第07話:6月上旬、火曜日
前回の続き。
学校の七不思議ならぬ六不思議に挑もうとする、ヒロコとカズマの運命は?
「こんばんわ、ヒロコさん」
学校から一番近いコンビニで立ち読みをしていたヒロコさんに、僕は声を掛けた。
「お、カズマ、来たか」
「ええ、来ましたよ」
僕は少し疲れた声でそう答える。
ヒロコさんに付き合うのは正直、色々と危険な気がしたのだが。
それ以上に今はなんだか帰りたくなかったし、あるいは姉さんのことを、ヒロコさんに相談してもいいかもしれない。
そんな考えもあったため、結局付き合うことにしたのだ。
「ふふん、さすがはアタシの可愛い後輩君だねえ。時間は……19時45分。よし、行こうか」
「行くって……本気なんですか?」
だから僕としては、ヒロコさんを止めてファミレスなりファーストフードなりで駄弁る方が好都合だったりする。
というわけで、僕は全力で止めに掛かった。
「もちろん」
だがヒロコさんは、いつも通りのやる気に満ちた笑顔で即答する。
どうやら本気なのは間違いないようだ。
「どうやって入り込むんですか? 校門は閉まってるし、絶対に警備してる人がいますよ?」
とりあえず、一番現実的な疑問をぶつけてみる。
「3年生を舐めないでほしいね。抜け道なんていくらでもあるさ」
怯んだ様子はまったく無い。
ヒロコさんはむしろ不敵な笑みすら浮かべて、そう返した。
「でも、万が一ばれたりしたら……内申に響きますよ?」
ならばヒロコさんが3年生、というのを逆手に取ってみる。
今年受験なのだから、問題を起こしたときのリスクは1年生の僕よりも高いはずだ。
「内申下がるのが怖くて、放送部にいられるかっての」
……確かに毎回、放送部で色々とギリギリ(アウト)な発言をしては姉さんに物理的にカットされてましたね。
激しく納得してしまった僕は、次の言葉を探した。
「んー……肝試しって……普通7月か8月にやるもんじゃないですか?」
だったら、根幹を揺るがしに行こう。
もうこれしかない!
「やりたい時にやるから楽しいんじゃない」
しかし、一瞬の躊躇も無いままにヒロコさんはそう返した。
……ヒロコさんって、そういう人だよね。
多分思い立ったから、で真冬でも肝試しの企画とか持ち出してくる気がする、この人。
「んー………………」
「降参?」
次の言葉を考える僕に、ヒロコさんは誘うような瞳で訊ねてくる。
「………………」
必死で考えるが、正直もう何も思いつかなかった。
というか、何言ってもこの人には無駄な気がする。
「……わかりました、降参です」
僕は項垂れながらそう言った。
「よっしゃ、じゃあ行こうか! ついといで、カズマ!」
それから。
僕は嬉しそうなヒロコさんに手を引かれ、うんざりした気持ちで学校へと向かうのだった。
そして。
僕とヒロコさんは、無事校舎内に侵入していた。
何気なく携帯を開くと、時間は19:55と表示されている。
思ったより時間も掛かっていなかったようだ。
「……初めから、こうするつもりだったんですね?」
靴音が校舎内でやたらと響くのを気にしながら、僕は呆れた風にそう言った。
「まあね」
対するヒロコさんは、得意げに放送準備室の鍵を指でくるくると回している。
ヒロコさんが取った手段は、想像よりシンプルだった。
まず学校の敷地内には、鉤のついたロープで塀を越えるというまるで忍者のような手を使った。
鉤を引っ掛けた場所も、本人曰く特に監視の薄いところらしい。
なぜそんなことを知っているのか、と訊ねたら放課後に調べたとあっさり答えていた。
ついでになぜロープで壁を上るなんて芸当が出来るのかも訊ねたが、そっちは『乙女の秘密』ということで教えてくれなかった。
