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すれ違いの、その先で  作者: 鴨治玲


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3/6

すれ違いのはじまり

十二歳の春。

まだ冷たい風を残しながらも、王宮の庭には柔らかな陽射しが差し込んでいた。

薔薇の芽がほころび始めた回廊で、ロランとエリックは並んで立っている。


その少し先、噴水のそばでソフィが二人を待っていた。

春の光を受けて揺れる亜麻色の髪が、やけに遠く感じられる。


「……今日で、しばらく会えなくなるんだな」


ロランが呟くと、エリックは小さく肩をすくめた。


「仕方のないことです。私たちは王侯貴族なのですから」


エリックの声は淡々としていたが、その奥にある寂しさをロランは聞き逃さなかった。


十二歳。

王侯貴族の子どもたちは、それぞれの学院へ進む年齢だ。

身分が高ければ高いほど、異性と隔てられた環境で、厳しい修練の日々が待っている。

それは義務であり、役目であり――逃れられない未来。


ロランは拳を握りしめ、小さく息を吐いた。


「わかってる。でも……」


言葉の続きを、ロランは飲み込んだ。

わかっているからこそ、胸の奥が重くなる。


そこに――

噴水の向こうから、ソフィがいつもと変わらない笑顔で駆け寄ってきた。


「今日はお二人とも、元気がないようですね」


いつもと変わらない、柔らかな笑顔。

その声を聞いた瞬間、胸に溜まっていた重さが、わずかにほぐれる。


「そんなことないよ」


ロランは何かを言いかけ、結局、それ以上は言葉にせず微笑んだ。

今はまだ、その時ではない。

別れの日だと口にしてしまえば、今この時間が壊れてしまいそうだった。


三人で歩き出すと、回廊の先に王妃とソフィの母が談笑している姿が見えた。

王妃はソフィを見ると、どこか嬉しそうに目を細める。


「ソフィは本当に可愛らしい子ですね。将来が楽しみですわ」


その声音は、他の令嬢に向けるものより柔らかかった。

ロランの胸がざわつく。

エリックが小声でささやいた。


「殿下のお母上は、ソフィ様をとても気に入っておられますよ」


ロランは返事をしなかったが、胸の奥に小さな熱が灯った。


三人で過ごす最後の午後は、驚くほど早く過ぎていった。

王宮の回廊を歩き、昔と同じように他愛もない話をする。

変わらないはずなのに、時計の針の音だけが、やけに大きく響いていた。


やがて、庭の向こうに迎えの使者の姿が見える。


「……時間ですね」


ソフィがそう言って微笑んだ瞬間、ロランの胸がきゅっと締め付けられた。

一歩前に出て、彼はそっとソフィの手を取る。


「ソフィ。これを」


差し出したのは、小さな髪飾りだった。

青い宝石が、光を受けてきらめく。それは、ロラン自身の瞳と同じ色。


「僕がそばにいられない間……これを身に着けてほしい」


「ロラン様?」


「僕の瞳の色だ。離れていても、僕が見守ってる――そう思ってくれたらいい」


それは祈りであり、願いであり、そして幼い独占欲を隠しきれない言葉だった。

ソフィは一瞬だけ目を見開き、やがて静かに微笑む。


「……はい。大切にします」


今度はソフィが、白い布を差し出した。

王家の紋章が丁寧に刺繍されたハンカチ。


「私が刺しました」


「これを?」


「はい。ですから……ロラン様。私のこと、忘れないでくださいね」


少しだけ震える声。

ソフィと同じ瞳の色の刺繍。

ロランはハンカチを胸に押し当て、力強く頷いた。


「忘れるわけがない。絶対に」


二人の間に流れる沈黙は、別れの重さをはっきりと告げていた。


少し離れた場所で、エリックは静かに二人を見守っていた。

二人の道は分かれても、この想いが簡単に消えないことを、エリックは知っていた。


別れの馬車が動き出す。

ソフィは何度も振り返り、ロランとエリックは最後までその姿を見送った。


春の風が、三人の未来をそれぞれの場所へと運んでいく。

それは、幼い日々の終わりであり――再開へと続く、最初の一歩だった。



六年という歳月は、子どもを大人へと変えるには十分すぎる時間だった。


――そして今。


王城の大広間は、無数の燭台の灯りに照らされ、夜空の星を閉じ込めたかのように輝いている。

第一王子の卒業を祝う舞踏会。

十八歳になった彼らが、再び交わる夜が始まろうとしていた。


ロランは、入場してきた一人の令嬢に視線を奪われた。


青いドレスに包まれたソフィは、かつての少女の面影を残しながらも、まぎれもなく大人の女性へと成長していた。

柔らかく結い上げた髪を留めているのは、青い宝石の髪飾り。


「……あれは」


胸の奥が、熱を帯びる。

間違えるはずがなかった。十二の春、自分が贈ったものだ。


――まだ、身に着けてくれている。


その事実だけで、ロランの胸が満たされる。

だが視線が交わった瞬間、ソフィは息を詰まらせた。


「……っ」


思わず視線を逸らし、扇子で口元を隠す。


――いけない……殿下が、あまりにもお美しい。

だめ、表情が保てない。このままでは顔に出てしまう。

落ち着いて、私。公爵令嬢でしょう。

この程度で取り乱すなんて……!


