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すれ違いの、その先で  作者: 鴨治玲


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12/21

夜の距離

夜更けの城は静まり返り、ソフィの寝室には淡い灯りひとつだけが揺れていた。

ソフィは寝台に腰かけ、背筋を伸ばし、扉の向こうから訪れる気配を待っている。

肩のわずかな強張りが、緊張を隠し切れないことを物語っていた。


「……夜をともに過ごすのは久しぶりな気がします」


ソフィはわずかに緊張の残る声で、それを隠すように笑顔を作った。

その表情だけで、ロランの胸の奥がざわめく。


「……ああ」


短く応えて、ロランはソフィの元へ歩み寄る。

いつものように懐へ手を入れ、黒い布を取り出した。


――目隠し。


それが、二人の間では、長らく当たり前になっていた。


だが、布を持つ手が伸びかけたところで、ソフィの声がそれを止める。


「……あの」


少しの沈黙。

灯りが揺れ、影が重なる。


「今日は……目隠しを、したくありません」


その言葉は静かだが、揺るがない意思を帯びていた。

空気が、ぴんと張りつめる。


「……嫌、でしょうか」


恐る恐る向けられる瞳。

だが逃げることなく、まっすぐにロランを見ている。


「ロラン様が嫌でなければ……目隠しをしなくても、いいですか?」


ロランは、答えに詰まった。

拒む理由はない。

それでも――視線を交わしたまま向き合うことが、これほど落ち着かないとは思わなかった。


彼女の表情が見える。

ためらいも期待も、不安もすべてが手に触れるようにわかる。


「……構わない」


彼は小さく息を吐き、布を脇へ置く。

ソフィは、ほっとしたように息を緩めた。


二人の視線が、自然と重なる。

逸らすことも、隠すこともできない距離感。


その瞬間、視察の光景がロランの脳裏をかすめた。

子どもたちに囲まれて笑っていた彼女。

職人たちの声を真摯に受け止めていた瞳。

誰の前でも揺るがぬ、堂々とした王太子妃の顔。


あの顔は、皆のものだった。


けれど今、寝台の上で揺れている表情は、自分だけに向けられている。

不安も、縋るような眼差しも、隠し切れない熱も。


それが嬉しいはずなのに――

胸の奥に生まれたのは安堵ではなく、どうしようもない動揺だった。


そっと肩に触れると、体温が伝わり、心臓が早鐘を打った。

距離が縮まるにつれ、呼吸が重なり、言葉は次第に意味を失っていく。


「ロラン、様……」


名を呼ばれるだけで、胸の奥が熱を帯びる。

視線を交わしたまま、二人は静かに身を寄せ合った。


「……好き、です」


震えるような声が、確かにそう告げた。

その一言に、ロランの心は大きく揺れる。


――ソフィを愛しているからこそ、勘違いしそうになる。


彼女の心が、本当に自分に向いているのか、分からない。


自分を惑わす甘い幻想を振り払うように、彼は低く囁いた。


「……もう、何も言うな」


言葉を重ねる代わりに、互いの存在を確かめ合うように、静かな時間が流れていく。

視線を逸らすことも、逃げることもできないまま、二人は深く、同じ夜に沈んでいった。


やがて、熱が引いたあと。

ロランは荒い呼吸を整えながら、そっと距離を取る。


冷えた夜気が、二人の間に忍び込む。


――「好き」という言葉は、このひとときに縋っただけなのか。


ロランは背を向けるソフィの肩に、そっと手を伸ばしかけ――止めた。

指先に残る熱が消えない。だが、その温もりとは裏腹に、胸の奥だけが冷えている。


本当に俺を想っているのか。


確かめることもできず、問いは出口を失った。


このままでいい。

――彼女を失いたくない。


ロランもまた、そっと背を向けた。


ソフィは背を向けたまま、唇を嚙みしめている。

身体の余韻が残る中、心だけが冷えていく。


あの日、視線を交わした朝から、何かを変えられる気がしていた。

けれど、口づけはない。

「好き」という言葉にも、答えは返らない。


胸の奥が、音もなく冷えていく。


――ロラン様の心に、私は届かない。


いまだにない懐妊の兆し。

王太子妃としての責任も、未来も、どうすればいいのかと、ソフィの心は不安と焦りで震える。

短く息を吐き、それ以上考えることを拒むように、小さく首を振った。

今ここにある自分を、受け止めるしかないと――。


触れ合えば触れ合うほど、届かない距離だけが、はっきりと浮かび上がった。


やがて朝に光が寝室に差し込む。


ソフィは窓辺に腰かけ、カーテン越しに外を見つめる。

肌には夜の余韻が残り、呼吸と体温の余熱を沈めるように深呼吸をした。

その目を寝台に向けると、誰もいない白い空間だけが残されている。――ロランは朝を迎える前に静かに部屋を出ていった。


――一人きりの朝を、あと何回迎えればいいのだろう。


言葉にできない思いをそれぞれに抱え、二人は別々の場所で朝を迎える。

確かに近づいたはずの心は、身体を重ねるたびに、少しずつ遠ざかっていく。

枕元に残された黒い布だけが、その距離を静かに物語っていた。


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