第09話:6月上旬、水曜日
シズネは突然、カズマを「旦那さま」と呼んだ。
その真意とは?
門真一馬の愛すべき日常、第9話。
早くもクライマックスです。
*2012年1月19日に一部修正。
「……じゃあ、今日の放送はここまで! また来週、お会いしましょう! ありがとうございました!」
姉さんがいつも通りの高いテンションで、お昼の放送を終わらせた。
しかし僕を含む放送部の面々は、みんな姉さんの微妙なぎこちなさを感じ取っていた。
……まあ、しょうがないといえばしょうがないだろう。
正直、今は放送室内の空気がどこか張り詰めたものになっているから。
というのも。
いつもなら出番が終わったら後ろで待機しているはずのシズネが、何故か今日は僕の隣……姉さんの反対側にいるからだ。
幸せそうに、僕に身を寄せて。
とても嬉しそうな笑顔で。
一方、姉さんはとても微妙そうな顔をしている。
どうやら姉さんは、朝の一件からシズネとの接し方を図りかねているようだった。
「いったいどういうこと!? シズネちゃんがカズマを、だ、旦那さまって!?」
姉さんは、慌てた様子でそう叫んだ。
無理も無いだろう、正直僕自身、何がどうなっているのか分からない。
とりあえず、改めて状況を整理しよう。
朝、姉さんと登校していると、シズネ……僕のクラスメイトで放送部の仲間である桜ノ宮静音がいることに気付いた。
雰囲気的には、そわそわと周りを見ていて……誰かを待っている、そんな感じだった。
目があったので「おはよう」と僕が挨拶すると、シズネは嬉しそうに挨拶を返してくれた。
そしてさらに……僕のことを旦那さま、と呼んだ。
念のために言っておくが、僕とシズネはそんな関係じゃない。
どんな関係? なんて聞かれたら、クラスメイト、あるいは部活の友達、と答えるしかない関係だ。
だから旦那さま、なんて呼ばれる心当たりは無いんだけど……
「答えなさいカズマぁ! 昨日のアレはなんだったの!? 『おめでとう』って、お互い恋人が出来てめでたいね、とでも言いたかったの!? こーたーえーなーさーいー!」
考えていたら、姉さんに胸倉を掴まれた。
そしてそのまま、力任せに前後に揺すられながらまくし立てられる。
ああ、落ち着いて考えられない……ってか姉さん、そんなに思いっきり振り回されたら、答えたくても答えられないってば。
姉さんも途中でそれに気付いたのか、一旦手を止めて、改めて僕を見た。
視線には「説明しろ」という意思がありありと篭っている。ついでに言えばちょっと涙目だ。
「えっと……」
しかしそれが解読できても、僕に説明できることは無い。
さっきも思っていたことだが、そもそも僕にだって思い当たる節がまったく無いのだから。
というわけで僕も、シズネに目で説明を求めることにした。
「? なんですか、旦那さま?」
シズネはすぐ僕の目線に気付いたようで、嬉しそうに笑ってそう応えてくれる。
いつもは自然に微笑んでいるシズネが、満面の笑顔を向けてくれるのは可愛いと思うし、正直ドキッともする。
だが、今はそれに見蕩れている場合じゃない。
聞くべきことを聞いておかないとこの後が絶対、色々大変になる。
「ねえ、シズネ……」
というわけで、詳しく話を聞こうとした……その時。
キーンコーンカーンコーン……と、聞きなれたチャイムの音が鳴った。
「おおう、やっばいやっばい。寝坊したァ!」
と同時に、後ろからは聴いたことのある声が聞こえてくる。
振り返ると、ヒロコさん……シズネの姉、桜ノ宮広子さんがダッシュしてきている。
昨日の夜、夜の校舎で色々あったため、ちょっと顔を会わせるのが恥ずかしいような……
「お、マドカ。急ぐよ、もうギリギリだ」
なんて考えている僕には見向きもせず、ヒロコさんはそう言うやいなや姉さんの手を掴んで下駄箱の方へと一切スピードを落とさずにそのまま駆け抜けた。