騎士学院を卒業したロランは、凛とした立ち姿と洗練された雰囲気をまとい、まさに王子そのものだった。

その“あまりにも”な格好よさが、ソフィの心を乱す。


やがて演奏が始まり、ロランは当然のように彼女の前へ進み出る。


「ソフィ、よろしいですか」


差し出された手に、ソフィは一瞬だけ固まり、それから意を決して震える手を乗せた。


「……はい」


だが、踊り始めても彼女はほとんど視線を上げず、言葉も最小限だった。

ロランは、そっと距離を詰めながら低く囁いた。


「……久しぶりだな。会いたかった」


「……ええ」


短い返事。

その素っ気なさに、ロランの胸に小さな痛みが走る。

六年間の修練で鍛えられた自信が、ほんのわずかに揺らぐ。


――どうして、笑ってくれない……?


「……気分でも悪いのか?」


「い、いえ。そんなことは……」


ぎこちない返事に、ロランの眉がわずかに寄る。


一方のソフィは、心の中で悲鳴を上げていた。


――無理……心臓が、もたない……!

「会いたかった」なんて……そんなの……嬉しすぎる。

私だって……私だって、会いたかったのに。

でも、言えない。恥ずかしすぎて、声にできない。


――足を間違えそう。早く、終わって……。

でも……終わらないで。

……いえ、やっぱり、終わって!


頭と心が真逆のことを叫び、足取りだけがどうにか音楽に追いついている。


曲が終わり、ロランの手が離れる。

その一瞬の空白に、ソフィの胸はまた別の意味でざわついた。

名残惜しさと安堵が入り混じり、呼吸がうまく整わない。


ほっと息をつく間もなく、二曲目の相手が現れた。


「はい、お疲れさまです。今度は俺の番ですよ」


軽い調子で手を出したのは、ロランの側近、エリックだった。

彼は気負いのない笑みを浮かべ、離れていた時間を感じさせない自然さでソフィを誘う。


ロランもまた別の令嬢の手を取っていたが、その視線は明らかにソフィを追っていた。


「エリック……ふふ、相変わらずですね」


「そりゃどうも。……というか、先ほどの何です?」


「え?」


「殿下と踊られてる時、テンポが半拍ずれてましたよ」


「うそ!?」


「……嘘です。ずれそうになってた、です」


「もう……!」


ソフィは頬を膨らませて抗議するが、その表情はどこか楽しげだった。

エリックもまた、くすりと笑いながら彼女の手を引き、自然なリードでステップへと導く。視線を交わし、気負いなく踊る二人の姿は、親密そのものに見えた。


その光景を、ロランは遠くから見つめていた。


――まさか。

エリックは、俺の知らないソフィを知っているのか。


ロランの胸に、冷たいものが落ちる。


ソフィはエリックの前で、あんな風に笑う。

自分には向けられなかった、あの自然な笑顔。


――子どもの頃から、俺のそばにはエリックがいた。

その距離を、俺は疑ったことがなかった。


動揺と嫉妬で、感情が音を立てて軋む。

それでもロランは、令嬢の手を取ったまま背筋を伸ばし、表情を崩さなかった。

第一王子としての矜持が、彼をその場に立たせていた。

だが、その指先にわずかに力が入りすぎているのが滲んでいた。


曲が終わったその時、上座近くで王とソフィの父である公爵が密談しているのが目に入った。

二人の表情は硬く、しかしどこか決意を秘めている。

ロランが近づこうとした瞬間、二人は会話を切り上げた。


上座から、静かな視線が注がれる。


王は若者たちの様子をゆっくりと見渡し、正面に控える公爵と視線を交わす。

互いに小さく頷き合い、その合図を受けて、王は重々しい足取りで前へと進み出た。


「皆に告げる」


その一言で、ざわめきが、大広間からすっと引いていく。


「第一王子ロランと、公爵令嬢ソフィの婚約を――ここに正式に発表する」


一瞬の静寂。

次いで、大広間は祝福のざわめきに包まれた。


ソフィは目を見開き、思わずロランを見た。

ロランもまた、驚きにわずかに目を瞬かせる。

二人の視線が重なった――その刹那。

ソフィは、ぱっと目をそらした。

その仕草が、ロランの胸に鋭く突き刺さる。


――俺との婚約を、望んでいない……?

ロランは胸の奥が、冷えていくのを感じた。


一方のソフィは、視線をそらしたまま扇子を持ち上げ、顔を隠す。

だが扇子の奥では、頬が緩み切っていた。


――ロラン様と……結婚。

そんな……夢みたい……。


それはソフィが、彼と初めて会った日からずっと胸の奥にしまっていた願いだった。


――だめ、落ち着いて。

公爵令嬢として、殿下の婚約者として、恥ずかしくないように……。

……でも、嬉しくて……!


扇子の陰で、ソフィの表情はどうにも引き締まらない。

嬉しさが溢れすぎて、顔が勝手に緩んでしまう。


その様子を、近くで見ていたエリックは気づいていた。

二人が――

同じ光景を見ていないことに。


ロランは不安と痛みを抱え、ソフィは喜びを必死に隠し、互いの心はすれ違ったまま。


祝福の光の中で、二人は互いを見失っていた。

それを、エリックだけが知っている。


――あの時、言うべきだったのだろうか。

だが、それを選ばなかったのは自分だ。


誤解は、誰かの悪意ではない。

沈黙が生んだものだ。


誤解とすれ違いを抱えたまま――

二人の関係は、祝福の光の中で、大きく動き出そうとしていた。


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