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前編

 スズカの平穏な日常は、突然壊れてしまった。


 スズカはいつものように学校に行き、いつものように授業を受け、いつものように家に帰ろうと廊下を歩いていると前方に学校のマドンナ・リアムがいるのを見つけた。

 学年は同じだがクラスは別だし特に親しいわけでもなかったのでスズカは会釈もせず普通にその横を通り過ぎようとした瞬間、突然足元が光り、彼女の体は飲み込まれてしまったのだ。

 気付いた時にはリアムと一緒に見たこともない場所で大勢の人に囲まれていて、そしてその大勢の人の中で一際豪華な衣装を身にまとった男が未だ状況を飲み込めない二人にこう言った。


「ようこそいらっしゃいました、聖女様」




 そしてスズカは、牢屋に入れられた。




「……は?」


 一連の出来事があまりにも異常かつ迅速過ぎて頭が追い付けていないスズカだったが、牢屋の冷たい空気や固い壁の感触、さらには抓った頬の痛みからこの状況が夢や幻などではなく、紛れもない現実なのだと徐々に理解する。

 しかし、やっぱり意味が分からない。何故自分は牢屋に入れられているのだろう?

 どうすればいいかもわからずしばらく手持無沙汰にしていると、一人の男がやってきた。

 年は恐らく二十代前半。短く切られた黒に近いこげ茶色の髪と同色の瞳。目つきは鋭く、立ったスズカが見上げざるを得ないほどの長身に鍛え上げられた逞しい体格、そしてその腰に帯びられた大きな剣。

 状況が状況なだけにこの男の登場はスズカに否が応でも恐怖心を与え、彼女は思わず後ずさる。


「…すまない、今開けるから少し待ってくれ」


 しかし、男の口から零れた言葉は思いのほか優しかった。

 男の持ってきた鍵でようやく牢屋から出されたスズカは男にぺこりと頭を下げる。


「あの、出してくれてありがとうございました。助かりました」

「いや、君が謝る必要はない。非は全てこちらにある」


 男は無表情で声にも抑揚がない。しかし、それは口先だけだからというわけではなく元々そういう性質なのだろうとスズカは思った。

 この人ならこの状況を説明してくれるのではと、スズカが疑問をぶつけるよりも先に男が口を開いた。


「いろいろと聞きたいことはあるだろうが、一先ず違う部屋に案内したい。ついてきてくれ」


 男に通された部屋はスズカの部屋よりもずっと広く、そこにある調度品もどう見たって高価な物であった。ここだけではなく廊下にもやたら大きな壺やら絵画が並んでいた。

 思わず呆けるスズカにソファに腰掛けるよう促した男はその対面に座ると様々なことを教えてくれた。

 まず彼の名前はロイド。この国に仕えている騎士の一人でスズカの面倒をみることになったらしい。

 そしてここはスズカがいた世界とは違う異世界。スズカたちを召喚したのはこの国の王と神官たち。

 理由は百年に一度、異世界から召喚した聖女に王都から離れたところにある神殿で祈りを捧げてもらう為。それはこの国には魔物や他国の侵略から国を守るための結界が張られていて、それが弱くなる前にまた張りなおす必要があるのだがそれができるのが異世界の聖女だけだからだという。

 そこまで聞いて、何故リアムはそのままで自分だけ牢屋に入れられたのか、なんとなく理解した。


「じゃあ、私は間違って連れてこられたんですね?」

「ああ……本当にすまない」


 どことなく気まずげな様子でロイドはまた謝罪する。

 恐らくすべては偶然だったのだろう。本来はリアムだけが呼び出されるはずだったのにたまたま彼女を召喚するタイミングで自分が近くを通った為に巻き込まれてしまった。

 だからと言って牢屋に入れるなんてどうかと思うがそれをロイドに言うのは筋違いだろう。スズカを牢屋に入れるように命じたのは最初に遭ったあの男性、この国の国王なのだから。

