春休みの初日
(結局、昨日のあれはなんだったんだろう?)
春休みの第一日目の朝。一人、食卓でカリカリに焼いた食パンを頬張りながら、俺は昨日の出来事を何度も思い出した。
あの後、インターネットで“TPC”について調べてみたら、民間運送関連会社としてのホームページだけが掲載されていて、裏の活動については一つの情報片すら見当たらなかった。
「あわわわ。遅刻だぁ!」
慌ただしくネクタイを適当に締めながら、リビングを滑走していく姿があった。
「あっ。兄貴。母さんたちどこにいるか知らないか?」
「お前ホントに人の話を聞かない奴だな! 前々から母さんと父さんで温泉旅行に行くって言ってただろ!」
兄貴は自分の食パンをかじりながら応え、ふと腕時計を見る。
「ひょー、おしょくなるはらな」
「何て?」
「今日、俺遅くなるかもしれないから、留守番頼んだぞ!」
兄貴は口に押し込んだパンを、牛乳で一気に流し込み、プッハーとオッサンのようにのどを潤して家を出て行った。
(去年は就活で大忙しで、今年は研修で大変そうだな)
兄貴は今年の春から、IT系の企業に就職することになった。大学まではチャラチャラ生活してたけど、さすがに仕事が決まってからは時間に追われる毎日でとてもそれどころじゃないらしく、やっぱ日本だなぁって思ってみたり。
(何より、あの兄が無事に就職できてめでたしめでたし)
「あなたは就職しないの?」
「あぁん?」
俺の背後に突如として女性の、いや少女の声が聞こえた。俺は何も疑いもせず後ろを振り向くと、そこには小学生か中学生ほどで、白髪の幼女が立っていた。
「あなたは就職しないの?」
「――――」
(まてまてまてまてまてまてまてまて! えーっと、これはどういうことだ? とりあえず順に考えてみよう)
俺は額からこぼれ落ちる汗に人差し指を当て、必死に考える素振りをした。無論、頭の中など空虚の白でしかなく、それが幼女の白髪でつつみこまれているようだ。
「ま、まず質問してもいいか?」
「何?」
「えーっと、いつからそこに居るんだ?」
「そうね。姿を現したのはあなたのお兄さんが家を飛び出した直後。あなたを監視し始めたのはあなたが三歳のころ、だったかな?」
その幼女は最後に首をかしげ、人差し指をあごにあて、その行為になぜか俺の身体は燃え広がるような熱を感じた。
が、彼女の答を全く持って浸透することができない。
(姿を現した? 三歳から監視してた?)
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 言ってる意味がさっぱり分からないんだが……」
「私はTPCの社員よ」
「TPCって昨日の変な勧誘活動のことか?」
「ラブはあなたのことを気に入ったみたいだわ」
(ラブって昨日のあいつのことだよな)
気にいられる理由も分からない。
「昨日はおもいっきり断ったはずだが、どうして気に入られなくちゃならないんだよ?」
「あの後、私は彼に失敗したようですね、って言ったの。だけど彼はあなたの潜在能力を確信し、必ず我々に力を求める時が来るだろうってニヤつきながら応えたわ」
「だが俺はあんな奴の、お前たちの世話になるつもりは無い!」
「……例えば、もう既に世話になり続けていると知っても?」
「どういう意味だよ?」
彼女の瞳は、まるで魂の抜けたように、ただ俺の瞳を見続けていた。
「我々は十四年前。あなたと出会った」
(三歳のころ? そんなもん憶えてねぇよ)
「これが見える?」
幼女は自分の右手首につけた、金属製の腕輪を見せてくれた。その傷一つない光沢の銀色からは、まるで近未来の魔法の金属のように不思議な艶を出していた。
「これはPTC社員に義務付けられる装置、金属電脳制御装置よ」
(め、めたる……?)
「通称、MSCと呼ばれるこの装置は、能力を発揮する装置であり、社員同士とのコミュニケーション、情報交換など、多岐にわたる用途ができる優れもの」
「へー、なんか面白そうじゃん」
俺は昨日の高揚や緊張などが、再び体をしびれる感覚がした。
「この能力の説明をしてしまえば、きっと年を越してしまう。だから単刀直入に言う」
彼女の目が今まで以上に真剣みを帯びた。
「この主機能のうちの少なくとも一つ、不正人体改造機能。簡単に言えばチートができる機能を、あなたはMSCなしで実行することができる唯一の存在、と言ったところ」
「……ちょっと待て、そのチート何チャラっていうのがどういうものなのかとかさ、もっと説明してくれたってイイだろ?」
俺は両手を広げて頼むように言った。
「じゃあ実際に使ってみるわ」
彼女はそう言って自身の右手首にはめたMSCっていうのを口元に近づけて、こう言った。
「ナンバー078オフ。ナンバー052オン。ナンバー031から042までオン」
そう言って彼女は口元からMSCを離した。
「カメレオンデリート」
彼女が呟く。
「な、何したんだ?」
「あなたのその能力は、使い勝手では非常に危険になる可能性を秘めている。だからその能力を狙ってくる奴らもいる。私たちは彼らのことをガムと呼んでいるわ。彼らはあなたの居場所を確認したら、すぐにコンタクトを図ってくるの。私の任務はあなたをガムから守ること」
そんな話をしていると、早速、二階の方から窓ガラスか何かの割れる高い音がした。
「さっきオフにしたコード、カメレオンは、ある特定の人物の存在を無にする、といったもの。それをオフにしたから、あなたの居場所が彼らに探知されたのよ」
すると、階段の方から
ダダダダダッ!
