これから始まる春休み
「御機嫌よぅ、ミスター・トゥルーチーター」
俺が目を開けた先には、あの青年、ラブがいた。どうやら俺の部屋のようだ。
ベッドから、俺の部屋にあるものから感じ取れたそれぞれの愛着。
生きている、そこから何となくだが状況を理解した。
(そうか、アンタが助けてくれたのか……)
「フハハハ。まあそう言うことにしておきましょう」
(!?)
彼は笑った。いつものようにケラケラと。
「何よりも生きている。それがあなたを強くしていくことでしょう。壁のない人生なんて面白みのない、ただの作業。朝起きて、学校に行き、帰ってきて、そして寝る。そんな人生より死を体験したあなたは、よっぽど今の人生を楽しんでいるはずです! あなたは一つ目の壁を越えた。これがあるからこそ人生と言うのは実に楽しいものです」
彼は昨日みたいにベラベラとしゃべり続ける。
でも俺の頭はそんなくだらない思想を理解するほど、効率よく回転できていなかった。
たださっきまでのことを思い出し、思い出し……。
そしてすべてを理解し終えたその時、俺はとっさにあの幼女のことが気になった。
「あ、あいつは!?」
俺は被せられた布団をガバッと剥ぎ、そして自分の体に何重にも巻きつかれた包帯を目にした。
「イテテ……」
「こらこら、あなたは怪我人なのですから、もう少し落ち着いて。彼女なら一階のリビングを綺麗にしに行ったところですよ」
(綺麗に!? いくらなんでもあれほどの血を一人で片付けるなんて……)
さらに拍車をかけるように、俺はギシギシと傷む体に鞭を撃った。
「また傷口が開きますよ……」
「んなこと言ってられるか」
しかしそんな俺の意思を木端微塵に噛み砕くように、ラブは俺の身体をベッドに押し倒して縛り付けた。
「少しは状況を理解しろ。お前の勝手な判断で起こしたことなのに、また勝手な判断で動くのか? あぁ!?」
俺は昨日の恐怖感を思い出した。ベムツの高級車の扉が開いた時に感じた、あの時の感覚を。
「心配しなくても大丈夫だ。彼女はフィールドコピーのチートを使っていたはずだから、もうすぐ戻ってくるさ」
次にラブは落ち着きを戻したよう優しさの含んだ声で補足した。いや、落ち着きを戻したのは俺の方かもしれない。
「す、すみません」
俺は肩を狭める。
「うん。分かればよろしい」
そう言ってラブは、机に置いてあるティカップを手に取って、それに角砂糖を一つ溶かした。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何かね?」
ラブはスプーンで軽くかき混ぜ、次に啜るようにしてお茶を口に通した。
「さっきのガム、あれはどうなったのですか?」
彼は少し驚かされた、という顔を返した。
「俺が憶えていたのは、ただ、攻撃を食らって、それから床に倒れて、血が止まらなくて、最後に……」
そこまで言って俺はしゃべるのを忘れた。最後に何かあったのだが、その何かがなかなか思い出せないからだ。
いや、もしかしたら思い出してはいけないモノだったのかもしれない。
「あのガムは、逃げていきました」
ラブが少しタメを置くようにして応えた。
「逃げた?」
「おそらく君が死んだのだと思ったのでしょう。(と言うよりも、畏れ多くて逃げて行った、と言うべきでしょうが、彼にこれを言っても――)」
「畏れ多くって、どういう意味なんだ?」
「っ!!」
ラブは目を見開いた。それは普段よりも数段大きく。
「よもや……」
彼はいつになく真剣な顔で考え伏せる。
「……大丈夫ですよ。ガムはただ逃げただけですから……。それでは私はこの辺で失礼します」
慌てるように部屋から出て行った彼とすれ違うように、あの幼女が部屋に入ってきた。入るときにラブに何か言われたように見えた。
「体の具合はどう?」
ベッドの横に小さな椅子を置き、その上に幼女は座った。
さっきまでの無残な姿が嘘のように、その長い髪は永遠の白を物語っていた。
「そ、そっちはどうなんだよ?」
「フフ、それも踏まえて説明しないといけないようですね。我々従業員は全て、このMSCにより人体のハイブリッド化を可能にしています」
彼女はMSCを見せびらかす。
「簡単に言ったらサイボーグみたいなのか?」
「そう取っていただいても問題ありません。だからある程度の損傷は自己修理可能と言うわけです」
「へー、何かスゲー腕輪なんだな」
俺はそう言ったが、彼女はその答えに対してあまりいい顔をしなかった。その顔の表情から、そんないい代物じゃない、と訴えかけてるようにも聴こえた気がした。
「次はどこから説明いたしましょうか?」
彼女は、まるで従順なメイドのように、俺に質問を募集した。
「んー。そうだな。あ! まずは自己紹介でもしてくれよ」
「自己紹介……ですか。いいですけど、私はやはりあなたの考えが読めません。ラブがあなたを気に入る理由が、なんとなくですけど分かった気がします」
彼女は続けた。
「私の名前はパス。あなたとの関係は、昨日より“一時的な”上司と部下の関係となっています」
「結局そうなっちまったのか……」
「……こんなものでいいかしら?」
「他に言うこと無いの? ほら、趣味とかさ。休日何してるとか」
「私の任務はあなたを二十四時間、守ることですのでそういったことは持っていません」
その答えは、彼女からしたら当たり前のことを言っただけなのだろうが、俺はただ彼女に対しての罪悪感が、心を蝕んだ。
「俺ってそこまでして守られなきゃいけない人間なの?」
「……大げさに言うと、あなたが彼らガムにマインドコントロールされた時、それは審判の日を意味するに同等と、判断されています」
(審判の日!?)
