『赤い靴を履いた少女』
ある日の夜のこと。
少女は、自分の部屋でベッドに寝転んでいました。
部屋には、木製のアンティーク調のテーブルと衣装棚。
天蓋のついたベッドの足元には、ふかふかの絨毯が敷かれていました。
ベッドの上には、少女のお気に入りの動物たち。
そして、高さのある二つの本棚には、色とりどりの絵本がずらりと並んでいました。
少女は、童話が大好きでした。
ふかふかの枕に頭をのせ、本を読んでいました。
タイトルは『赤い靴を履いた女の子』。
少女は眠る前になると、毎晩その絵本を開きました。
何度も何度も、読み返した大好きな絵本。
けれど、その夜。
少女は、ふとページをめくる手を止めました。
赤い靴を履いた女の子は、たくさんのお友達と楽しそうにお話をしていたのです。
少女は、人とお話をすることが少し苦手でした。
大勢の人がいるところへ行くと、緊張してしまいます。
なので、お友達はあまり多くなかったのです。
――けれど、少女は寂しくありませんでした。
少女には、空想の世界があったからです。
少女は、また絵本のページをめくりました。
そして、その日の夜も眠りに落ちるまで、少女は物語の世界にずっと浸っていたのです。
◇
ある日の昼下がり。
少女は、お母さんと一緒に街へ出かけました。
いつもなら絵本を読んで、お部屋で過ごしている少女。
けれど、その日は違いました。
少女には、欲しいものがあったのです。
それは、赤い靴でした。
お母さんと一緒に靴屋さんへ行きました。
けれど、お店には少女に合う大きさの靴がありませんでした。
別のお店を探しても、赤い靴は売り切れていました。
少女は悲しくなりました。
『また今度、探してあげるから』
お母さんはそう言って、少女の頭を優しく撫でました。
『いつか、必要になった時にあなたの目の前に現れるわ。それが今じゃなかっただけ。だから、泣かないで』
少女は涙をこらえ、小さく頷きました。
お母さんの手は、とても温かかったのです。
その温もりは、少女の小さな胸まで、ぽかぽかと温めてくれました。
◇
ある日の朝のこと。
少女は、水色のワンピースを着ていました。
ふわふわと広がるスカート。
その上には、白いエプロンドレス。
それは、少女が大好きな物語の中にいる女の子と、よく似た服でした。
少女は姿見の前に立つと、くるりと一度、回ってみました。
『女の子はオシャレが好きだと言うからね。どうだい? 気に入ったかな?』
お父さんの優しい笑顔が、少女の頭に浮かびました。
少女が嬉しそうに口元を緩ませた、その時でした。
少女は、鏡の中がおかしいことに気がつきました。
そこに映っているのは、少女の姿ではありません。
優しいいろどり。
穏やかな陽だまり。
まるで、物語の中に入り込んでしまったような世界です。
そう。
鏡の中には、森がありました。
――どきどき。とくとく。
少女の小さな心臓は、いつまでも鳴り続けています。
白い手で胸をぎゅっと握りました。
そして、少女はうっとりと、ため息をこぼしました。
こぼれ落ちてしまいそうなほど大きな瞳。
その瞳はきらきらと輝き、鏡から一度も離れませんでした。
一歩。
また一歩。
少女の黒い靴が、鏡へと近づいていきました。
そうして少女は、鏡の中をそっと覗き込んだのです。
そこには、木々の間をすり抜ける白いうさぎがいました。
――まるで、お母さんが買ってくれたぬいぐるみのよう。
青い羽根を持った小さな鳥も飛んでいました。
――それは、お父さんが買ってくれた絵本の中の鳥のよう。
くるくる。
鏡の中の世界が変わっていきました。
くるくる。
森が消え、また別の景色が現れました。
またたく間に、いろいろな世界が映し出されていきました。
少女は、一度も目を逸らさずに、ただ黙ってじっと鏡を見つめていました。
そこには、きらきらと光る海もありました。
ゆらゆら揺れる、小さな魚たち。
ぷかぷか浮かぶ、くらげ。
そして、海の中をゆっくり泳ぐ、大きなクジラ。
少女は夢中になって、その世界を眺めていたのです。
けれど、その時。
ふと、景色が切り替わったのです。
そこは、先ほどまでの景色とはまるで違う場所でした。
真っ暗な部屋。
ぽつんと置かれた、茶色い猫足の椅子。
その椅子だけを照らす、ひとつの明かり。
そして少女は、目を丸くしました。
椅子の上に――赤い靴があったのです。
少女は声を出そうとしました。
――けれど、声は出ませんでした。
ぱくぱくと口を開きました。
――それでも、言葉になりませんでした。
少女は自分の喉に触れました。
もう一度、声を出そうとしました。
――けれど、もうどうでも良くなったのです。
目の前にある赤い靴。
少女は鏡に向かい手を伸ばした、その時。
――ぽちゃん。
それは、水面に小さな雫が落ちたような音でした。
その音に、少女はふと、足を止めました。
――けれど、もう、どうにもならなかったのです。
少女の腕は、鏡の中に吸い込まれていたのです。
そして――。
――コトン。
小さな物音が少女の部屋に響きました。
けれど、少女の部屋には誰もいませんでした。
ただ一つ。
鏡の前には、黒い靴が片方だけ落ちていました。
――鏡の向こうには、赤い靴を履いた少女が映っていたのです。
童話とホラー、そして幻想が好きな作者による、
大人向けの童話風ホラーでした。
お読みいただき、ありがとうございました。




