結び直した夜
寝所には、夜の静けさが満ちている。
橙色の灯りが白いシーツを淡く照らし、向かい合う二人の影をやわらかく縁取っていた。
厚いカーテンの向こうでは、城もまた深い眠りに落ちている。
寝台の上で向き合うロランとソフィは、ただ相手だけを見つめていた。
「ソフィ……」
低く呼ばれた名に、胸が震える。
「ロラン様……」
それだけで、長く押し殺してきた想いが静かに満ちていく。
すれ違いも、遠回りもあった。
けれど今、ようやく同じ場所に立っている。
ロランの指が、ソフィの頬に触れた。
だがすぐには口づけず、触れたまま視線を揺らす。
「……怖くはないか」
触れられることが怖いのではない。
また、心が離れてしまうことが怖いのだ。
「……少しだけ」
正直な答えだった。
ロランの喉がわずかに上下する。
「俺もだ」
短い告白。
「だけど、二度と遠ざけたくない」
その言葉に、胸の奥の緊張がゆっくりとほどけていく。
ソフィは小さく頷き、冷えた指先で彼の頬に触れた。
「それなら……ロラン様が離れろって言っても、離れませんよ?」
悪戯めいた声音に、ロランは困ったように笑う。
「絶対に言わない。だから……離れないで」
その声は、どこか頼るようだった。
「はい」
今度は、迷いなく。
次の瞬間、ようやく距離が縮まった。
最初はそっと。
唇の端が触れ合うだけの、羽のように軽い口づけ。
小鳥が花の蜜を啄ばむように、何度も角度を変えながら、ゆっくりと重ねていく。
唇が離れた後も、額が触れ合ったまま、どちらも動かない。
「……ソフィ」
吐息が混じる距離で名を呼ばれ、彼女の指先がそっと彼の衣を掴む。
頬に落ちる口づけ。
こめかみへ、まぶたへ。
触れるたび、ソフィの肩から力が抜けていく。
その変化を感じ取りながらも、ロランの動きは慎重だった。
欲しい。
けれど、もう失いたくない。
だからこそ、急がない。
指先が背をなぞるたび、ソフィの呼吸が柔らかく乱れる。
その一つひとつを受け止めるように、ロランは彼女を抱き寄せた。
「……ロラン様」
ソフィはそっと腕を伸ばし、自分から彼の首に絡めた。
選んでいる。
ここにいる。
それが伝わった瞬間、ロランの呼吸が乱れる。
「……本当に、いいんだな」
問いというより、願いに近い。
ソフィは答えの代わりに、唇を重ねた。
今度は、少し長く。
そのわずかな積極性に、ロランの理性が甘くほどける。
けれど焦りはない。
抱き寄せる力は、守るための力だった。
寝台が小さく軋む。
灯りの下で、絡む影がひとつに溶けていく。
言葉は少なくなる。
代わりに、触れる温度と呼吸が交わる。
離れたくない。
その願いが、静かに重なっていく。
やがてソフィが小さく息をこぼすと、ロランは額を寄せたまま囁いた。
「……ありがとう」
欲望より先に出た、本心だった。
ソフィは目を細める。
「私も……ありがとう、ロラン様」
その返事にロランは穏やかに笑う。
そしてもう一度、優しく口づけた。
指先が絡まったまま、離れない。
腕の中で微笑むソフィを見て、ロランは声を少し震わす。
「……夢、じゃないよな」
本当に、ここにいるのだと胸に刻むように、もう一度強く抱きしめた。
その腕の中で、ソフィは目を閉じる。
「夢じゃないです」
自分にも言い聞かせるように、声を落とす。
ソフィはロランの胸に額を寄せ、眠りに落ちるまでその鼓動を聞いていた。
夜は深く、城は眠ったまま。
けれど二人の間には、確かな温もりが残っていた。
カーテンの隙間から、淡い朝の光が差し込み、夜の名残を溶かすように、白い光が二人を包む。
ロランは先に目を覚まし、腕の中で眠るソフィの横顔を見つめていた。
長いまつげが頬に影を落とし、規則正しい呼吸が胸元をくすぐる。
指先でそっと額にかかった髪をはらうと、彼女が小さく身じろぎをした。
その無防備さに、ロランは思わず微笑んだ。
ほどなく、まどろみの中で唇に触れる気配を感じ、ソフィがゆっくりと目を開ける。
「……起こしてしまったか?」
囁く声に視線を上げると、目の前に微笑むロランの顔。
――初めて。朝、目が覚めてもロラン様がいる。
ソフィは身じろぎし、考えるより先に彼の胸元へ額を寄せた。
そうするのが、もう当たり前であるかのように。
ロランは小さく息をつき、彼女を抱く腕をほんの少しだけ強める。
「おはよう。ソフィ」
「おはようございます、ロラン様」
――ずっと、こうしたかった。
――ずっと、こうされたかった。
二人はしばらく言葉を交わさず、ただ温もりを分け合った。
それだけで、十分だった。
やがてロランが口を開く。
「……今日は、少し遅くなるかもしれない」
「はい。……それでも、待っています」
その言葉に、ロランの目が柔らかく細められる。
“待つ”と、“帰る”が、同じ場所を指していた。
「ソフィ……」
名を呼ぶ声に、ソフィは顔を上げる。
「はい」
ロランは一度だけ息を整え、続けた。
「……もし君が嫌でなければ、これからは一緒に眠りたい」
飾りのない願いに、ソフィは目を瞬かせる。
胸が高鳴った。
「……いいんですか?」
遠慮ではなく、確認。
ロランは頷く。
「ああ。夜だけじゃない。朝も、その先も……できるだけ、君と過ごしたい」
“ずっと”と言わないところに、彼らしさがにじむ。
その不器用な誠実さに、心が安らぐ。
ソフィは小さく笑った。
「……嬉しい。大好きです、ロラン様」
ロランの胸が震える。
それから、ゆっくりと彼女を抱きしめた。
「俺もだよ、ソフィ」
一度、言葉を区切る。
「……これからも、隣にいてほしい」
「はい。あなたの隣に」
口づけが重なる。
昨夜とは違う、穏やかな約束の口づけ。
やがて扉の向こうから、遠慮がちなノックの音が響く。
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
新しい朝が、静かに始まろうとしていた。