 そんなことより、早く家に帰りたい。スズカの願いはそれだけだ。


「私たちっていつごろ帰してもらえるんですか?」

「それ、は…」


 結界を張り替えるのがどれほど大変かはわからないが、せめていつごろ帰れるのか知りたい。

 そう思っての言葉だったが、ロイドは彼はほんのわずかに目線を逸らし、口を閉ざした。それはスズカに最悪な事態を予見させた。


「え…?」

「…異世界の者をこちらに呼び寄せることはできる。だが、こちらの者をあちらに届けることは……出来ないんだ」

「出来ないんだって…え?じゃあ、私たちは……」


 それ以上口にすることができなかった。

 スズカの頭に家族や友人の顔が浮かぶ。今朝だって普通に母の作った朝食を食べて、先に会社に行く父を見送って、朝起きられない弟を起こして、姉と一緒に登校して、友達とお喋りして、遊ぶ約束もして、ちょっと前までそれが当たり前だったのに。

 なのに、もう二度と皆と会えない。一生、会えない。


「うそ…ね、嘘でしょ?冗談よね?」

「……」


 縋るようにロイドを見つめるが彼は何も答えない。


「なん…で?」

「…すまない」

「何で?ねえ、なんで帰れないの?ねえどうして…!」

「すまない」

「帰してよ、家に帰してよっ……!!」


 スズカはロイドに掴みかかり、帰して、帰してと言い募る。ロイドはそれを抵抗する素振りすらなく受け入れ、ぼろぼろと双眼から零れる涙を痛ましそうに見つめた。


 どれくらい時間が経過しただろう。

 スズカはベッドに体を横たえていた。眠っているわけではない。シーツに顔をうずめ、未だ肩を震わせている。


「…スズカ」

「……」


 返答はない。しかしロイドは構わず言葉を続ける。


「腹は減っていないか?何か持ってくるが……」


 彼女がここに来てからもうすでに数時間は経っており、部屋から見える空も暗い。既に夕食時は過ぎていることも考えての言葉だったがスズカは首を振った。


「…いりません」

「そうか…」


 また沈黙が落ちる。今度それを破ったのは、スズカだった。


「今夜は…一人にしてください……」

「…わかった」


 ロイドはスズカの言葉に従い、一度スズカのほうを振り返ってから部屋を出た。

 一人残されえたスズカはまた湧き上がる衝動のまま嗚咽をもらした。






 翌朝、泣き過ぎて目元が腫れてしまったスズカの元にロイドが朝食を持って訪れた。


「お、おはようございます」

「ああ、おはよう」


 渡されたプレートにはパンが二つに卵焼きと水の入ったコップが乗っている。

 そういえば昨日の昼間から何も食べていないことを思い出し、空腹感が一気に押し寄せた。しかし、食べるよりも先にやらなければいけないことがある。


「あ、あの、ロイドさん」

「ん?」

「昨日は、その…迷惑をかけてしまって…ごめんなさい……」


 スズカの言葉にロイドは目を見開いた。謝られるとは全く思っていなかったようだ。


「いや、謝らなくていい。君は何も悪くない」

「でも…ロイドさんだって悪くないのに私ったら責めるようなことばっかり言って…」

「それは違う。我々が君たちにしたことに比べれば昨日のことなど不快に思うのもおこがましい」

「だ、だけど」

「とにかく、早く食べた方がいい。冷めてしまう」

「…はい」


 ロイドに促され、スズカはようやく朝食に手を付ける。パンを一つ掴み、かじってみると元の世界のものよりパサパサしていた。しかし空っぽなお腹ではそれすらも美味しく感じ、もともとそれほど量もなかったプレートの上はあっという間に片付いてしまった。


「足りなければもっと持ってくるが?」

「いえ、大丈夫です」


 お腹にはまだ余裕があったがこれ以上強請る気にはなれなかった。それより気になることもある。


「あの、私はこれからどうなるんですか?」


 この国が必要としているのは聖女だ。聖女でもなく、帰ることのできない自分はこれからどうなってしまうのだろう?