「え!? わ、ちょっと待ってヒロコン! 私にはまだ、シズネちゃんに聞かないといけないことがああああぁぁぁぁ…………」
……ヒロコさんに引っ張られて、姉さんはそのままフェードアウトしてしまった。
「……私たちも急ぎましょうか、旦那さま?」
そんな姉さんとヒロコさんを見送りつつ、シズネが僕にそう提案してくる。
チャイムの余韻と、それに従って慌てた様子で駆け出していく回りの生徒達を見ながら。
考えるのが面倒になってしまった僕は、嘆息しながらシズネの提案に黙って頷いたのだった。
そして結局何もシズネから聞き出せないまま、昼休みになってしまった。
休み時間にシズネに訊ねようとしたのだが……他のクラスメートに声を掛けられたり、あるいは肝心のシズネが声を掛けようと思ったらいなかったりとで噛み合わず、結局何も聞けなかったのだ。
各休み時間終了間際に姉さんから「どういうこと?」というメールが来ていたことから推測するに、姉さんもどうやら何もつかめていないようである。
どこかギクシャクした雰囲気でお昼の放送が実行されて……ようやく、今さっき放送が終了した。
基本的に僕ら放送部は、放送終了後に放送準備室に移動して放送部のメンバー全員で昼食を取る。
そしてついでに、今日の放送の反省会議も行うのが通例となっている。
まあ反省会議といっても実際はヒロコさんの下ネタ発言にのみ姉さんから注意が飛んだり、お昼の放送のコーナーの一つである『うろおぼ演奏』担当の守口兄妹に他のメンバーから個人的なリクエストがあったりと和気藹々な雰囲気での昼食会になるのだが……今日は違っていた。
一番大きい違いは、座席だった。
いつもは室内に3つあるテーブルに、各きょうだいで分かれて座っている。
しかし今日は、何故か学年別になっていた。
2年生である守口兄妹、キョウさんとメイさん。ここだけはいつも通り。
おかしいのは、それ以外だ。
つまり姉さんと僕……では無く、3年生であるシズネの姉、ヒロコさん。
そして僕の隣にはシズネが座っていた。
しかも座ってる順番は、端から順に僕→シズネ→ヒロコさん→姉さん→メイさん→キョウさんという形である。
机はコの字型に置かれているため、僕の対面にキョウさんがいて……僕とヒロコさんでシズネをはさむ席順だ。
いつもと比べるなら、ちょうど姉さんとシズネが入れ替わった形になる。
「珍しい配置っすね?」
キョウさんもそれが気になったらしく、何かあったら一番元凶の可能性が高いと言われているヒロコさんに確認を取っていた。
「何よキョウ、そんなこと、どうだっていいじゃない……」
メイさんがそう呟いたのが聞こえたが、気にしないことにした。
「ええ、本日はわたし、旦那さまの分もお弁当を作ってきましたから♪」
キョウさんの疑問に、シズネが上機嫌に答える。
ってえええええええええ!?
シズネ、今なんて言った?
「ええええええええ!? シズネちゃん、今なんて言ったの!?」
直接声に出すかどうかの違いはあるが、姉さんも僕とまったく同じ反応をしている。
いつもシズネはヒロコさんの分もお弁当を持ってきているので気付かなかったが、言われてからシズネのお弁当袋を見ると確かにいつもより大きい気がした。
どうやら本当らしい。
ちなみに僕と姉さんの今日のお昼は、母さんが寝坊したため朝に買ったいくつかの菓子パンだ。
「……『旦那さま』?」
その響きにキョウさんも疑問を持ったらしく、僕に目を向ける。
「ふーん、もうそういう関係なんだ」
一方メイさんはなんだか嬉しそうに、あっさりと受け入れてしまった。
「あ、えっと旦那さま、何か嫌いなものってありました?」
そしてシズネは相変わらずマイペースに、話題を一歩先へと進めている。
「いや、特に無いけど……」
とりあえず僕は質問に答える。
って、既に旦那さまって呼ばれるの受け入れてないか、僕?
