本当の友達ってなんですか?
貴方には、本当の友達がいますか?
それって、どういう存在ですか?
一緒に笑い合える人?
落ち込んだときに、そっと寄り添ってくれる人?
連絡が途切れても、また何事もなかったように会える人?
自分を偽らずにいられる人?
…私は、最近まで「友達」ってなんなのか、よく分からなくなっていた。
子どもの頃は、ただ「一緒にいる」だけで友達だった。
でも、大人になるにつれて、気を遣ったり、線を引いたり、疲れたり。
"優しさ"も"遠慮"も"好き"も、ぜんぶ混ざって濁っていって、
気づいたら私は、「自分を好きでいてくれる人」に合わせることばかりしていた。
それでも、私は「友達」と呼ばれる人たちを、心から信じたかった。
信じたいと思っていた。
でもある日、その信じた気持ちが、まるで自分を切りつけるナイフのように感じることがあって…。
私さ。弱くてさ。
相手を傷つけるのが怖くて、
いつも言葉をオブラートでぐるぐるに包んでた。
本音なんて、ほとんど言えなかった。
言ったら嫌われる気がして、
言ったら壊れてしまいそうで。
だから、相手が「ほしい」だろうなって思う言葉ばかり、
ずっと拾い集めていた。
そうすれば、相手は喜んでくれるって思ってたし、
そうすれば、「私はいい友達でいられる」って、
勝手に信じてた。
でもね。
そのうち、自分の輪郭がぼやけてきたの。
何が好きで、何が嫌で、何が寂しいのかも、
わからなくなってしまってた。
誰かの“理想の友達”を演じるうちに、
「本当の私」がどこにいるのか、
分からなくなってしまったんだよね。
相談してくれる友達がいる。
「飲みに行こうよ」って誘ってくれる友達もいる。
仕事で相談できる同僚であり、仲間であり、友達。
誕生日をちゃんと覚えてくれて、メッセージをくれる友達もいる。
……そう思い返したとき、
パッと顔が浮かんだ“あの人”がいた。
でも、その“あの人”に、
私はどれだけ本音でぶつかれてるんだろう?
その人が困っていたら、私はちゃんと手を伸ばせるかな?
私が壊れそうな時、その人は気づいてくれるだろうか?
そんなことを、ふと思ってしまった。
だってさぁ……
本音を言ったら、怒られた。
嫌な顔をされた。
それで終わり。
離れていく人もいた。
「そういうの言われると困る」って。
「空気読んで」って。
怒ってほしいわけじゃなかった。
否定してほしかったわけじゃなかった。
私が悪者になるって、どこかで覚悟してた部分もあったけど、
でも──
ただ「どうしてそう思ったの?」って
私の奥にある理由を、そっと紐解くように、
寄り添ってほしかった。
それだけだった。
だから私は、黙ることを選んだ。
ほしいって思うであろう言葉だけを選んで。
「わかるよ」
「つらかったね」
「大丈夫だよ」
相手の心を満たすことは得意になった。
でも、私の心はずっと空っぽのままだった。
本当は、
わかってほしかった。
抱きしめてほしかった。
否定じゃなく、ただ「そこにいてくれてありがとう」って――
そんな言葉が、ほしかったんだ。
でもきっと、言えなかったのは、
私自身が「友達」を信じきれてなかったからなのかもしれない。
怖いの。
とにかく怖くて。
相手を怒らせるのも、悲しませるのも、
見捨てられるのも、嫌われるのも。
だから私は、穏便に、波風を立てずに。
空気を読みすぎるくらいに読んで、
相手が笑顔でいてくれたらそれでいいって思ってた。
……でも、うまくいかないね。
あっちを立てれば、こっちが立たず。
誰かの「ありがとう」の裏で、誰かを傷つけているかもしれない。
そして、喧嘩をした。
友達と。
本音をぶつけたわけじゃない。
ただ、伝えたいことがうまく伝わらなかった。
気づけば、取り返しのつかない距離になっていた。
私は、人を不幸にしてしまうくらいなら――
いっそ、いない方がいいのかもしれない。
そんなこと、考えたくないのに、
頭のどこかで、ふと、そう思ってしまった。
「めんどくさい」って言われたあの日。
ああ、やっぱり……って思った。
そりゃそうだよね、私はめんどくさいんだよ。
知らなかった? 本当はもっともっと、めんどくさい奴なんだよ。
バレちゃったね。
空気を読んで、笑って、
言いたいことも言えずに、
相手がほしいであろう言葉ばかり並べてきたのに、
それでも「めんどくさい」って言われるなら、
私は、どうしたらよかったのかな。
私はいつも、誰かを守りたかっただけなのに。
でも、結果的に、誰かを傷つけてしまったのなら……
私は、いない方がよかったのかな。
ごめんね。
親友になれなくて。
うまくできなくて。
期待に応えられなくて。
今はただ、静かにドアを閉めるよ。
優しさよりも、静けさを選んだ私を、
どうか、責めないで。




