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キッカケ

「俺たち付き合わない?」

 すぐには理解が追い付かない。その台詞を受け取る心構えもしていない。

 台詞を呟いた後に平静を装う彼の微かに強張った面持ちが、その言葉は軽い冗談ではなく正真正銘の告白であるかのように見せかける。



 カムバックを数日後に控えたある日。

 その日はダンスレッスンが夜遅くまであった。帰路についた頃、ハル先輩からの連絡が来て、彼は少しでもいいから会いたいと言った。

 顔を上げればルームミラー越しに運転席のミレオンニの顔がしっかりと確認できる。

 後ろめたさから、体を微妙に丸めて俯き、彼女が簡単に私を視界に入れれないようにした。ひっそりとやり取りを続け、会う約束を取り付けた。

 オンニにバレることがないよう、家に帰り着いて十分以上経ってから彼の待つ車へと向かった。


 どこかへ連れて行ってくれる時はいつも、家近くの公園まで車で迎えに来てもらう。

 お決まりの待ち合わせ場所まで走る。見慣れた彼の車を見つけてガラス越しに見えた彼に手を振って寄っていく。

 普段通り、助手席に乗り込もうとすると彼に止められて後部座席に乗るように言われた。彼も運転席から降りると後部座席に乗り込む。彼は私との間にスペースを作り座った。


「会いたくて来ちゃった」

 真隣にいるのに目が合わない。様子が変だ。彼は落ち着かず外の景観をちらりと見たりすることで、敢えて気を散らしているように見えた。


「私も会いたかったです」

「そっか.......」


「今日、どうしたんですか?」

 覗き込むと、彼は何かを決心しゆっくりとこちらを向いて私の手を握った。


「あのさ......俺たち付き合わない?」


 耳を疑った。


 私に同じ台詞を言った人の中で一番年上だし一番の有名人。

 人生で何度も言われたことはあってもここまで驚いたことはなかった。

 経験上、同業者の男は明らかに狙っている目をして、告白される前に勘づく。

 

 今回は予兆を感じなかった。ハル先輩の“付き合う“って一般的な男女交際のことなのだろうか。

 シエン先輩が「あいつは女の怖さを知らない」なんて言っていた。このビジュアルで生まれてこのかたモテたことしかないであろう彼が女を知らないわけはない。

 年齢よりも若く、ピュアに見えて、まるで一斉一代の真剣な告白をしているようにしか見えない。

 しかし、彼が私に惚れるだなんて、にわかに信じがたい。


「私のこと、好きなんですか?」

「...うん」


 潤ませた瞳で一瞬だけ目を合わせ、すぐに逸らす。

 最近はドラマの出演も多い彼。もしやこれも演技では。

 第一に彼はトップアイドルだ。彼らのグループが一躍人気を集めた時、私はまだ中学生だった。その人気も衰えないまま、かれこれ五年以上はそんな状態。きっと黙っていても綺麗な人はさんざん寄ってくる。

 小耳に挟んだことのある彼の熱愛の噂を思い返す。過去に聞いたのはどの人も群を抜いて人気なガールズグループのセンターばかりで、分かりやすく美人ばかり。

 ああ、やっぱり、違うな。惑わされてはいけない。遊びのつもりか。


「俺ね、少し前にメンバー同士で揉めて、大変だったんだよ。でも、何も聞かずに傍に居てくれたじゃん」


 あの時のことだろう。当時は親しくなったばかりで、まだ人となりを知っていく段階だった。ハル先輩って結構脆いのかもと思いもしたけど、偶然あの時が落ち込んでいただけなのだと今では分かる。そう弱い人じゃない。私が何も言わず黙ってそばに寄り添っていたのが心地よかったらしい。