「カズマぁ!?」
姉さんも僕の無駄な順応性に気付いたらしく全力で僕の名を叫ぶ。
「ほらほらマドカ、二人の邪魔をしない」
いきり立った姉さんを、ヒロコさんが諭す。
その雰囲気はどこか慈愛に満ちていて、僕とシズネを暖かく見守ってくれているようだった。
……ん?
「だって、だってえ! カズマがぁ~……」
姉さんが今にも泣きそうな声で駄々をこねる。
「まあまあ、気持ちは分かるけど。今は優しく見守ってやろうぜ? アタシらは、あの子達の姉なんだから」
一方ヒロコさんはどこまでも優しい。
……まるで何もかもが分かっているかのように。
「ヒロコさん……」
「ん、何、カズマ?」
「……シズネ、何があったんですか?」
ヒロコさんなら、どうしてこうなったのかを知っているに違いない。
そう思った僕は、ヒロコさんに核心を訊ねていた。
「? ああ、なんだ聞いてなかったか」
その一言で僕の言わんとすることを察してくれたのか、ヒロコさんは嬉しそうに語り始めた。
「いや、昨日カズマが『あんなこと』を言ってたからさ。シズネに伝えたんだよ。その時の嬉しそうな顔ったら……今思い出してもアタシまで嬉しくなるね」
そう言ってヒロコさんは、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「あ、『あんなこと』……?」
一方で、戦慄するように姉さんがその言葉を拾う。
「ひ、ヒロコさん……シズネに、何を言ったんですか?」
多分その『あんなこと』、が鍵だと直感した僕はそれをヒロコさんに訊ねにいった。
「ん? ああ、だから昨日……なんだっけな。シズネを彼女にしたい、みたいなこと言ってなかったっけ?」
「えええええええええええええええええええ!?」
僕より先に、姉さんが反応していた。その顔には驚きの色しかない。
「ふーん、カズマ、やるじゃん。メイも負けてられないかな……」
一方、メイさんは感心したようにそう呟く。
そしてその視線は、メイさんの実の兄であるはずのキョウさんに向けられていた……いや、貴女が動くのは倫理的に危ないと思うんですが。
「って、僕そんなこと言いましたっけ!?」
というか他の人に突っ込んでいる場合じゃなかった。
正直、そんな記憶が僕には無い。
「か、カズマあんたそんなこと言ったの!?」
僕とほぼ同時に、姉さんが激しい口調で僕に訊ねた。
まったく覚えが無い僕は「い、いや記憶に無いんだけど……」と慌てて弁明する。
だが、姉さんは「なんでシズネちゃんなのよ! おっぱいか!? おっぱいがいいのかコンチクショウァアアアアアア!!」と聞く耳持たない様子で憤慨している。
「んー? あれ、言ってなかったっけ?」
そんな僕たちを見ながら、ヒロコさんは不思議そうにそう呟く。
もしかしてヒロコさん、何か誤解しているんだろうか。
「僕、なんて言いました?」
「えっと……確か、シズネに恋人が出来たらどうする? って話、してたよね?」
「……あー」
ヒロコさんの発言で、だいたい読めた気がした。
「なんか言いづらそうだったから、てっきりカズマがシズネの恋人に立候補したいのかと思ったんだけど」
さらに追い討ちをかけるようにヒロコさんが補足する。
その補足で、完全に理解できた。
「ん~……」
僕は一度、姉さんの方を見る。
姉さんは苛立った様子で、事情が分かったんなら説明なさい、という顔をしていた。
……仕方ない、話すか。
「えっと……それなんですけど。実は一昨日、姉さんが生徒会長に体育館裏に呼び出されまして……」
「え、あの生徒会長に!?」
僕がそう切り出すと、ヒロコさんが盛大に反応した。
あれ、僕が知らなかっただけでやっぱり有名だったんだろうか。
「へえ、アイツがな……」
キョウさんも感心したように呟いている。
「? キョウ、知ってるの?」
と思ったらメイさんは知らなかったようで、キョウさんに訊ねていた。
「ああ、なんていうか成績優秀スポーツ万能、まるで理想の人間像をそのまま具現化したみたいな超人生徒会長だ……ってかメイ、知らなかったのか?」
キョウさんが、姉さんが僕に訊ねた時みたいに不思議そうにメイさんに訊ねた。
やっぱり学園では常識レベルのことだったんだろうか。
「メイと同じB組だった気がするんだが、生徒会長」
と思っていたら、とんでもない情報がキョウさんから出てきた。
それは確かに知らない方がおかしい。
「だって……キョウ以外の男になんて、興味ないから」
なんて考えるまでも無く、メイさんの爆弾発言。
ちょっと頬を赤らめて、上目遣い、良く見ると瞳も潤んでいる。
うわ、なんていうか超あからさまだ。
これはさすがにキョウさんでも気付くか……?
