。

 しかし彼は孤独ではなかった。

 彼のそばには親に代わって世話をしてくれた人物がいたからだ。

 それはすでに亡くなっていた先代当主、つまりはロイドの祖父に仕えていた執事であった。

 彼は厳しい人で、勉強、武術、礼儀作法、何一つ手を抜かれることはなかったし、特に剣術については過酷なあまりロイドは自分の命の危機すら感じた。

 それでもロイドが彼を嫌わなかったのは厳しさの裏に愛情があることをわかっていたからだ。だからこそロイドは彼を尊敬して、師匠と呼んでいた。

 実は、一度だけ彼を「お祖父様」と呼んだことがある。ロイドにとって、自分を疎んじ会いに来ることもない血縁者よりも、彼のほうがよほど家族だと思えたのだ。

 しかしそれは、その場で師にたしなめられた。


「あなたには、私などよりも立派な祖父がおられます」


 それはロイドの実の祖父のことであった。

 師はロイドに祖父のことをいろいろ話してくれた。

 祖父はこの国の貴族では珍しい革新的な考えの持ち主であり、このままではこの国に未来はないと訴え様々な政策に取り組んだ。

 平民を差別することがなく、有能なものは側近にまでしてしまう祖父は平民からは熱い支持を受けていたが、貴族たちからは侯爵という立場でありながら疎外されていた。

 それでも国を変えようと尽力していた祖父だったが、周囲の貴族の手を借りた実の息子にその座を追われ、失脚させられてしまい、更に追い打ちをかけるように病魔に侵され失意の中、亡くなってしまったと言う。


「あの方が生きておられましたら、ロイド様のことをとても可愛がられましたでしょうに」


 そう語る師の目の端に光るものを見て、ロイドは師の中にある未だ薄れぬ敬愛の念を感じた。

 ロイドもまた一度も会ったことのない祖父に尊敬し、そしてこれほどまでに祖父を慕う師に、祖父を差し置いてお祖父様と呼んでは失礼にあたると感じて、以後一括して師と呼びつづけた。


 そしてロイドが十五の時、騎士になると同時に師と共に家から出た。

 実家の力を借りるのが嫌で、金品類は何一つ持ち出さなかった為、それまで育ってきた屋敷とは比べ物にならないほど狭くて小さくておんぼろな家に身を寄せ、爪に火を灯すような生活になった。

 しかしロイドに不満などなかった。相変わらず貴族たちからは嘲笑され、同僚である平民出身の騎士たちからは腫れ物に触るような扱いを受けているが、それでももう背中を丸め、息を殺すように暮らさなくていいし、あんな両親から施しを受けずに生きていける。そして何より師がいる。それだけでロイドには十分だったのだ。

 だが、その幸せも長くは続かなかった。

 師が病に倒れたのだ。

 決して治らない病気ではなかった。しかしその薬はとても高価で、とても新米騎士に手に入いる代物ではなく、ロイドは実家を頼ることにした。葛藤がなかったわけではない。しかし、自分のプライドを殴り捨ててでも、師を助けたかったのだ。

 だが、ロイドは実家の敷地内に入ることすら許されなかった。どんなに叫んでも、どんなに乞うても、家族は疎か使用人すら顔を見せることなく、門は固く閉ざされたままだった。