 人をいきなり牢屋に入れるような国だ。着の身着のまま放逐されても不思議ではない。今まで生きてきた世界とは全く異なる世界で、何の知識も技術もツテもコネも持たない自分がどうやって生きていけばいいのか全くわからない。

 そんなスズカの不安を感じ取ったのだろう。ロイドは彼女の肩に手を置き、「大丈夫だ」とはっきり言った。


「君の衣食住はちゃんと保障されている。間違いない」

「ほ、本当ですか?」

「ああ」


 その言葉にスズカは安堵の息を漏らした。

 自分を家族から引き離した相手から施しを受けることに思うところがないわけではないが、スズカはこれからこの世界で生きていかなければいけないのだ。利用できるものはしていかなくてはいけない。

 そう、この世界で生きていく。スズカはそれを受け入れていた。

 勿論、未練はある。家族のことは忘れられないし、帰れるものならどうしたって帰りたい。しかし、一晩中泣いて気持ちがすっきりしたし、帰る術がないと言われてしまって逆に踏ん切りがついた。正確に言えばつかざるを得なかったのだが、それでも気持ちは決まった。

 不安は大きいが、この世界にも優しい人がいる。だから大丈夫だとスズカは自分に言い聞かせた。


「あとそれから、小林さんはどうしてますか?」

「コバヤシ…リアムのことか。彼女なら聖女の間にいる」

「会いに行くことってできますか?」

「それは…可能だと思うが……」


 ロイドは言いにくそうにしている。やはり、聖女という立場だと会える人も限られてしまうのだろうか。


「…少し待っていてくれ、話をつけてくる。…ただ、あまり期待はしないでくれ……」

「あ、ありがとうございます!」


 ロイドの背中を見送りながら、やっぱりロイドさんはいい人だなとスズカは思った。




 しばらくして戻ってきたロイドに通された部屋にスズカは目を疑った。

 まず、広い。スズカの部屋も広かったが、ここはその五倍はある。それでいてそこにある調度品もスズカのところとは比べ物にならないほど華美で、さらにはドレスや宝飾品まであった。

 まるで一国のお姫様のような一室に思わず言葉を失くしてしまう。


「長谷川さん、よかった。無事だったんだね。すぐに連れて行かれちゃったからずっと心配してたのよ」

「え、う、うん。まあね」


 そんなスズカにリアムが微笑みかけた。元の世界でもよく言われていた天使のような笑みである。


「えっと、その…大変なことになっちゃったね」

「そうね。いきなり異世界に連れてこられて聖女になってほしいなんて言われるなんて思わなかった。なんだか夢を見てるみたい」

「うん…それに、家族とももう会えないなんて……」


 家族の顔を思い出し、スズカは顔を俯ける。この世界で生きて行こうとは決めたものの、まだそう簡単には割り切れそうにない。

 そんなスズカをみてどう思ったのかリアムは言う。


「でもね、だからと言ってこの国の人を責めちゃダメだわ。ここの人たちだって国や大切な人を守ろうとしているだけなの。だからわかってあげなくちゃ。それに、みんな元の世界で生きているし、元気にしてるはずよ。それを心の励みにして頑張りましょう」

「それはまあ、わかってるけど…」


 この国の人たちにとって結界の存在は死活問題だ。多少の強引な手を使ってでも維持したいだろう。頭ではわかっているけれど、気持ちがついていかない。


「小林さんはやっぱり聖女になるの?」

「うん、それが私がこの世界に呼ばれた理由だし課せられた使命だもの。何より困っている人を放っておくなんてできないわ。そんなことをしたら、私は私でなくなってしまう」

「そう…偉いね」

「そんなことないよ。ただ私にしかできないことをしたいだけ。私の力で助けられる人がいるなら助けたい。苦しんでいる人がいたら救いたい。私にできることなんて限られているけど、でもだからこそ、できるかぎりのことはしたいの。ただ、それだけよ」