乙女の秘密、というには物騒すぎる気がするんですが。
さらに言えばヒロコさんがその技術を習得しているのはいろんな意味で危ない気がするのだが……もうそれは考えないことにした。
そんな感じで学校の敷地内に潜入した後は、再び鉤を使って校舎の壁を上り、鍵が掛かっていない部屋の窓から入り込んだ。
もちろんその『窓に鍵が掛かっていない部屋』とは……放送準備室、僕ら放送部の部室のことだ。
ヒロコさんは校舎の壁を上るとき、一直線に放送準備室の窓に向かっていた。
どうやら、僕が想像していた以上に計画的な行動であるようだ。
「で、どうするんですかこれから」
というわけで、今後の計画を問いただす。
「もちろん七不思議ならぬ六不思議を、ひとつずつ体験する。まずは無限階段から!」
「……やっぱり」
意気揚々、といった感じでヒロコさんは断言する。
対する僕はうんざりしているのを隠さずに、ため息を吐いた。
改めてヒロコさんの右手首を見ると、百均で売ってそうな安っぽいデジタル時計がついているのが分かる。
壊して抜け出すところまで体験する気満々のようだ。
「そういえば、あれって確か1階から3階に上がろうとして起こったんですよね。3階から降りる場合だとどうなるんでしょう」
無限階段の詳細を思い出しつつ、僕は素朴な疑問を口にした。
「ああ……それくらいは融通を利かせてくれるんじゃない?」
ヒロコさんがそれに、ちょっと不安げに返した。
……融通を利かせてくれる怪奇現象ってあるんだろうか。
「まあそんな難しそうな顔しないで。行こう?」
そんなことを考えていた僕の手を、ヒロコさんはそう言いながら引いていった。
そして。
「………………」
「………………」
僕とヒロコさんは、互いに何を言っていいかわからず、その場で黙り込んでいた。
ちなみに『その場』とは1階の廊下である。
そう、つまり。
僕とヒロコさんはあれから、普通に階段を降りて……何も起こらないまま、1階へとたどり着いたのだった。
いや、まあ常識的に考えれば当然のことなのだが。
「やっぱ何も起きないか」
苦笑いしつつ、ヒロコさんが沈黙を破った。
実際に何か起こるとは本人も思っていなかったのか、言葉通り『やっぱり』という顔をしている。
「他のも検証してみます?」
なんだかこのまま帰るのも寂しい……そう思った僕は、気付くとそんな提案をヒロコさんにしていた。
「アタシはかまわないけど……次、22時よ? それまでどうする?」
「え、2時間後なんですか!?」
さらっと答えたヒロコさんに、僕は思わず驚きの声を返した。
その後慌てて口を塞ぐ。
ヒロコさんも慌てて自分の唇に人差し指を当て、いわゆる静かに! のポーズをしていた。
あまりにもヒロコさんが堂々としていたので忘れかけていたが、僕とヒロコさんはここに忍び込んでいるのだ。
なるべく慎重にいかないと……。
「うん、2時間後だね。22時に、理科室の人体模型がブレイクダンスを始めるって話だから」
ひと通り落ち着いてから、気持ち控えめな声でヒロコさんが僕にそう解説してくれる。
「2時間か……長いなあ」
「見つかったら面倒だし、とりあえず部室に行こうか」
僕がぼやくと、ヒロコさんがそう提案してきた。
「そうですね。2時間も警備の目を掻い潜りつつ時間つぶしなんてやってられませんし」
その提案に乗らない理由も無いため、僕は素直に頷いて部室を目指した。
さっきは降りた階段を、今度は二人で上がる。
現在時刻を携帯で見ると、20時08分と表示されていた。
AM・PM制で言うと8時8分、無限階段が発生した時間である。
降りる時なんとも無かったのは、単に数分早かっただけだとしたら――?
