完璧な結婚式
王都の大聖堂は、祝福に満ちていた。
高く伸びる天井から降り注ぐ光。
並べられた白百合が、甘く澄んだ香りを放っている。
柱や祭壇を縁取る金の装飾は、燭台の炎を受けてきらめき、集まった貴族たちの視線を誇らしげに反射していた。
王家と公爵家。
この国で最も格式のある婚礼にふさわしい、非の打ち所のない舞台。
――完璧すぎるほどに。
♢
控室で、ソフィは鏡の前に立っていた。
純白のドレスに包まれ、ヴェールの奥で、ソフィは小さく深呼吸を繰り返す。
「……大丈夫ですよ、お嬢様」
背後で侍女が優しく声をかける。
だが、その言葉に返事はできなかった。
――今日、私はロラン様の妻になる。
幼い頃から、当たり前のように描いてきた未来。
夢が現実になる日。
嬉しい。
夢のように幸せなはずなのに。
胸の奥が、ざわついて落ち着かない。
――ロラン様、今日は……どんなお顔をなさっているのかしら。
想像しただけで、頬が熱くなる。
でも同時に、心に不安の影が落ちる。
最近のロランの視線は、どこか距離を測るようだった。
言葉は変わらず優しいのに、指先も、視線も、決して踏み込んでこない。
――私……何か、してしまったのかしら。
扉の向こうでは、楽隊が静かに準備を整えている。
低く鳴る弦の音が、胸の不安を余計にかき立てた。
♢
反対側の控室で、ロランは一人、静かに立っていた。
王太子としての正装に身を包んだ姿は、誰が見ても完璧だ。
だが、手袋の下で握られた拳だけがその姿を裏切っている。
――ソフィが、自分の妻になる。
何年も前から望んでいた未来。
王太子としてではなく、一人の男として、彼女を選び続けてきた。
それでも、ロランの胸の奥に残る疑念が消えない。
――彼女は、本当にいいのだろうか。
自分を見てくれない。
視線を合わせようとすると、いつも逸らされる。
心を許している相手は、いつも――エリックだ。
思い出すだけで、胸が張り裂けそうになる。
――それでも。
ロランは目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
――王太子として、彼女を迎えると決めた。
それだけで、十分だ。
感情を切り離すことは、彼が幼い頃から身に付けてきた術だった。
やがて、控え目なノックとともに扉が開く。
「殿下。お時間です」
「……ああ」
短く答え、ロランは一歩を踏み出した。
♢
大聖堂に、荘厳な音楽が響き渡る。
ロランは祭壇の前に立ち、正面を見据えた。
集まった視線、期待、祝福――すべてを受け止める位置。
その視界の端で、扉がゆっくりと開いた。
ソフィが、歩いてくる。
ヴェールに覆われたその姿は、まるで光そのもののようだった。
一歩、一歩、確実に距離が縮まっていく。
――綺麗だ。
思わず息を呑む。
誰よりも、何よりも。
それなのに、胸が苦しく締め付けられる。
彼女は顔を上げない。
ヴェール越しに、視線が合うこともない。
――……最後まで、目を合わせてはくれないのか。
冷たい痛みが、ロランの胸を撫でた。
ソフィもまた、必死だった。
――っ!
いつもより破壊力が増している……。
無理……顔、見られない……。
視線を上げた瞬間、泣いてしまいそうだった。
嬉しさと、不安と、言葉にできなかった想いが、全部溢れてしまいそうで。
だから、俯いたまま、歩くしかなかった。
祭壇の前で並び立ち、司祭の厳かな声が響く。
「ロラン殿下。あなたは、この者を妻とし――」
ロランは一瞬、隣を見る。
ソフィの指先が、わずかに震えているのが目に入った。
――……怖いのか?
そう思った瞬間、胸が軋んだ。
「――健やかなるときも、病めるときも」
誓いの言葉が、容赦なく続いていく。
ソフィは震える声で、答えた。
「……はい」
ロランもまた、低く、静かに応える。
「……はい」
その声に、感情は乗らない。
乗せてはいけない、と彼は自分に言い聞かせていた。
やがて、ヴェールが上げられる瞬間が訪れる。
ソフィは覚悟を決め、顔を上げた。
その瞬間――
視線が、合わない。
ロランの目は、彼女を通り過ぎるように、ほんの一瞬だけ逸らした。
――え。
誓いのキスは、触れ合わない。
周囲から見れば、確かに触れたように見えた。
だが実際は――
唇の温度を、ソフィは感じなかった。
ソフィの胸が、痛みに貫かれる。
――私、嫌われて……?
式は滞りなく進んでいった。
祝福の拍手が、大聖堂を満たす。
完璧な結婚式。
誰もが羨む、王太子と公爵令嬢の婚礼。
二人は王子と令嬢としての顔を崩さない。
ただ――当人たちだけが知っていた。
この日が、愛し合う二人の始まりではないことを。
♢
結婚式の後。
ロランは、ひとつの結論にたどり着いていた。
それは決意と呼ぶには、あまりに脆く、覚悟と呼ぶには、あまりに臆病な選択。
――ソフィとエリックを、結ばせる。
自分ではなく、彼女が心から笑える相手と。
もし、ソフィの視線の先にいるのが自分でないのなら。
もし、その笑顔が、別の誰かに向けられるものだとしても。
せめて、彼女が幸せでいられる未来だけは守りたかった。
自分が隣に立たなくてもいい。
夫として、選ばれなくてもいい。
王太子としての体裁さえ保てるなら、それでいい――。
そう言い聞かせなければ、胸の痛みに耐えられなかった。
説明などできなかった。
言葉にすれば、きっと縋ってしまう。
引き止めてしまう。
本当は、手放したくなどないと、吐き出してしまう。
だから、何も言わない。
何も問わない。
ロランはそれが彼にできる、唯一の「優しさ」だと、思い込むしかなかった。




