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第08話:6月上旬、火曜日~水曜日

前回の続き。

ヒロコに諭されたカズマと、告白されたはずのマドカは?

第08話、お楽しみください。



*2011年12月31日に推敲、加筆修正しました。


 夜の帳が降りきってもなお見慣れたと感じられる町を、僕は走っていた。

 走りながら、僕は昔のことを思い出す。



 それは、姉さんが中学1年生、僕が小学5年生だった頃の話。

 ある日姉さんは、傷だらけの格好で泣きながら帰ってきた。

 制服である半袖のシャツは刃物で切られたような傷がついていて、少し血が滲んでいる。

 スカートも同じように埃と切り傷でいっぱいという……今見たら、暴漢か変質者に襲われたとしか思えないような酷い有様だった。

 そんな姿を見て、僕は読んでいた本も投げ捨て、慌てた様子で訊ねる。

「おねえちゃん、どうしたの!?」

 今思い返すと、『おねえちゃん』という響きが懐かしい。姉さん、と呼ぶようになったのはいつ頃だったっけ……まあそれはいいか。

 それから、姉さんは泣きながらも何があったのかを語ってくれた。

 終始しゃくりあげながらという聞き取りづらい事この上ない様子だったのだが、当時の僕は純粋無垢かつ素直だったので、根気良く姉に何があったのかを聞きだしていた。

 そして、多分30分後くらいに。

「……つまり、近所の空き地にいたネコとケンカして、そうなったってこと?」

 僕は、最初の心配そうな雰囲気はどこへやらの完全にあきれ返った様子でそう確認した。

 今思い返してみても、違っているのは制服だけで外見がまったく成長していない姉さんが、乱れてくしゃくしゃになったツインテールを揺らして首を縦に振る。一緒に揺れたリボンが三毛猫柄なのは、もはや皮肉の領域だった。

 そしてそこまで考えた当時の僕は、もうその時点で相手にするのが馬鹿らしくなって。

 既にその辺りから、姉さんの話を適当に聞き流していた。

 ……あれ、当時の僕、純粋無垢でも根気良くも無いな……まあいいか。

 そんな感じで僕はどんどん興味を失っていったのだが、姉さんは逆に僕に話し終えたことでまた戦意が湧いてきたらしく、「リベンジしてくる」と一度呟いて、着替えてからまた出掛けてしまったのだった。

 そんな姉を『飽きずによくやるなあ』などと思いつつ見送った僕は、リビングに戻ってさっき投げてしまった本を拾い、どこまで読んだっけ……などと思いながら、本を開くのだった。

 そして、その本をちょうど読み終わった頃、姉さんは帰ってきた。

 良く見ると腕も脚も……というか体中が擦り傷切り傷だらけだった。

 しかし、顔だけは晴れ晴れとしている。

「見なさい、カズマ!」

 その顔が示すとおりの晴れ晴れとした声で、姉さんは誇らしげにそう言って、自分の後方に視線を送る。

 姉さんの視線の先を眼で追うと、そこには一匹のトラネコがいた。

 無駄な肉が一切無い、均整の取れたしなやかな体つき。

 さらにはちょっとでも隙を見せたら狩られてしまいそうな、力強い野生の光を宿した瞳。

 このネコ、相当なツワモノだ。

 当時の僕は、子供心に一目でそう思った。

「この子はファング。名前の由来は、私を一度退けたその強力なツメ。今日から、この子はファングよ!」

 トラネコ改めファングを見つめながら、姉さんは得意げにそう言った。

 なおこの後、父さんにファング(fang)は『爪』じゃなくて『牙』だ、と苦笑いで訂正されることになるのだが、それはまた別のお話。



 これ以外にも、たくさんの姉さんとの思い出が頭を巡っていった。

 それこそ、思い出しきれないくらいに。

 なんだかんだで、僕と姉さんは一般的な姉弟としても仲のいい方だと思う。

 だから、正直に言えば姉さんに恋人が出来てしまうのは寂しかった。

 もちろん今までに、姉さんが遠くに行ってしまうように感じたことが無かったわけではない。

 過去にそれを一番強く意識したのは……多分、姉さんが中学に上がった年だ。

 4年間ずっと一緒に通い続けていた小学校に、いきなり1人で行かないといけなくなった、というのが当時の僕にはなんだか凄く寂しく感じられた。

 いつも当たり前のように隣にいた人が、急に居なくなったのだから。

 履き慣れていた靴が何の脈絡も無く壊れてしまったような、あるいは使い慣れていた文房具をなくしてしまったような……普通に生活するには困らないのだが、何か物足りなく感じる、そんな喪失感があった。