脳裏にそんな考えが浮かんで、背筋に悪寒が走った。
ヒロコさんもそれに気付いたのか、僕と、自身の腕についている時計を交互に見つめている。
もしかしてまずいんじゃないか……そう思いながらも、僕とヒロコさんの足は止まらない。
そのまま、二人緊張感で声も出せないまま歩き続けて……3階にたどり着いた。
「って、やっぱり何も起こらんのかい!」
僕は忍び込んでいるという事実も忘れて、大声で突っ込んでいた。
「ばか、カズマ声大きい!」
ヒロコさんはそれを、慌てて咎める。
と、同時に。
「誰かいるのか?」
と、おじさんというにはやや若い……多分30代前半くらいの男の声が聞こえた。
視線の先には、懐中電灯の光らしきものが映っている。
どうやら、警備で回っている人がたまたま近くに来ていたようだった。
「まずい……カズマ、こっち!」
ヒロコさんは言うが早いか、僕の手を引いて物陰へと隠れ、僕に抱きついた。
「ヒ、ヒロコさんッ!?」
さすがに声を上げたらまずいことくらいは分かっているため、小声で僕はヒロコさんに抗議の声を上げる。
「しっ、静かにして! 見つかっちまうから」
しかしヒロコさんはそんな僕にかまうことなく、限界まで身をかがめて息を殺していた。
警備員の足音が、段々近づいてくるのが分かる。
「誰かいるのか?」
警備員は警戒している様子で、さっきと同じ台詞を言った。
近くで、足音が響く。
もしかしたら、僕たちを探しているのかもしれない……と思いきや、足音は段々遠ざかっていった。
声のトーンも2度目はなんだかダルそうだったし、あまり仕事熱心な人では無かったのだろう。
隠れている僕らを、わざわざ探すことはしなかったようだ。
遠ざかる足音と一緒に、「気のせいか……」という呟きが聞こえたから、とりあえずは一安心である。
「……行ったみたいだな」
ヒロコさんも僕と同じ判断をしたのか、ようやく息を吐いてからそう言った。
「みたいですね……すいません」
僕は素直にヒロコさんに謝る。
さすがについ、ツッコミにチカラを入れすぎた。
「何、スリリングで楽しかったさ」
ヒロコさんは、それを爽やかに笑って許してくれた。
この気風のよさは、ヒロコさんの魅力の一つだと思う。
でも、僕が素直に謝ったのは……反省だけが理由では無い。
「なら良いんですが……そろそろ、放してもらえないでしょうか……」
僕は意を決してそう言った。
というのも、今僕は、相当きわどい状態にあるからだ。
警備員らしき人が去ってから、僕はここがどこかを認識した。
改めて考えてみれば、明らかに男性であった警備員がここを探さなかったのは当然だろう。
ヒロコさんが僕の手を引いて逃げ込んだのは……女子トイレの、しかも個室の中だった。
それに気付くと、トイレ独特の臭いと、すぐ傍にいるヒロコさんの匂いが鼻を刺激する。
さらに隠れるためにヒロコさんに思いっきり引っ張られ、そのまま強く抱きしめられたこともあって、肌も完全に密着していた。
ヒロコさんの暖かさと柔らかさを、僕は今全身で感じてしまっている。
今見つかっていたら、間違いなく校内でアレな行為をしようとしていたカップルと勘違いされただろう。
「ん? あー、ごめんごめん。じゃ、部室いこっか」
しかしヒロコさんはそれを気にする様子も無く、僕を普通に解放してからそう言った。
本当に、図太い人だ……。
僕は後ろで顔を真っ赤にしながら、ヒロコさんの後ろをついていった。
「さて、あと1時間30分か。何して暇を潰す?」
道中に警備員がいないことを確認してから、僕とヒロコさんは再び部室に入り込んでいた。
もちろん扉には鍵を掛けているし、電気もつけていない。
月の光だけが、今の僕らが頼れる唯一の明かりだった。
「……電気をつけるわけにもいかないですから、やれることも限られてますよね」
ヒロコさんの問いに、僕は考え込みながらそう呟く。
すると。
「……変なことしたら、イイ声で鳴くからね?」
ヒロコさんはいきなり四つんばいになって僕に近づき、耳もとでそんなことを囁いた。
吐息掛かっていて、それでいてどこか安らぎを感じさせる色っぽい声だった。
しかもそれを言った時、僕の耳にはヒロコさんの息が掛かる。思わず背筋がぞくっとなった。
「しませんよっ!」
僕はヒロコさんから逃げるように下がりつつ、控えめな声量を維持しつつ全力でツッコんだ。
下手に乗ると、僕の貞操が危ない。
ヒロコさんはそんな僕を見て、あっさりいつもの笑顔に戻ると身体を起こしてその場で胡坐をかいた。
その瞬間、白い太ももの奥に黒いものが見えた気がした。
