トラップ
犯行予定現場に到着した。
「あと一分で予定の時間よ。油断しないでください」
(つっても、チートを発動できない俺がここにいる理由って何なんだ?)
俺とパスは、現場の交差点の傍で身を潜めるように待機した。三月の終わりだが、夜風が体を貫くように吹く。実際は短パンとスポーツブラのコイツは平気なんだろうか?
「来ました! あの男が犯人よ!」
身を潜める俺たちの前に、明らかに怪しげな人影を見つけた。
「じゃあとっとと捕まえろよ」
他人任せな言葉を発する。俺が今できることは、パスがそいつを取り押さえるのを見ているだけだ。これが現実だ。俺は何の役にも立たない。
「待ってください。少し様子が変だわ」
犯人と思われる人物を注視するパスは、行動に移すのを抑えた。
俺もよく見てみると、確かに不可解なことがあった。一つは襲われる被害者の姿が見当たらないということだ。もう一つは、そいつの動きが完全に止まったということだ。まるで何かを探っているような……。
(まさか!)
「パス! カメレオンは!?」
しかし対応は遅すぎた。
俺の発した声でそいつはこちらに気付いた。そして人の姿のシルエットが大きく変貌し始めた。
「ガム!? 迂闊でしたわ。まさかMSCを奴に利用されるだなんて!」
「どういう事だよ?」
ガムが変貌している間、俺たちはできるだけ間合いを取るように走って逃げた。
「簡単な事よ。依頼の情報は全部アイツが私たちを呼び出すための囮! そもそもあの交差点で犯行なんて起こらないのよ」
(まんまとはめられたってわけか)
ガムから百メートルぐらいの距離を取ったところで、奴は変貌を終了し、俺たちを追いかけはじめる。
「来たわね」
パスが走るのを止め、とっさに戦闘準備に入る。
「アイツって、この前俺の家に入ってきた奴か?」
「いいえ、あの時のガムはもう襲ってこないわ。アイツはまた別のガム!」
俺と会話中のパスは、次々とMSCにチートの切り替えを始める。
「ガムって何体ぐらいいるんだよ?」
「その話は後! あなたはできるだけ自分の身を守ることだけ考えてください」
彼女の言葉から緊迫感が伝わる。
さっき作った間合いが、あっという間に無くなってきた。ガムとの戦闘はこれで二回目だ。大体のパターンは理解しているから、この前みたいにへまをかくようなことはないだろう。
と、思った矢先にガムは視覚的にも聴覚的にも突然姿を消した。そもそもここには俺とパス以外いなかったと思わせるほど静寂が突然やってきた。
「そこね!」
パスも動き出した。
見えない相手に怯むことなく、彼女は右手から小銃を取り出してそれを誰もいない場所にめがけて撃った。
「あ、当たった!!」
何もないとこに撃った銃弾は、見事に姿を消していたガムにあたったのか、不気味な彩色をした血が突然噴き出してきた。
「いい? 神経を集中させなさい! あなたにもこれくらいは見えるはずよ」
「って、いきなり言われてもよ!」
流れていた血が止まり、ガムは再び不完全なステルスをしたが、やはりパスにはそれが筒抜けだったようだ。
彼女が発砲するたびに、その銃弾はガムのどこかしらの体にあたり、もう拭ききれるほどができないほどの出血をしていた。そんなこともあって、ようやく俺はガムの位置を把握することができた。
「もっと具体的にやり方とか分からないのか?」
「そんなこと言われても、私にはあなたに説明できるようなことはありません。これはあなたしかできないことなので」
確かにそりゃそうか。今までの対応とか見ていても、教えないというより教える情報が無いってとこなのかもしれない。
「じゃあ、お前らも俺のことについてよくしらねぇのか?」
「……簡単に言ったらそう言うことですね」
パスは依然、ガムとの攻防戦を繰り返し俺に近寄せないようにしている。
(なら初めから言えよ!)
「でも、そうじゃないかもしれません」
「どういうことだ?」
「私はただの社員。でもあなたに目をつけたラブはすべてを知ってるはずよ」
彼女は弾切れになった小銃を捨て、大きな刀を次に用意した。
(あの変態野郎が?)