 しかしそれでも、家に帰れば、あるいは家で待っていれば姉さんに会えた。

 でも、姉さんに恋人が出来るとしたら、そういうわけにもいかないだろう。

 恋人の家に泊まって、帰ってこない日なんてのもあるかもしれない。

 だから、帰れば姉さんに会えるという安心感が……それすらもが崩れてしまいそうで、姉さんに恋人が出来ることを僕は素直に喜べなかった。

 でも。

 ヒロコさんは、それで家族が……自分が大切に思っている人が幸せになれるなら構わない。

 そんな考え方を僕に教えてくれた。

 それでいいんだと、気付かせてくれた。

 確かに、そうだと思えた。

 やっぱり姉さんは、僕の家族なのだから。

 姉さんが幸せなら、僕にとっても喜ばしいことだ。

 もし立場が逆だったなら、なんだかんだ言いつつも姉さんは僕を祝福してくれただろう。

 だから、僕も姉さんを祝福してあげよう。

 それが今、僕が姉さんにしてあげられる一番のことだと思った。

 そこまで考えて、僕はさらに走るスピードを上げた。

 ひたすらに。

 ひたむきに。

 僕と僕の家族が住んでいる家へ、全力で駆けていった。

 僕の大切な家族に、祝福の言葉を伝えるために。



 家の前に着く。

 ポケットから鍵を取り出し、ガチャガチャと回していると、足音が玄関に近づいてくるのが分かった。

 やや足音が軽い。姉さんだ。

 鍵を開ける音で、僕の帰りに気付いたのだろう。

 どうやら、自慢する気満々らしい。

 いいさ、今日は存分にそれを聞いて、存分に祝ってやろう。

 僕はそんな懐の大きいことを思いながら、ドアを開けた。

 玄関には、想像通り姉さんが待っていた。

「ただいま! 姉さん、おめでとう!」

 僕は帰宅と同時に、自分が出来る最大限の笑顔で姉さんにそう告げる。

「うわああああああん、カズマああああああ!」

 一方姉さんは号泣しながら、僕に抱きついてきた。

 ってあれぇぇぇぇ!?

「え? なんで? どういうこと?」

 姉さんの行動があまりにも予想外すぎて、僕は思い切り狼狽していた。

「えぐ、えぐ、がいじょうが……うえええええええん」

 姉さんが何か言おうとしている。

 だがしゃくりあげながら話しているせいでまったく聞き取れない。

「え、待って姉さん!? いきなりどうしたのさ!? ってか何があったのさ!?」

 冷静さを取り戻せないまま、僕は姉さんに訊ねていた。

「あらあら、カズマったら。今でもお姉ちゃんにべったりね」

 しかし姉さんより先に、姉さんの声を聞いて様子を見に来た母さんが、何か微笑ましいものでも見るような雰囲気をかもし出しつつ、そう言ってから通り過ぎていった。

 良く見てください母さん、僕は抱きつかれている方です。

 そう母さんにツッコミを入れるよりも、姉さんの方が気になったため僕は母さんを放置して姉さんの話を聞くことにした。

 さすがに玄関で続行すると母さんに何を言われるか分からないので、僕の部屋に移動してから。

 そして。

 姉さんをベッドに腰掛けさせて、根気良く話を聞くこと30分。

 僕はようやく、姉さんに何があったのかを理解できた。

「……つまり、要約すると。放課後生徒会長には会えたけど、生徒会長は姉さんの予想外な小ささに引いたらしくて、結局告白もうやむやにされてしまった、と」

「……そう言われるとシャクだけどあってる」

 僕がそう確認すると、姉さんはしぶしぶ、と言った感じで頷く。

 姉さんももう、普通に話せる程度には落ち着いているようだ。

「そっか……生徒会長、姉さんの言うとおり年上がタイプだったのかな」

「……どういう意味よ」

 僕が納得したように呟くと、それを耳ざとく聴き取った姉さんに睨まれた。

「だから、やっぱり姉さんは子どもっぽいってことだよ。姉さんなんかと付き合ってたら、ロリコン扱いされてもおかしくないって」

 しかし僕は怯まず、茶化すようにそう返した。

「なんですってぇーッ! 誰が子どもなのよッ!」

 姉さんは、ネコが威嚇するような雰囲気で怒っている。

「だって、姉さんと出掛けたら、知らないおばちゃんにしょっちゅう、『あら、お兄ちゃんとお買い物? いいわねえ』なんて言われてるじゃないか。姉さん、僕の姉に見えないんだよ」

