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すれ違いの、その先で  作者: 鴨治玲


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2/7

幼き日々の予兆

ある日の午後、城の音楽室には軽やかなピアノの旋律(せんりつ)が弾んでいた。

高い天井に音が跳ね返り、幾重にも重なって、まるで春の鳥たちが飛びまわっているようだ。


椅子に並んで座るロランとソフィは、鍵盤を見つめながらも、時折そっと顔を見合わせる。

目が合うたび、どちらからともなく、くすりと笑う。


「ロラン様、そこ、少し速いです」


ソフィが控え目に声をかけると、ロランは一瞬だけ指を止める。


「えっ、そう? でも、ソフィの方が先に行ってる気がするけど」


「もう。じゃあ、せーので合わせましょう。……せーの」


合図と同時に、二人の指が再び鍵盤の上で踊り出す。

旋律(せんりつ)と伴奏が溶け合い、音楽室いっぱいに柔らかな調和(ちょうわ)が広がった。


その後ろでエリックは、誇らしげに(うなず)いていた。


「お二人とも、なかなかの腕前ですよ」


ロランとソフィは同時に照れたように肩をすくめ、また鍵盤へ向き直る。

音楽室は、三人の笑い声とピアノの音で満たされていく。


――その扉の向こうで、誰かが足を止めていた。


取っ手に触れかけた気配(けはい)が、ためらうように静止する。

中からこぼれる三人の笑い声が、廊下の冷たい空気を柔らかく揺らした。


その人物は、しばらく耳を澄ませていた。

楽しげな声が重なるたび、胸の奥で何かがきゅっと縮む。

入りたいのに入れない――そんな感情が、影のように足元に落ちる。


やがて、押し殺したような息づかいがひとつ漏れ、その気配は静かに遠ざかっていた。



季節の変わり目。

毎年のように体調を崩すソフィが、案の定風邪で寝込んだと聞き、ロランとエリックが揃って見舞いに訪れた。


客間から寝室へ続く扉の前で、両家の侍従(じじゅう)たちが困ったように行く手を塞ぐ。


殿下(でんか)、風邪がうつります。どうかこちらで――」


「かまわない」


短く言い切ると、ロランは制止の手を振り切り、まっすぐ寝台(しんだい)へ向かった。


枕元で上体を起こそうとするソフィに、慌てて首を振られる。


「ロラン様……来てはだめです。うつったら……」


布団を口元まで引き上げ、小さく咳きこむ声はかすれていて、聞くだけで胸が締め付けられる。

ロランは迷いなくソフィの手を取った。


「うつしていいよ」


熱を帯びた指先が、彼の手の中でかすかに震える。


「それでソフィが楽になるなら、僕は平気だ」


「そういうわけにもいきません」


即座に割って入ったのはエリックだった。

ロランの肩に手を置き、穏やかだが有無(うむ)を言わせぬ口調で続ける。


「殿下が倒れたら、もっと大事になります」


侍従(じじゅう)たちも一斉に頷き、(なか)ば強引にロランを部屋の外へ促した。


「ちょっと、エリック――」


名残惜(なごりお)しそうに振り返りながらも、最後にロランは大きな声で叫ぶ。


「ソフィ! 元気になったら、また一緒に遊ぼう!」


「……はい!」


返事をしたソフィは、その直後、激しく咳きこんでしまう。


「ほら、だから……」


エリックは苦笑しつつ、そっと扉を閉めた。


その日のうちに、王家の薬師が遣わされ、丁寧に調合(ちょうごう)された薬が届けられた。

一口含んだだけで顔をしかめるほど苦かったが、その分よく効いた。


数日後には熱も下がり、ソフィの風邪はいつもより短い期間で治まった。


「……ロラン様にうつさなくてよかった」


そう呟きながら、彼女は次に会える日を、静かに心待ちにするのだった。



また別の日。

三人はこっそりと城を抜け出す計画を立て、裏門の影に身を寄せて、息を潜めていた。


「今だ、走れ!」


「わっ、ロラン様、待って!」


「ソフィ様、転ばないでくださいね!」


芝生を駆け抜け、城壁(じょうへき)の外に出た瞬間、三人は顔を見合わせて笑う。

ソフィは笑っていたが、その指先は、ロランの袖を掴む力を強めていた。

しかし、自由は長く続かない。


「ロラン殿下(でんか)――っ!!」


「ソフィお嬢様――っ!!」


従者(じゅうしゃ)たちに見つかり、あっという間に捕まえられてしまう。


特にエリックは、ひどく叱られていた。

父である伯爵(はくしゃく)の声は鋭く、石壁に反響して胸の奥まで突き刺さる。


「殿下の側近としての自覚がまるでない!」


叱責(しっせき)の言葉を浴びながら、エリックは唇を噛み、(こぶし)を固く握りしめた。


――殿下の側近として、失望させてしまった。


そんな思いが胸を締めつける。

そのとき、背後から二つの声が重なった。


「俺が誘ったんだ!」


「私が外に行きたいって言ったのです!」


「「エリックは悪くない!」」


振り返ると、ロランとソフィが必死の表情で、伯爵に向き合っていた。

その声は、伯爵の怒声(どせい)を一瞬で押し流すほど(あざ)やかに響き渡った。


今まで頼りないと思っていた息子が、王子と公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)――国で最も高い立場にある二人から同時に(かば)われた。

その光景に、叱責の言葉は喉の奥で途切れ、伯爵はただ立ち尽くすしかなかった。


エリックは思わず俯いた。

胸の奥が熱くなり、呼吸が少しだけ震える。

叱られているはずなのに、涙がでそうになるほど誇らしかった。


二人の必死の訴えに、エリックは苦笑しながら頭を下げた。

その心の奥では、静かに決意が芽生えていた。


――この二人を守るためなら、俺は何だってする。

今日のことは、一生忘れない。



ロランとソフィ、そしてエリック。

三人は同じ時間を過ごし、笑い、秘密を分かち合いながら、王子や令嬢という肩書きを脱ぎ捨てて、ただの子どもとしていられる日々を重ねていく。


庭園の噴水で水を跳ねさせた日も、図書室でお菓子をつまみながら本を読みふけった日も、全部が宝物のように輝いていた。


このときはまだ、誰も知らなかった。


この穏やかな時間が、いつか――

すれ違いと勘違いの始まりになることを。


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