「どうしても聞きたいのであれば、あの人から直接聞いてください」
彼女はボロボロでステルスの意味が無くなったガムに向かって走り出し、軽くそいつの四肢を一瞬で切り落とした。
「……。グロいな」
「仕方のないことです。奴らの運命ですから……」
(そういや俺って、ガムの正体とか、全然知らないな)
ひどく不気味な血を流すガムの体に、俺は目を背いた。
「最近の人は自分で調べるということをしないのですか?」
パスは刃に付いた血をサッと振り落すと、それをパッと消した。
「まあ、とりあえず今回の任務はこれで終了です。MSCの不備に関してはしっかりと本社に連絡しておかなければなりませんね」
(また話を逸らしやがったな)
俺とパスは真夜中の帰宅の路につく。彼女は右手にあるMSCを見つめながら歩く。
「それで、カメレオンもオフにしていたのもMSCの不備だっていうのか?」
しかし彼女はそのMSCを見つめたまま返答する様子がない。
「……ど、どうかしたのか?」
「どうやらMSCには不備が見当たりませんでした」
「は? ならどうやってガムがニセモノの情報を俺らに教えたんだよ?」
「一つ考えられるのは、そもそも各個人が持っているこのMSCに依頼を送ってくる本社に何らかの問題が発生したということです。それについて事実確認をしてみたところ、本社からは不規則な番号が永遠と送られてきています」
「不規則な番号?」
彼女は説明を続ける。
「そもそも、どうやってMSCにある情報を私たち使用者は知ることができると思いますか?」
(そう言えば知らなかったな。今までコイツに幾度か通信が入っていたけど、いつの間にか通信を終えていたみたいだし……)
「例えば、脳内通話のような機能があります。それは、口を使用しなくても会話することができる機能です。身近な事で言うと、あなたが考えていることを知ることができるチートがありましたよね?」
「あぁ、たしかコールリーディングって言ったよな?」
「あれはわたしの頭の中に、直接、あなたの声が伝わってきたりするのです。例えば心の中で何か考えてください」
(そんな、いきなり言われても……)
「あなたは今、いきなり言われても、と考えましたね? その考えた内容は、音声となって私の頭に流れてくるのです」
(な、なるほど……)
「そのような感じで、いわゆる文章形態の通信も、私の頭の中で直接読むことができています」
(そこに不規則な番号が送られてるってわけか)
「はい。現在、秒速五千七百文字前後のスピードで送り込まれています」
「……。それってオマエ的に大丈夫なのか?」
「大丈夫ではありません。このMSCは莫大な容量を搭載していますが、私の場合はチートコードがその要領のほとんどを埋め尽くしていまして、空き容量は残り5パーセントを切っています」
「ってことは?」
「この状態が続けば、あと三日ほどで私は電子的に倒れてしまいます」
(おいおい。それって結構やばいんじゃ!?)
「いいえ。問題は簡単です。つまり本社がこの問題を解決してくれればいい話です」
「でも、本社との通信とかって可能なのか?」
「非常用プログラムがあります。それで何とか対応はできますが、少し回線が混雑している模様です」
「じゃあ今は本社が対応してくれるしかないのか?」
「ただ、他にも問題が発生しています」
彼女は足を止める。
「現在、半径二キロ圏内に二百を超えるガムたちが集結しています」
(二百!? ウソだろ?)
「な、何か対策とかできているのか?」
「いいえ、カメレオンは現在も使用不可能状態が続いていますので当然と言えば当然なのかもしれませんが、少し様子が変です」
「どういう意味だよ?」
「なぜ襲ってこないのでしょうか?」
俺にはレーダーみたいな機能がないから、実際どこに敵がいるのかとかは分からないが、彼女の言葉からしてガムの動きは止まってるのだろう。
「そんなもん知らねぇよ。それより襲ってきたときのこと考えた方がよくないか?」
「……いいえ、襲って来ないんじゃなくて襲って来れないようですね」
(どういう――)
「この近くに、あなたに匹敵するほどの力があるかもしれません」