いや、何も見えていないことにしよう。
「カズマ、顔が真っ赤じゃん? 何か見えた?」
なんて思っていると、ヒロコさんが冷やかすようにそんなことを言ってきた。
「見えてないです、黒なんて!」
僕は慌てて否定する。
「……いや、ばっちり見えてるじゃん」
ヒロコさんはからからと笑いながらそうツッコんだ。
……否定できてなかった。
「ま、いいんだけどね。カズマもなんていうか……ヘタレというかチキンだよね。あるいは、好きな人でもいるの?」
ヒロコさんは楽しそうに、そんなことを言ってきた。
そう言われて、僕はようやくヒロコさんに聞きたかったことを思い出す。
もちろん、姉さんのことだ。
「んー……それなら、聞きたいことがあるんですが」
「お、なになに?」
僕が切り出そうとすると、ヒロコさんは嬉しそうに反応した。
顔に『待ってました!』と浮き出ているような気さえする。
その反応を見て、僕は少し考えた。
そういえば姉さん、ヒロコさんに生徒会長から呼び出されたことを話しているんだろうか。
なんとなくだが……話していないような気がする。
確か姉さんとヒロコさんは別のクラスだったはずだ。
さらに言えばヒロコさんは、今までの話から察するに一日中、夜こうやって潜入するための情報収集をしていたと考えて良さそうだから知らないかもしれない。
だったら、姉さんのことはまだ直接話さない方がいいんじゃないだろうか。
ふと、そんなことを思った。
「あ、えっと……」
そこまで考えてから、僕は思わず言葉を止める。
なら、質問は慎重にした方がいい。
変に姉さんを話題に出すと、ヒロコさんは鋭いから感付くに違いない。
「えっと、仮の話なんですけど。例えば……シズネにカレシが出来るとしたら、ヒロコさんはどう思います?」
ヒロコさん自身に置き換えて、訊ねてみることにした。
立場的にはヒロコさんよりもむしろシズネの方が相応しいのだが、感の鋭さまで考慮したら相談相手はヒロコさんで間違いないだろう。
「……ふーん、なるほどね」
少し考えてから、ヒロコさんはにやりと笑ってそう言った。
僕のことを、意味深に見つめながら。
「なるほど、カズマの気持ちはよく分かったよ。そだね、アタシは……シズネが幸せなら、それが一番だ」
「ヒロコさん……」
僕をからかうような言葉の直後、急に真面目な声で。
ヒロコさんは、そう言った。
声のトーンから、ヒロコさんがシズネをどれだけ大切に思っているかが感じ取れた。
正直、放送部の3きょうだいの中ではあまり仲が良くない姉妹だと思っていた。
でも、実際そんなことは全然無かったようだ。
むしろ、家族を想う気持ちは僕より強い……そう感じさせられた。
「やっぱりあの子は、アタシにとっては大切な家族だから。まあ姉としては、先越されるのはちょっと悔しいけどね。でもそれ以上に、アタシはあの子には幸せでいてほしいと想うんだよ」
ヒロコさんは意志のこもった瞳で、僕をまっすぐ見てそう断言した。
迷いなんてまったく無い。
それがヒロコさんの、揺るがない本心であることが伝わってきた。
……確かに、そうかもしれない。
僕もなんだかんだで、姉さんの笑顔を見るのは好きだ。
そして逆に姉さんが悲しそうな顔をしていると、僕までなんだか憂鬱になる。
きっと家族とはそういうものなのだろう。
そこまで考えた時。
僕はやっと、姉さんを祝福してあげようという気になれた。
相手の人だって聞いている限りじゃ成績優秀、スポーツ万能な生徒会長とケチをつけるところなんかありゃしない。
そんな人が姉さんに告白してきてくれたのだから、これ以上喜ばしいことも無いはずだ。
僕が内心で、そんな答えを出した時。
「よし……じゃあ、今日はもうこれで帰ろうか」
ヒロコさんが、僕にそう提案してきた。
「いいんですか?」
答えが出た今、正直この申し出は有り難かった。
でも、なんだか僕の勝手な都合で解散にしてしまったような気がして、僕はそう訊ねる。
「かまわないよ。アタシも帰ってやりたいことが出来たからね」
だがヒロコさんはそう言って、あっさり解散を決定した。
そうと決まったら、行動は速かった。
来た道を戻り、あっさりと校舎の外に出る。
そして、そのままヒロコさんに別れを告げ、僕は帰路についた。
帰って、姉さんに『おめでとう』と言うために。
今なら、姉さんがどんなうっとおしい自慢をしてきても笑って祝福できる気がする。
僕はそんな晴れやかな気持ちで、家へと走るのだった。
――続く。
ありがとうございました。
続きはまた来週に!