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すれ違いの、その先で  作者: 鴨治玲


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18/21

あなたの隣で

窓から差し込む月明かりが、床を淡く照らしている。

ロランは握っていたソフィの手から、そっと指をほどく。

離れ際、わずかに指先が迷った。


「ソフィ。正直に言ってくれて構わない。……本当に俺は、最低だ。こんな俺が、君の隣にいていいんだろうか」


声は落ち着いていたが、その奥には不安と自己嫌悪が入り混じっていた。

自分のしたことの数々――幼い頃の過ち、エリックへの挑発、ソフィを信じ切れなかったこと――が胸を押し潰す。


ソフィには、その声の奥にある濁りがはっきりと聞こえた。

離れたはずのロランの指先が、怯えるようにまた彼女の手に触れようとする。

その躊躇いを感じ取ったソフィは、そっとその手を取った。

温もりが触れ合った瞬間、ロランの肩が強張る。


「……指輪のことも、今夜のことも」


ソフィは喉が詰まりながらも、言葉を紡ぐ。


「悲しかったです。……それでも、私はあなたの隣にいたいんです」


揺るぎのない視線が、まっすぐにロランを見つめ返す。

その視線に触れた瞬間、ロランの肩から力が抜けた。


彼はソフィを抱き寄せる。

強く、けれど壊れものを扱うように丁寧に。

その腕の中で、ソフィの身体から少しずつ緊張がほどけていく。


「最初から君の気持ちを、素直に聞けばよかった」


ソフィは目を閉じる。

長い間、一人で抱えてきた重さが、ようやく溶けていくようだった。


やがてロランは腕の力をそっと緩め、彼女の額へ自分の額を寄せた。

二人はしばらくそのまま、互いの呼吸だけを感じていた。

それでもロランの視線だけは、離れまいとするようにソフィを捉え続けている。


ソフィが目を閉じ、ほんの少し顔を傾ける。

その仕草に応えるように、ロランの唇がそっと重なった。

触れた瞬間の柔らかさと、短いながらも確かな温もりが、心の奥深くまで染み込んでいく。


唇が離れた後、しばらく二人とも言葉を持たなかった。

それからソフィが、少しだけ眉を寄せる。


「……どうして、今まで口づけしてくださらなかったのですか?」


拗ねたようでいて、どこか寂しさを含んだ声。

ロランは答える前に、視線を逸らした。


「……口づけは、君が心から想う相手と交わすものだと思っていた」


「ロラン様なのに……」


小さく頬を膨らませるその様子が愛おしい。

その仕草が、胸を締めつける。

こんな顔を、もっと早く引き出せていたなら――という後悔とともに。


「……俺が、君の唇に触れていい資格なんて、本当はないのに……」


「あります」


ソフィが静かに遮った。


「私は、ロラン様にしか触れてほしくありません」


「本当に?」


ソフィは少しだけ眉を下げた。


「何度でも言います。……それでも、信じてはくださらないのですか?」


ロランは首を横に振る。


「ごめん。……まだ、怖くて」


指先に、無意識の力がこもる。

ソフィはその強張りごと包み込むように、彼を抱き返した。


「私はすべてをあなたに捧げています。……王太子妃であることも、誇りも、全部あなたの隣に立つために選びました」


その言葉を、ロランは正面から受け止めきれなかった。


喉がひりつく。

視線を逸らせば、楽になれる。


けれど、もう逸らせない。


「……どうして、そこまで」


喉の奥が熱を帯びる。


「俺は、君にそんなものを差し出せる男じゃない」


本音だった。

大聖堂で守ると誓いながら、疑い、傷つけた。


それでも、ソフィは逃げない。


「それでも、あなたがいいんです」


不安を振り払うように、ロランは彼女を強く抱きしめる。


ロランの耳元で、ソフィが囁いた。

その吐息がかすかに触れる。


「ロラン様、あなたの不安は、すべて私が受け止めます」


「……ああ」


二人の間に、沈黙が落ちる。

その穏やかさは、あまりにも優しく、あまりにも脆い。


ふと、窓の向こうで風が鳴った。

夜は何も変わっていない。

王城も、立場も、明日も。


ソフィは、長いまつげを伏せた。

胸の奥に残っていた、たった一つの不安が消えない。


――でも、私だけを選んでくれるのだろうか。


ロランはその微かな揺らぎを感じ取り、視線を落とさずに問う。


「ソフィ、気になっていることがあるのか?」


迷う。

けれど、逃げない。


「側室は……どうされるんですか?」


その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がわずかばかり張りつめた。


ロランは息を吸い込む。

それが今夜、本当に向き合うべき問いだと、わかっていた。


「君の、正直な気持ちを教えてくれ」


それは王太子としてではなく、ただ一人の男としての問いだった。

ソフィは小さく息を吸い込む。


「嫌です。……王太子妃として正しくないのはわかっています。でも嫌なんです」


涙まじりの声でも、その意志は揺るがない。

ロランは視線を落とし、胸の奥で決意を固める。


――もう、誰の目も気にしない。

――君を守るためなら、すべてを背負う。


「わかった。断る」

ソフィの瞳が大きく揺れる。


「俺が全ての責任を背負う」


「でも……」


そのためらいを、ロランは穏やかに遮った。


「反対は出るだろう。君に嫌な思いをさせるかもしれない。けど……」


視線を外さない。


「俺は、君が他の誰かと並ぶ未来を想像したくもない。王太子妃が望まぬ側室を迎える気はない」


二人の眼差しが強く重なり、深い静寂が落ちる。


「俺が守るから……隣にいてくれ」


ソフィは涙をぬぐい、首を振る。


「隣にいてほしい、のではありません」


ロランの手を取る。


「私は、あなたの隣に立ちます」


蝋燭の灯りが、壁に二人の影を映す。

寄り添うその影に、もう歪みはなかった。

夜の静寂の中で、二つの輪郭が重なり、ただ一つの確かな形を描いていた。


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