「本当にしっかりしてるし、何回タメ口でいいよって言っても敬語のままな所とか、わざわざお礼って差し入れ持って来てくれる所とか、いい子だなって」


 疑いを撤回した。

 見た目のまんま、すごく純粋だ。天然水の如く、汚れを知らない。私たちが身を置く、決して美しいとは言えない世界で、こんな人がよく生き抜いてこれたな。


 彼と初めて会ったのはおそらく私が事務所に入ってすぐ。いつが初めてかも記憶にはないが、「あれが今度デビューする人たちだよ」と誰かに教えてもらって、傍観した軍団の中に彼がいたのだろうと思う。十年も前だ。十年近く接点はなく、互いに興味もなかった。それでもただ、彼がメンバーや周囲の人から守られる存在なのはなんとなく認識していた。グループ内では中間の年齢だがまるで末っ子のように上下から世話を焼かれ、同年代のシエン先輩も同様で、そういう立ち位置の人だという印象だけは前々からあった。守られるべき理由が分かる。

 私よりもはるかに長くこの世界で生きている彼の高潔な精神が壊されていないことに驚いた。



「よく見てくれてるんですね」

「うん、見てるよ。じーって」

 それまで少しドギマギしていた彼が私に視線を定めて迫り来る。咄嗟にぷいっと顔を背けた。つい雰囲気に呑まれそうになった。


「私、好きな人がいるんです」

「そうなんだね。どんな人?」

 

「私に興味ない人だからこの先も何もないんです。でも好きで、だけどいつかは諦めないといけないから……って、あ、なんかそんな、ハルオッパのことを良いキッカケみたいに思ってるわけじゃなくてですね……」


 言葉を選ぶのにも時間がかかる。恐る恐る顔を上げてみると彼はこの上なく優しい表情をしていた。


「待つよ」


「今日、告白した一番の理由は、大した用事を作らなくても会いたいって言えば会える関係になりたいからだよ」



「俺への返事は今はまだいいから! 少し考えてみて?」

 私の頭の上にポンッと手を置いて、ぐしゃぐしゃと撫でた彼の微笑みには大人の余裕があって全身に入っていた力が抜けた。


 この先もリク先生の気が私に向くことはない。でも、リク先生と付き合いが長いスパボのメンバーである先輩と付き合うのはやっぱり......



 その晩、ぼんやりと窓の外を眺めながらとある曲を口ずさんでいた。お気に入りの曲。数年前のスーパーボーイズのアルバム収録曲で、先生が書いたバラード。“月“というタイトルだ。


 先生を好きになる前から、才能には圧倒されていたし手掛けた楽曲も好んで聴いていた。

 先生の曲はラブソングが多い。曲調がロマンチックな上に、本当にあの人が書いたのか疑ってしまう程に甘ったるい歌詞。

 家にいる時によく口ずさむこの曲もちろん詞が好きだ。

 ただ、歌詞ってきっと先生が経験してきた恋愛そのものなわけで、特定の女性に対してこんな感情を抱いていたと思うとすごく妬けてくる。元から気に入っていたこの曲、彼を好きになってから歌詞の意味を深く考えるようになった。この歌に出てくる「月が綺麗ですね」って歌詞、要は相手を月に喩えてるんだろう。

 月なんて、鑑賞する対象にも入っていなかった。

 見る習慣は全くなかったのに、感傷的な日は月を見上げてしまう癖ができてしまった。

 あんなにクールな先生にこんなにもロマンチックな歌詞を書かせちゃうような女の人、心底羨ましい。


 見上げた先にある今夜の月は丸くて大きくて輝いている。

 先生が綺麗だと思った月もきっとこんな、夜空中を照らす主役みたいな満月に違いない。それに比べて私は新月のような女だから。

 私がそこに居たって先生は見向きもしない。


「はあ、諦めよう」

 一筋の涙が静かに頬を伝う。

 諦めようと言う呪文が、耳に入り脳にまで届くと、冷静な自分が「無理だよ」と私の頑張りを突き返す。

 

 諦めるきっかけを模索していた。

 先生に彼女がいると言われたなら、すっきり諦めはついた。

 いや、ついたはず。

 そうならなかったから、神様が別のきっかけを与えてくれたに過ぎない。

 先輩のことを考えているのに、しきりに先生の姿が頭をかすめる。

 心が落ち着かないままカムバックを迎えた。

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