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すれ違いの、その先で  作者: 鴨治玲


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1/6

春の温室、三人のはじまり

フルールシエル王国の王宮――その奥深くに隠れるように建つ温室庭園は、春の光に満ちていた。

天井のガラス越しに差し込む陽光が、白いテーブルクロスや飾られた花々を柔らかく照らし、空気には花の香りが混ざっている。


庭園の中では、王妃主催のお茶会の準備が進んでいた。

侍女たちが静かに歩き回り、銀器の触れ合うかすかな音が静寂を縫うように響いている。


その中心で、十歳の第一王子ロラン・ファバールは、椅子の上でそわそわと身じろぎしていた。

正装の襟は固く、靴は足を締め付け、周囲の大人たちの会話はどれも同じように聞こえる。

退屈と緊張が混ざった息を吐いた瞬間――


「ロラン殿下、背筋を伸ばして下さい」


背後から小声で注意したのは、同い年の従者、伯爵家の次男エリックだった。

王子のすぐ後ろに控えながらも、その声音は堅苦しさより親しみが勝っている。


「……退屈だ」


「そう言わず」


「お前だってわかってるだろ。これはお茶会なんかじゃない」


エリックは肩をすくめ、代わりに言葉を継いだ。


「殿下の婚約者候補とのお見合い、ですね」


「そうだ。これを退屈と言わずして何が退屈か」


「そうおっしゃらず。彼女たちは殿下に会うために朝からめかしこんでいるんですよ」


ロランは鼻を鳴らした。


――好きでそうしているわけじゃない。

王家と縁を持ちたい貴族たちが、娘たちを差し出す。

そこに自分の意思が入り込む余地はない。

――そう、わかっているはずなのに。


「……まもなく、お見えになります」


エリックの声に、ロランはわずかに肩をこわばらせた。


――婚約者候補。

何人かはすでに会ったが、どれも同じだった。

整えられた笑顔。無難な言葉。

退屈で、息が詰まりそう。


そのとき、庭園の扉が静かに開いた。


淡い黄色のドレスをまとった少女が、光の中へ足を踏み入れる。

薄い亜麻色の髪が陽光を受けてふわりと揺れた。


ロランは、息を止めた。

気づけば、視線が外せなくなっていた。

なぜ目を逸らせないのかが、自分でもわからなかった。


少女――公爵令嬢ソフィ・ロルシーは、少し緊張した面持ちで周囲を見回し、そしてロランを見つけた瞬間、ぴたりと足を止めた。


視線が、絡む。

一瞬だったが、二人にとっては十分だった。


ソフィの胸が、どくんと跳ねる。


――この人が、ロラン殿下。

噂より、ずっときれいな顔。

それに……優しそう。


「ロラン」


王妃の声に、ロランははっと我に返り、慌てて立ち上がった。

ぎこちない足取りでソフィの前に進み、教えられた通りに手を差し出す。


「は、はじめまして。ロランです」


噛みそうになりながら名乗ると、ソフィは驚いたように目を瞬かせ、それからふわりと微笑んだ。


「はじめまして。ソフィと申します」


小さな手が、ロランの手に重なる。

それだけで、二人とも頬が熱くなった。


「「……あの」」


ほとんど同時に声を出して、二人は顔を見合わせる。

次の言葉が出てこず、沈黙が落ちた。


「ロラン殿下、ソフィ様、こちらへどうぞ」


エリックが自然に割って入り、二人を席へ導いた。

にこりと笑いながら、緊張をほぐすように。


庭園の一角に設けられた白いテーブル。

向かい合って座った二人は、落ち着かない手つきでカップを持った。


「お二人とも、顔が真っ赤ですが……暑いですか?」


エリックのからかうような声に、ソフィは慌てて首を振り、ロランは咳払いをした。


「あ、暑くなどない!」


「そうですか」


その時だった。

ソフィの横を通った侍女の手が滑り、水差しが傾いた。

冷たい水がソフィのドレスを濡らし、場が凍り付く。


「も、申し訳ありません……!」


周囲の視線が一斉に集まり、侍女の顔が青く染まり、肩が小刻みに揺れる。

そんな中、ソフィはそっと侍女の手を取った。


「あなたこそ、怪我はない? 大丈夫?」


「……は、はい」


「よかった」


そのやり取りを見たとき、ロランの胸の奥で、何かが確かに動いた。


「ソフィ様、お着替えを」


侍女が促すが、ソフィは首を振る。


「そのうち乾くわ」


「ですが……」


「殿下、日当たりのいい場所は知りませんか?」


殿下としてなら、ここを離れるべきではない。

そう思った。

けれど――。


彼女の瞳の奥が、いたずらっぽく光ったのをロランは見逃さなかった。

彼は思わず笑みをこぼし、立ち上がる。


「では、こちらへ」


大人たちの視線を背に、二人は歩き出す。

エリックは、遅れないように続いた。


噴水のふちへ腰を下ろすと、春の光がドレスを温める。

噴水の水音が、まるで秘密を守るように静かに響いていた。


「ここなら、そのうち乾くだろう」


「ええ。ありがとうございます、殿下」


「……お二人とも、抜け出したかっただけですね」


エリックの呆れた声に、二人は顔を見合わせ、同時に笑った。

ロランの素直な笑顔に、ソフィはつい本音を漏らす。


「ふふっ……ロラン様って、かわいらしいんですね」


ロランは固まった。

ソフィも自分の言葉に気づき、慌てて口を押さえる。


「あっ!……し、失礼しました!」


「い、いや……大丈夫だ」


――「かわいい」

言い返そうとして、結局、何も言えなかった。


その様子を見て、エリックは内心で小さく息をつく。


――これは、他の誰とも違う始まりだ。



その後のお茶会は、三人にとって特別な時間になった。

大人たちの視線を避けながら、ロランとエリックはソフィを城の中へ案内する。


「ねえ、ロラン様。お城って、迷路みたいですね」


「うん! 裏の廊下に、誰も知らない抜け道があるんだ」


「それ、案内しますよ。殿下はすぐ迷うので」


「迷わない!」


三人は声を潜めて笑い合い、城の中を探検した。


「殿下、あまり離れると侍従長に見つかります」


そう言いながらも、エリックは足を止めない。

急かすことも、無理に戻すこともしなかった。


そこでは、三人の笑い声が、いつもより少しだけ長く残った。


時間は瞬く間に過ぎ――別れ際、ソフィが勇気を振り絞って尋ねる。


「また、会えますか?」


少し間があって、ロランは頷いた。


「……うん。僕のほうから行くよ」


「私も……行っていいんですよね?」


「もちろん、だ」


そのやりとりを、エリックは少し離れた場所から見守っていた。

二人の間に生まれた光を、確かに感じながら。


こうして、三人の日々が始まった。


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