でも気付いてしまったら、この兄妹はどうなってしまうんだろう。
なんだかんだでキョウさん、メイさんのことを大事に思っているのは間違いないし。
そんな不安に駆られた僕たちは、激しく脱線していることも忘れて、キョウさんの次の発言に耳を集中させていた。
しかし。
「……お前は相変わらず、人見知りするんだなあ」
キョウさんはため息混じりにそう呟くだけだった。
……とても呆れた顔をしているメイさんが、凄く哀れに感じた。
「えっと……続きを話しますね?」
メイさんに対するせめてもの情けとして、僕は速やかに話題を変えた……というか戻した。
「えっと、まあそんな感じで姉さんが昨日……呼び出しに応じて」
結局告白はされなかったので、とりあえず『呼び出しに応じた』とだけ言っておく。
「で……なんか複雑な気持ちになっちゃって。それで……」
「ああ……だからアタシにそう聞いたわけか。なるほどね」
ヒロコさんはそこまでの説明で合点がいったらしく、確認するようにそう訊ねてきた。
「え……どういうこと?」
姉さんはまだ理解が追いついていないのか、アワアワした様子で僕らに訊ねてくる。
シズネもよく分かっていないらしく、きょとんとした表情だった。
「えっと、だから……カズマはただ、アンタのことを遠回しにアタシに相談しただけ……ってこと。ね?」
「あ、はい」
姉さんに説明してから、ヒロコさんは確認するように僕に振ってくる。
その説明には特に間違いも無さそうだったので、僕は素直に頷く。
「あー……なるほど。そっか、カズマも不安だったんだね」
それを聞いて理解できたらしい姉さんが、どこか安心したようにそう呟いた。
カズマ『も』、ということは姉さんも不安だったに違いない。
なんだかんだでウブな姉弟だったんだなあ、僕ら。
気付くと僕と姉さんは顔を合わせて、二人で微笑んでいた。
どうやら姉さんも、僕と同じことを思ったようだ。
やっぱり僕にはまだ、姉さんが必要なんだろう。
そして逆に……姉さんにも、僕が必要なんだと思えた。
「……あのー……」
そんな暖かい気持ちで胸をいっぱいにしていると、ヒロコさんが僕たちに声を掛けてきた。
「なんていうか二人で微笑みあってるところ悪いんだけど」
「? なんですか?」
ちょっとすまなそうに言ったヒロコさんに僕が視線をやると……自然に、シズネの姿が目に入った。
まあ座席の都合上、ヒロコさんの方を向けば延長線上にはシズネがいるので、目に入るのは当然なのだが……気付くと僕は、シズネを見つめていた。
いや、見つめ返していた、の方が正しいだろう。
シズネも、僕の方を見ていたからだ。
その目はどこか不安そうでありながらも、強い意志をその瞳に宿しているような、そんな気がした。
僕はその目に惹かれて、声を掛けてくれたのがヒロコさんであったことも忘れて、シズネに見入ってしまっていたのだ。
「あの……カズマさん」
しかしそれはある意味、間違っていなかった。
シズネは僕がシズネを見つめ返していることに気付いたらしく、そんな決意に満ちた瞳で僕を見つめて、口を開いた。
呼び方は気付くと元に戻っている。
しかし。
僕を呼ぶときの声色には……むしろ数秒前の『旦那さま』と呼んでいた時よりも、熱がこもっているような気がして。
「カズマさん。だったら、改めて。わたしと、お付き合いしていただけませんか?」
その直後の発言で、それが「気がする」から「確信」に変わった。
――続く。