 己の無力さに打ちのめされながら、日に日に体が衰えていく師をロイドは懸命に看病した。

 しかしロイドの尽力も虚しく、別れの時はすぐにやってきてしまう。

 最期の夜、やつれ、息も絶え絶えの様子の師はそれでも穏やかな表情をしていた。おそらく、彼は自らの死を受け入れていたのだろう。

 だがロイドにはできなかった。したくなかった。だから必死に師の手を握り、死なないでくれ、置いて行かないでくれ、と泣き叫んだ。

 そんなロイドを、師は男がそんなに泣くものではないとたしなめて、剣の修行を怠らず強く生きてほしい。それだけを告げ、師は永遠の眠りについた。

 ロイドは何もできない我が身が呪わしかった。無力な自分が恨めしかった。

 一生の恩人である師。両親にすら受けなかった愛を、余りあるほど与えてくれた人。

 だけれど、その恩を、愛情を、ろくに返す事もできず師は逝ってしまった。

 どうして師は死んだのか。なぜ死ななくてはいけなかったのか。どうすれば助けられたのか。せめて自分に少しでも魔力があったら違ったのだろうか。『加護堕ち』でさえなければ何かが変わっていたのか。自分が生まれてきたのが間違いだったのか。

 吹き荒れる嵐のような激情を制御できずロイドは一晩中、むせび泣いた。


 それ以来、ロイドは泣いたことがない。それどころか、笑ったことも怒ったことも、一度だってない。

 師が亡くなった時に心も一緒に死んでしまったのか、あれからというもの何をしても何を見ても何をされても何を言われても、何一つ心が動かなくなったのだ。しかし、そのこと自体ロイドにはどうでもいいことだった。

 そうしているうち、彼にも任務が命じられるようになったのだが、そのどれもこれもが成りたての騎士どころか、熟練の戦士にすら難しいような過酷なものばかりだった。師という存在が消えたことで、実家や他の貴族が露骨に彼を潰そうとしたのだろう。

 だが周囲の思惑に反し、彼は与えられた全ての任務を見事に遂行させ、いつしか他の騎士たちか羨望の眼差しを向けられるようになったが、それにもロイドは何も感じなかった。

 気づけば、師が亡くなって五年の歳月が経過していた。

 それでも、ロイドは変わらず与えられた任務をこなし、剣を振るうだけの淡々とした日々を送っており、自分はきっと死ぬまでこんな生活が続いていくのだろうと、ぼんやりと思っていた。

 しかし、転機は意外なところで訪れる。

 百年に一度行われる聖女の召喚の儀式。これには貴族全員の出席が義務付けられていて、ロイドも参加させられた。ロイドも周りも、彼が貴族だとは思っていないが、貴族の血が流れる者は皆すべからく貴族であるというはた迷惑な規定があるのだから仕方がない。周囲の白い目と陰口を受け流しつつロイドはさっさと終わるのを待った。

 やがて準備が整い、神官たちが詠唱すると魔法陣が強い光を発し、それが治まるとそこに二人の少女がいた。片方は国でも滅多に見られないほど綺麗な顔立ちをしていて、もう片方は普通の少女である。

 まさかこのようなことになるとは予想していなかったロイドは黙って成り行きを見守ったていると、何故か普通の少女だけがどこかに連れだされ、美少女のみ残された。彼女の方が聖女のようだが、あの短時間でどうやって区別したのだろう。ロイドが疑問に思っていると、宰相がやってきて彼に連れだされた少女の面倒を見るように命じられた。

 驚いたことに、あの少女は牢屋に連れて行かれたらしい。どう見てもただ巻き込まれただけであろう少女をそんなところに入れるなんて相変わらずこの国はめちゃくちゃだと内心ため息をつきつつ、彼女のもとに向かう。

 牢屋に繋がれていた少女・スズカを連れ出し事情を話すと、彼女はひどく錯乱し、止めどなく涙を流した。

 わけも分からず突然別世界に連れて来られ、もう帰れないというのだから彼女の哀傷は推して知るべしだろう。泣きじゃくる少女があまりに不憫でロイドの胸に憐憫の情が湧きでた。それはロイドが久方ぶりに抱いた感情であった。

 翌日、このまま塞ぎこんでしまわないか心配するロイドをよそに、スズカはなんとか現状を受け入れようとし、その上ロイドに謝罪までしてきたことには驚いた。自分たちは彼女に憎まれ、恨まれても仕方がないことをした自覚があるからだ。