というものすごい速さと足音を立てながら、ガムと呼ばれる人物がやってきた。
「ワレ、ニンムヲ、ハタス」
(何なんだよ?)
階段から降りてきたそれは、深い翠の仮面のようなものを被り、それはヒーロー戦隊に出てきそうな雑魚敵のようなキャラだった。が、次の瞬間、それの腕からは魔法やトリックのようにスルリと拳銃を取り出した。
一瞬の出来事過ぎて、俺にはそれが何をして、何が起こった……。
(すげぇ)
ただ、感嘆とした思いが、体の全身を包みこむようにして広がっていく。
「シネ……」
そいつ、ガムは言った。そして右手に持つ拳銃の引き金を引く、その瞬間だった!
ガムの持っていた拳銃は、まるでその中身の構造を見せびらかすかのようにして両断され、ただのスクラップになってしまった。
「なっ!?」
俺は幼女の方をとっさに見た。
彼女は右手に自分の背丈ほどはあろう刀みたいなのを持ち、それを軽々しく振り回していた。
「フン、チーターメッ!」
ガムはさらにまだまだ武器があるぜと言わんばかりに、腕いっぱいに広げて機関銃や小銃、散弾銃に狙撃中など、場にそぐわないありとあらゆる武器までも出し、終いには手榴弾も出現させた。
それと同じくして彼女は、MSCを口元にまで近づけ、さっきみたいにチートコードの切り替えをしているようである。
「オワリダ……」
ガムは自嘲した。それは自分の死に対する冷笑だったのだろうか? あの武器の数だ。アイツもどうなるかは目に見えていた。
「まだまだね。プロテクトフィールド、プラスアーマー、フィールドコピー、リバースウィンドウ」
幼女は言った。どういう意味か分からないが、何か最善の方法だったに違いない。
実際に、ガムの放つ銃弾や爆発など、全て俺の目の前に現れたベールが防いでいった。が、
「……ッ、多すぎる!」
彼女が弱音を吐いた、のだろう。
とっさにMSCを口元にあて、追加の切り替えをしていく。
「いい? 私が合図したと同時に、あなたはすぐに玄関へ向かって!」
銃声と爆音の中、かすかに聞こえる彼女の声からは、失敗という言葉も得ることができた。しかし何もできない俺にとって、彼女の言われた通りにしなければならない、そう思ったからとっさに首を縦に振ってしまった。
それを見た彼女はニッコリ笑い、そしてカウントダウンを始めた。
その笑顔が妙に俺の心の中に残った。
「5……4……」
ガムの攻撃は一向にやみそうにない。
「3……2……」
(……逃げるのか!?)
不意に気が付いてしまった。俺よりも小さな女の子を見捨てて逃げるという、男としてのプライドの失墜。いや、そんなもんで片付けられるはずがない。
その刹那、俺の頭が酷く揺らいだ。まるで頭蓋骨を、脳内を見せびらかしたような、それはフラッシュバックのような感覚が訪れた。
しかしその感覚はすぐに引いていった。
そして思考回路が確定した。
(俺は決めた。例え相手が俺を守る役割があっても、俺はこの子を守る!)
考える暇などコンマ一秒も無い、とっさの判断だった。だから後悔する余裕なんて、なかった。
「1……行って!」
爆音の中で微かに聞こえた合図。
俺の脚は玄関の方に向かうことは、ない。
それを見た幼女は目を見開いた。
「どうして……」
その時だった、限界に満ちたベールが破られ、ガムの攻撃が俺たちを襲った。
しかし、俺にそいつの攻撃は当たらなかった。
その幼女が、小さな体を盾にして俺を庇ったのだ。
(何でだよ……)
俺は彼女のプランニングしていた最善の方法をぶち壊してしまったのだと、ようやく気が付いた。彼女がカウントを始める直前、つぶやいたチートコードを実行していたらこんな結果にはならなかったはずなのに、その最善の方法を俺が壊してしまった。
プライドとか偉そうな口を叩いて、バカだ。
「逃げて……、さっきカメレオンをオンにしておいたから……。この煙が立ち込めてる間は、ガムにあなたは見えない」
見るにも無残な彼女は、それでも俺の心配をした。
俺は逃げるべきなのか? この目の前の少女が体を張ってまでして生きなければならない存在なのだろうか?
(お前は言った。俺にもチートを使う能力があるって)
「いけない! あなたはまだその力を……己のモノにしていない!」
俺の心を読みとったのか?
(こんな状況で器用な奴だ。だけど俺は逃げるつもりはねェ)
「きっと、フィクションみたいにこういうシーンで力が身に付くはずだ!!」
「だめ! 現実は――」
そう、現実は上手くいかない。
それは俺も重々知っていた。
でも、目の前に俺を庇ってくれた女の子を置いていくなんて、やっぱり無理だった。
「グハッ」
口からは血が出た。床に倒れた。その床は真っ赤に染まっていた。体中から血が噴き出る感覚がする。
(あーあ。部屋、汚しちまったな。早く綺麗にしないと。でも、体が、動かない……)
視界がぼやけていく。
心臓を抉られるような錯覚がした。けど、痛みを越えた先は何も感じれなかった。
ただ、心臓の鼓動が不規則な動きで……静かになっていく。それと同時に、目の前が真っ暗になった。
(これが俺の望んだ空だったのか?)
その時、ラブの声が聞こえた、ような気がした。俺の傍にいたのか分からない、昨日の記憶をもとに俺の頭が作った幻聴なのかもしれない。
『空に道なんてものは無い。自分で切り開いていくものです』
それが聞こえた時、俺は再び目を開いた。