「ううん、小林さんは立派だよ」


 自分のことで手一杯だった自分とは違い、こんな状況でも人に気を使えるリアムを純粋にすごいと思った。

 しかし違和感も覚える。まだここに連れてこられて一日もたっていないのに、彼女からは焦燥感や悲壮感が全く見当たらず、随分と落ち着いているように思えた。

 スズカもこの世界で生きると決めたが、哀愁の想いは強く、ともすればまた気持ちが沈み込みそうになるのに彼女にはそれが見当たらない。

 そんなにあっさり気持ちを切り替えられるものなのだろうか、それとも引きずっている自分がおかしいのか。

 ほんの僅かではあるがリアムとの間に壁を感じた。


「そんなことないってば。それに修行があって、それをこなさないといけないの。とても大変みたいだけどそうしないと、聖女の力は発揮できないんだって」

「へえ、そういうのがあるんだ」

「うん、私ね、それがちょっと不安なの。修業が辛そうとかそういうんじゃなくて、ちゃんと立派な聖女になれのかなって…」

「小林さんならきっと大丈夫だよ」

「…うん、そうよね。こんな弱気じゃダメよね。うじうじ悩んでても何も解決しないし、私らしくないもの。みんなの為にも頑張らなくちゃ!」


 その時、コンコンとノックの音が聞こえた。リアムが「どうぞ」と声をかけると数人のメイドが入ってくる。しかもみんなその手に色とりどりの箱を持っていた。


「リアム様。また贈呈品が届きました」

「あら、今度は何かしら?」


 箱を一つ開けてみるとそこには綺麗で可愛らしい桃色のドレスが入っていた。


「わあ、素敵!!」


 それをうっとりと見つめるリアム。スズカは他のメイドが抱える大小さまざまな箱を見て、この部屋にあるドレスやら宝飾品は全部誰かからの贈り物なのだと気付いた。


「ね、ねえ小林さん。これって全部もらったものなの?」

「ええ、そうなの。昨日から国中の貴族の人たちが私にくれるのよ」

「そ、そうなんだ」

「うん。なんでもね、国の救世主である聖女様に少しでも報いたいからって。うふふ、私は誰かの役に立てるのが嬉しいし、自分から望んでやるのに、なんだか悪いわ」


 そう言ってリアムは苦笑を浮かべるが、スズカには満更でもない様子に見えた。


「あ、もしかして長谷川さんのところには何も贈られてないの?」

「うん、まあね」

「そうなんだ…ごめんね気が利かなくって。こんなことならせめて部屋を片付けてもらえばよかった」

「いや、そんな気にしないで…」

「それに、こんなにもらっても私、全部着るなんてできないし、しまう場所もないし……そうだわ!長谷川さんにいくつかあげる!!」

「え、いやいいよ。なんだか悪い……」

「遠慮しなくていいのよ」


 スズカは贈った相手に悪いので断りたかったのだが、リアムには通じなかったらしい。


「ほら、これとかどう?」


 そういってリアムが手に取ったのは先ほどのものや部屋にある他のものと比べると色合いもデザインもシンプルなドレスだった。


「あと、これとこれも」


 リアムが次々手に取るのは先ほどと同じようにシンプルな服だったり、柄が変わってるスカーフだったり、デザインが前衛的過ぎる置物ばかりだ。正直、ちょっといらない。


「……えっと、やっぱり悪いよ。送ってきた人も小林さんにあげたのに私がもらうなんて」

「そんな、気にしなくったっていいのよ。私がこんなに持ってても宝の持ち腐れだし、ちゃんと使ってくれる人が持っていた方がくれた人もきっと喜んでくれるわ」

「……いや、でも」


 スズカは思わず口元を引きつらせた。

 受け取るのは簡単だ。しかし、貴族たちは別に親切心だけでこれを贈ったわけではないだろう。おそらくは、聖女になるリアムと少しでも懇意になりたいが為の打算があるに違いない。

 そう思うと、どうしてもこれらを受け取る気にはなれなかった。


「いや、やっぱり受け取れないよ」

「そんな!遠慮なんていらないって!」

「ううん!そっちこそ気を使わないで!」

「…そう?わかったわ」


 スズカが固辞するとリアムもしょうがないと言った様子で引き下がった。ちょっと不服そうだが、気にしないことにしてそのまま別れた。あのままだと無理にでも押し付けられそうだったので。

 部屋の外で待機していたロイドと合流し、自分に宛がわれたリアムの部屋よりずっと小さいはずなのにずっと広く思える部屋に向かいながらスズカは思った。リアムは元の世界から来た唯一の存在であるが、今以上に仲良くなることはないかもしれないと。


軽い人物紹介


スズカ(長谷川 鈴花)

巻き込まれる形で異世界に召喚された少女。


リアム(小林 利愛夢)

スズカが通っていた学校一、いや町一番の美人。聖女として異世界に召喚される。


ロイド

スズカの面倒を見ることになった騎士

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