 とても気丈で健気な少女だと思った。

 しかし、彼女が聖女に会いたいと言った時は正直どうしようかと悩んだ。なにせ、今頃聖女の元には大勢の貴族が押しかけ、媚を売っているのがわかっていたので、そんなところに自分が言っても門前払いされるのが目に見えていた。だからといってのあっさり拒否するも気が引け、あまり期待しないで欲しいことを付け足し受諾したのだ。

 『加護堕ち』風情が聖女に取り入るなどとと笑われつつなんとか引き合わせることができたのだが、あれ以来スズカがリアムと会いたいと言うことはなかった。

 二人の間でどんな会話があったかは知らないが、リアムに対して苦手意識のあるロイドはホッとした。というのも、リアムと初めて会った時、彼女は貴族たちから事前に『加護堕ち』というものを聞いていたらしい彼女は開口一番にこう言ったのだ。

 『かわいそうに。今までとても辛い思いをしてきたんですね。私にできることならなんでもしますから言ってくださいね』と、柔らかい微笑みとともに。

 だが、ロイドは気づいた、自分に向けられる微笑みの向こうに自分より立場が低く劣る存在に対する優越感と、そんな存在に慈しみを与える自分への陶酔があるということを。そして彼女にその自覚がないということにも。

 他者を見下すのも驕り高ぶっているのも貴族と同じだが、表面上は聖人君子を装い、なおかつ全く悪気のないところが貴族たち以上にたちが悪く思えた。それに彼女はどうも気が多いらしく、常に複数の男性、特に侯爵家嫡男である三人に対し色目を使っているようで、そういうところも個人的に好きになれなかったのだ。

 一方で、スズカと共に過ごす時間は彼に安らぎを与えてくれた。安らぎなんて感じるのさえ久しぶりで、それを師以外の人から受けるのは初めてのことだ。彼女は自分になんの偏見もなく、純粋に慕ってくれる。それがとても心地良く、だから自分の出自については、決して言わなかった。

 異世界から来た彼女に、『加護堕ち』なんて無関係だが、それでも彼女にほんの少しでも厭われたらと思うと怖くてたまらなかったのだ。しかし結局それは、他人の口からバラされるという最悪の結果しか招かなかった。

 スズカに真実を話した時、嫌われてしまうと覚悟した。なんて意気地のない、情けないやつなんだと謗られると思った。

 しかし、スズカの言葉は彼にとって全く予想もしていない言葉だった。

 彼女は、自分を優しいと言ってくれたのだ。こんな、出来損ないで無力で、大切な人の為に何もできない、何のために生まれたのかわからない自分を。あの喜びを例える術を、ロイドは持っていない。だって初めてなのだ。あんなにも嬉しかったのは。あんなにも心満たされたのは。

 ロイドはその時、自分の想いを自覚したのだ。しかし、想いを告げようとは思わなかった。フラれるのは目に見えていたし、フラれたとしても世話係という立場上、離れることはできない。それはスズカの負担になるだけだ。

 だから言うつもりなどなかった。少なくとも、この時は。


「……それは、本当ですか?」

「ええ、彼女には非常に高い魔力が宿っています。旅が終わったあかつきには彼女は貴族の仲間入りを果たすでしょう」


 神官の言葉に、ロイドは血の気が引いていくのを感じた。そんなことはお構いなしに神官は話を続ける。


「聖女の為に働いた褒美として、侯爵家に迎えられることも決まっております。わかっているとは思いますが、あなたは聖女や次期侯爵たちだけではなく彼女の身も守るのですよ。もし万が一、彼女の体に傷ひとつでもつけたら、あなたの騎士としての地位は剥奪させていただきますので」


 言いたいことだけ言って、神官はさっさと行ってしまう。神官は全員が貴族の出身であり『加護堕ち』のロイドを汚らわしいものとして見ているのだ。だが今のロイドにはそんなことどうでもいい。