「キーッ、食らえッ!」

 遂にキレたらしく、姉さんはベッドから飛び降りると座ったままの僕に回し蹴りを放ってきた。

 僕はそれを両腕でガードする。

 僕に攻撃を止められた姉さんは少し下がって体勢を立て直すと、そのまま飛び膝蹴りで僕に襲い掛かってきた。

 さすがにこれは受けきれない、そう思った僕は横に避けようとしたが……座っていたせいか、巧く避けることが出来なくて。

「くっ!」

 結局姉さんの飛び膝蹴りを食らう羽目になってしまった。

 急所は腕でガードしたため痛みは無いが、ベッドに押し倒され、馬乗りされた状態になっている。

「さあて、ここからどうしてやろうかしら……」

 僕を見下ろしながら、姉さんは不敵に笑う。

 やや視線を落とすと、飛び膝蹴りの勢いで捲くれ上がったのか、水玉模様の下着が丸見えになっていた。

 や、まあそれは別にどうでもいいんだが。今更姉のパンツなど見えても嬉しくないし。

 ついでに言えば、胸にのしかかっている姉さんも実はそこまで重くない。

 その気になれば振り落とせそうだが……やめた。

 落ち込んでいる姉さんを見たくなかったからだ。

 だから、僕とケンカすることでいつもの快活さを取り戻してほしかった。

 それが、今の僕に出来る姉さんの慰め方だった。

 ……よく考えるとけっこうマゾいことやってる気がするけど。

 そんなことを思いながら、姉さんからの追撃が無いことに気付く。

「……姉さん?」

 気になって姉さんの顔を見る。

 その顔は……どこか、穏やかなものだった。

「……ふぅ。やっぱ、いいか」

 姉さんはそう呟くと、僕の上からあっさり降りる。

「姉さん?」

 そんな姉さんが気になって、僕は思わず声を掛けた。

 すると。

 姉さんは笑って、

「ありがとう、カズマ。おかげですっきりしたよ。恋人が出来なかったのは残念だけど……ま、今の私にはカズマがいるし。今日はこのくらいで許してあげる」

 そう言った。

 とっても自然で、可愛らしい笑顔だった。

 太陽のような、暖かくて眩しい笑顔。

「僕を恋人の代わりにするのはやめてくれないかな」

 僕はそんな姉さんを何故か直視できなくて。

 顔を背けて、ややぶっきらぼうに返してしまった。

「えへへ。いいじゃない、カズマだって恋人いないんだし。それに私たちは家族なんだから、仲良いのが普通でしょ?」

「まあ、そうだけどさ」

 嘆息しながら、僕は答えた。

 僕がしぶしぶながら肯定すると、姉さんはそれで満足したのか、「よろしい! それじゃあお休み!」と上機嫌で部屋に戻っていった。

 憑き物が落ちたような晴れ晴れとした顔つきで。

 互いに恋人がいない姉弟だから、どっちかに恋人が出来るまではお互いがそれの代わり……か。

 ちょっと恥ずかしい気もするけど、僕はそれ以上に暖かさを感じていた。

 姉さんのことも、もう心配しなくて大丈夫だろう。

 明日から……というかもう既に今から、いつもの姉さんに戻っていたのだから。

 これでようやく、僕たちに平和な日常が戻った――そう確信した僕は、気が抜けてしまったのか、気付くと制服姿のままで眠ってしまっていた。



「うーん、まだ首が痛い……」

 制服姿のまま姉さんに起こされた僕は、軽くシャワーを浴びてから朝食を取って姉さんとともに学校に向かった。

「もう、変な体勢で寝るからだよ。あれほど暖かくして寝なさいって言ったのに」

 僕が愚痴ると、姉さんがそう返してくる。

「いや、今6月だし、暖かくしようとしたら暑くて寝られないから。ってかそれ以前に言われてないし、それ」

 とりあえず突っ込めるところ全てに突っ込んでおいた。

 なんだかこの、他愛の無い会話が懐かしい。

 実際はせいぜい1日ぶりくらいであるため、懐かしがるほどのことでもないのだが。

 それでも、僕は、当たり前ということの大切さを昨日思い知った気がする。

 この日常を、今は満喫していても良いだろう……そんなことを考えながら、姉さんとの他愛ない会話を続けていると。

 校門前に、長い黒髪に銀枠で楕円形の眼鏡を掛けた、見慣れた少女がいることに気付いた。

「シズネ。おはよう」

 誰かを待っているような雰囲気のシズネに、僕は何気なく声を掛ける。

 するとシズネは嬉しそうに、薄い夏服のせいか服の上からでもはっきり分かる胸を揺らして答えた。

「はい、おはようございます……えっと、旦那さま」

 いつも能天気でマイペース、柔らかな微笑み顔が特徴のシズネとしては珍しく、やや恥ずかしそうで頬は朱に染まっている。

 その仕草は正直、凄く可愛いのだが……それよりも今、もっと気にすべき発言があった気がする。

「えっと……シズネ、今なんて?」

 というわけで、僕は迷わずに聞き返した。

「……えっと、ダーリンとかあなた、とか呼ぶ方が好みでした?」

 すると不安そうな顔で、シズネもそう聞き返してくれた。

 ここまでシズネが感情をあらわにするのも珍しい……のだが今はそれを気にしている場合じゃない。

「ち、ちょっとカズマ!? いったいどういうこと!? シズネちゃんがカズマを、だ、旦那さまって!?」

 僕が一瞬考え込んでいた隙に、姉さんが根本的な問題に大慌てで突っ込んだ。

 ……どうやらまた、非日常がやってきてしまったらしい。




――続く。

楽しんでいただけたでしょうか。


マドカの件が解決したと思いきや、再び平穏とは程遠いカズマの日常。

次回はシズネとヒロコの姉妹が暴走します、多分。


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