俺はその曖昧な答えでなく、もっと具体的に説明するようにうながした。
「例えば私がチートを発動するには、まずMSCにチートのオンオフを命令しないといけない」
そう言って彼女は実際にMSCを口元に近づけた。
「次にあらかじめ入力されているナンバーと、それをオンにするかオフにするかを言う」
「そのチートの数って大体どのくらいあるんだ?」
「私が記憶してる限りでは、約二万五千八百弱あるわ」
「に、二万……もしかして、どの番号がどの効果とか、そんなの全て憶えているのか?」
「基本的にはね……。じゃあナンバー003をオンにするわね」
彼女はMSCに向かって命令した。何度も見てきた光景だが、あんな腕輪に話しかけるだけで、って思ったら、非日常の世界に来たんだなって考えてしまう。
「……ちなみにそのチートは?」
「これは指定した範囲の空間にある物質を浮遊させるチートよ。でも、これだけじゃ発動できない」
「どういうこと?」
「ここまではオンかオフをMSCに命令したまで、最終的に実行するのは私の意思でやるの。大きく分けてその方法は二通りあるわ。まず、チートコードの簡略名を口に出すこと」
「あぁ、確かカメレオン……とかみたいなのか」
「そう、ああやって口に出して自分の意思を表明するのが大事。もう一つの方法はイメージすること」
(ん? でもイメージだけじゃ意思を表明したことにはならないと思うけど)
「いいえ、問題ないわ。このMSCはすでにその人の思考回路の一部となっているの。誤判断しづらい。だからもし私がチートの切り替えをした後、発動するかを迷った場合、MSCはそれを的確に判断し、私の発動意思が決定したときにだけ発動してくれるってこと」
「おぅ、全くわかんねぇ」
「知らなくても大丈夫。さっきも言ったけど、あなたはこれを介さずにチートを発動できるから」
「でも実際に俺がチートを使ってるとこなんて見た事ねぇぞ」
「……あなたはまだ自分の能力を己のモノにしてないだけ。だから使っているのに気付いてもいない。もしそれが身に付いたら、さっきも言ったけど使いようではこの宇宙が滅びると言ってもいいぐらい。だって何でもできるんだもん」
彼女は大げさな比喩を使った。
「そしてこの装置、MSCにはデメリットがいくつかある。さっき言ったように発動するまでに時間と手間がかかるということ。他には、さっきガムと戦闘したとき、私の張ったベールが破れたのを覚えてる?」
俺は彼女があの時に合図したときのことを思い出した。
「覚えてるもなにも、目の前で銃弾とかが防がれてたからな。あれが破れた時は焦ったぜ」
「このチートは永遠ではないということ。ある程度、効果を発揮すると自動的にオフになる仕組みになっているの」
そう言って彼女は、ラブの飲みかけていたティカップを宙に浮かせる。が、数秒後、カタンと言う音と共に、そのティカップは机に落ちた。そこまで高く持ち上げていなかったからこぼれることはなく、そのままストンと落ちたようだったが、いかにも機械らしい正確な効果だなぁ、と思った。
「つまり俺は考えたことを瞬時に、ほんでもって意のままにできる。しかもそれが永遠に、ってことか?」
「……だから危険なの」
(なるほどな。これで俺が護られる理由が分かった)
「最後に一つ言ってもいいか?」
「何?」
「今俺を守るために大体幾つぐらいのチートを発動してるんだ?」
「……。あなたは今、カメレオンや体の周りにプロテクトアーマーを張り付けていたり、あなた自身を守っているチートは二十一個。それから敵の場所を把握、追跡しているチートなどが五個の計二十六個を発動しているわ」
「じゃあさ。そのチート全部オフにしてくれ」
「……私にはあなたの考えてる事が理解できません。まだ力を身につけてないあなたを守るには必要最低限のチートが、この中には十ほどあるのですよ?」
「いいんだ。それを全てオフにして、それで俺の話を聞いてくれ」
「……できません。どんなことがあろうともその命令が私の存在意義です」
彼女は身を引こうとはしなかった。だから俺は迷った。
「な、ならさ。チートはオンのままでいい、でもさ、俺のために時間を無駄にしないでほしいんだ」
「それは、どういう意味でしょうか?」
彼女は大きく首をかしげた。
「おまえさ。今まで俺のせいで自由な時間とかなかったんだろ? そんなんじゃ俺の気が済まねぇんだ。だから、この通りだ」
「……分かりました。私は極力、監視の時間を自分の時間に当てます。それがあなたの望みなのだったら」
彼女は言った。でも、その自分の判断が本当に良かったのかどうか。そんなことを考えてるようにも見えた。
実際、この決断が吉と出るか凶と出るか、今の時点では誰もわからなかったんだから。