 神官の言葉を全て鵜呑みにすることはできなかった。なぜなら伝えられた魔力の量が信じられないほど異常なまでに高かったからだ。

 何かの間違いであってほしい。藁にもすがる思いで、ロイドは王城の奥深くに忍び込み事の真相を確かめることにした。結界の存在故か、この王城の警備は非常に手薄なので、誰にも発見されることもなく容易に機密文書の保管所まで入り込むことができるのだ。

 そこでロイドは自分が聞いたことが紛れも無い真実であり、それどころか、聖女の召喚や結界についてもとんでもない秘密を知ってしまう。

 結界を張り替えるのに、特別な力など何もいらない。ただ、高い魔力、それさえあれば結界は張れるというのだ。それもこの国の貴族が力を合わせればわざわざ聖女など召喚する必要がない程度に。

 では何故聖女を召喚するか。それは異世界から召喚される者は全て高い魔力を有していて、それを貴族の中に取り込むことで何の労もなく魔力の高い貴族を輩出する為らしい。これでどうやってリアムの方が聖女だとわかったのか疑問が解けた。スズカとリアム、そのどちらも聖女になれて、単に見た目のいいリアムを聖女ということにした。それだけの話だったのだ。

 これは国王と神官たちしか知らない秘密のようだが、あくまで自分本位な彼らにロイドは同じ国の人間として恥ずかしくなった。

 だがこのことをスズカに伝えることはできない。こんな理由で家族と引き離されてしまったなんてスズカが聞けばショックを受けるに違いないし、少なくとも彼女に非常に高い魔力があることは本当なのだ。だとすれば、貴族に入ることは避けられない。

 彼女が嫁ぐのは侯爵家だ。ロイドは彼らのことが決して好きではないが、余りあるほどの財があることは知っている。きっと毎日美味しい食事を食べ、温かいベッドで眠り、綺麗な洋服を来て、たくさん遊んで、彼女は何不自由ない生活を送れるに違いない。それにこれだけ高い魔力があれば貴族たちはきっと彼女を敬って大切にするだろう。

 それならそれでいいのかもしれない。彼女が笑って暮らせるなら、それでいい。

 だが自分がそれに耐えられないともロイドは思った。スズカが他の誰かと幸せになるのはいいが、それをそばで見続けることはできないと。

 自分はこんなにも心の狭い人間だったのかとロイドは驚いたが、それでもどうしても我慢できそうになかった。故に彼はこの国を出ていこうと思った。

 それからの彼の行動は早く、周囲に気取られぬよう荷物をまとめ、家を売り、師の墓参りを済ませ、何の未練もなく出発した。

 この旅がスズカと過ごせる最後の時間だとわかっていたので道中は、なるべく彼女と共に過ごした。するとその間もますます彼女への愛しさが募っていき、彼の理性をも蝕んだ。

 悩みに悩んだ結果、最後に彼女へ告白しようと決意した。そうでもしないと、いつか抱えきれなくなったこの想いはひとりでに暴走し、彼女を無理やり連れだしてしまいそうだったからだ。

 旅もいよいよ終盤にさしかかり、ロイドは想いを伝えるべく彼女の泊まる部屋のドアをノックした。今までの人生で、この時ほど緊張したことはない。

 自分は失恋すると信じて疑わなかったが、驚くべきことにスズカもまた自分と同じ気持ちだというのだ。

 心の底から喜びが溢れ、幸せが全身を覆い、気づけば、ロイドは笑っていた。

 師が亡くなってから初めての笑みだ。

 思えば、スズカと出会ってからいろんな感情が芽生えている。いや、違う。戻ってきたのだ。枯れた植物がもう一度花を咲かせるように、師が亡くなったあの日からずっと止まっていたロイドの心が、少しずつ息を吹き返している。

 スズカと出会えたことも、想いが通じあったことも、何もかもが奇跡のようだった。

 そして、この奇跡を決して手放すまいとロイドはスズカの背中にまわした手をより一層強くした。


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