卒業②
事務所の地下駐車場に到着したのと同時に先輩からの電話が鳴り響く。私の探知機でも持っているのか。
「おい、まだ〜? 遅くねぇか?」
今日の呼び出しはマネージャーや上の人からではない。呼び出したのは大先輩のお兄さん。通話越しに彼らがいつも通りふざけあってる声が聞こえる。いつ会っても元気なんだよな、あのお兄さんたち。
「今着きました!」
うちの事務所はデビューしたアーティストと練習生たちで建物が違う。どちらがデビュー済み専用ビルか一目でわかるほど外観が美しい。
車を降りるなり立派な方の入り口へ走った。練習生用ビルに最後に入ったのは三年以上前。しばらくは、体が勝手に練習生用ビルへ赴いてマネージャーに止められることもあった。今ではすっかり綺麗なフロントへ向かう癖が脚に染み付いている。
「こんにちは!」
馴染みの警備員のおじちゃんが穏やかな笑顔で私を迎える。
「おつかれさまです。今日卒業式でした? おめでとうございます」
「そうなんです! ありがとうございます!」
先輩の待つフロアへ向かった。鏡張りの練習室が二つ、その奥にはレコーディング室があって空いたスペースにはテーブルと椅子やソファーが並ぶ。アーティストは日頃、待ち時間や休憩をそこで過ごす。
四階でエレベーターが開いたらまだ姿の見えないお兄さんたちの騒がしい声が聞こえてきた。
顔を出すタイミングが掴めない。会話の隙間を予想して足を一歩出そうとするとまた他の誰かが被せるように話し始める。十何年も一緒にいてよく話が尽きないものだ彼らの邪魔にならないようにひっそりと姿を現した。
「ユリ! 卒業おめでとう〜!」
いち早く気づいて真っ先に拍手し始めたのは先程の電話の相手、先輩グループの中でも一番年上のお兄さん。私からしたらみんな“オッパ“なのだけれどもこの人だけは本物のお兄ちゃんのようだ。一回りも上だしデビュー前からもたくさん可愛がってもらっている。同じ場に彼のメンバーの面々が揃い口々に私の卒業を祝った。今日は彼らのデビュー初期からのマネージャーさんの結婚式だそう。スーツ姿に身を包みお祝いムードで心なしかいつにも増して賑やかだ。
彼らの名はSuperboys。スパボの愛称で親しまれている。二〇〇五年にデビューして社会現象になるほど大衆人気を博したグループ。活動歴も長く、事務所内に限らず韓国アイドル界の中ではベテランの域に達していて彼らを憧れの先輩として挙げる男性アイドルも少なくない。チョルスも彼らをロールモデルにしている。
今日は式場に向かう前に事務所に待機している時間があるから、その間に来て欲しいと言われた。
「お前が成人か。一緒に呑もうな」
「なんだか実感湧かないよ。まだ小学生くらいな気がする」
宙を見上げ、もう俺らも三十代だもんなぁと呟く。私の成長に時の経過を感じているがこっちも二十代そこらのお兄ちゃんだと思っていた人がもう正真正銘の大人になっていることに驚きがある。
私が初めて彼らに会った時、私は十歳だった。彼らは当時デビューを目前に控えていたため私が練習生として通うようになってからすぐに練習生のビルには姿を見せなくなった。
しかし私のデビューが決まってまた会うようになると、面倒をよく見てくれた。いつまで経っても幼い妹のようだそう。
事務所の同世代の男の子はあまり近寄ってこない。練習生時代は同時期にレッスンを受けていたメンツは男女関係なく和気あいあいとしていたがデビュー後に突如接し方が変わった。
ソロ活動のため、私の印象がダイレクトに成績に響くからとマネージャーやスタッフの手により男性の同僚からは遠ざけられる。関わる場面ではあちらから腫れ物扱いをされて、スタッフから何か忠告を受けているのかと疑うほどだ。
それに対してこの先輩たちとは年齢差やこれまでの関係性から、仲良くしてもスタッフが目を光らせることはない。私を妹、というかむしろ弟のように雑に扱う。
「なあ、写真撮ろうぜ」
リーダーの声かけにより彼らに囲まれて集合写真を撮った。そのあとはこれといった用もなさそうにしているお兄さん方。
私、今日なんのために呼び出されたんだろう。
一番会いたい人は、結局いないし......
「そういやさっき下でデヒョン見かけた」
デヒョンとは高校も事務所も同じ、もう一人の男友達のことだ。高校の卒業式の日でさえもそのままここへ練習に来るなんて真面目だ。
練習生のデヒョンのことを大先輩である彼らが知っているのは何故かというと、デヒョンが次期ボーイズグループのエースだから。
複数の事務所からスカウトを受けたそのビジュアルはうちの事務所お墨付きで、既に有名だ。
入所してから歌やダンスを始めたが彼はダンスの才能まで神様から準備してもらっていたらしい。デビュー組といえども何度も調整を重ねてデビュー直前で突如メンバーから外されることもある厳しい世界。デヒョンに限ってはそんな心配もなく明るい未来が保証されている。今日の卒業式にもデヒョンをカメラで追うファンを見かけた。
それでわざわざデヒョンのことを私に伝えてきた訳とは、社内の一部がデヒョンと私を恋仲だと勘違いしているから。彼の入所は私が練習生五年目の頃。練習生棟では彼の人見知りがひどく入所直後はひたすら黙っていてよくわからない人だった。
それまでずっと、ひとつ上とひとつ下は何人もいるのに同じ学年の練習生は入ってきたと思えば辞めていく子ばかり。やっと現れた、長く居座りそうな同級生が信じられないほど無口で、人見知りの私が強行突破せざるを得なかった。
警戒心が強いかと思いきや案外人懐っこくて、大丈夫だと思った相手には心を全開にする。
私を介して他の練習生とも打ち解けた。不安そうな表情がデフォルトなめ、事務所全体のライブイベントで会ったときも私の方から声をかけたら安堵に満ちた顔をしていてなんともかわいいヤツだ。仲が良いことに間違いはないがそういう関係ではない。
先輩の発言にすかさず他の人が嫌な含み笑いでこちらを見つめて言った。
「いや、ユリはねぇ?ヒョン待ってんだよね、ふっ」
私は素知らぬ顔でとぼける。この場の数名は完全にニヤついた。
さっきまで数分間席を外していたうちのマネージャーがもう私の背後にいるのだから、危ない発言を控えてほしい。
「え、リク? リク待ってんの?」
たった一人、話を把握できていない鈍感な先輩がキョロキョロしながらメンバーへ尋ねている。
マネージャーはコホンと大きな咳払いをひとつ。
「ちょっと厳しすぎないか?」
「そろそろ好きな人ぐらいいたって良いんじゃないかなぁ。もう大人なんだし」
「デビューしてもう4年目でしょ?」
高校を卒業したら、想いを寄せているあの人に少しだけ近づいてみるつもりだった。それも今では叶わない。事務所にこんだけ圧力をかけられてたらできるはずもない。
握りしめた携帯が音をたて、誰かからのメッセージを知らせる。
【卒業おめでとう】
たった一言。望んでいた相手からののメッセージだった。誰からの言葉よりも嬉しい。
数ヶ月前の揉め事から線引きされてる気がしてたけど、彼の中では私の存在って良くも悪くも全く変わらないんだ。少しくらい意識してくれたっていいのに。
私と肩を組んだ先輩がマネージャーには見えない位置でとんとんと肩を小突き「マネージャーにバレない方法教えてあげるよ」って耳打ちした。反射的に真横を見る。至近距離にあるのは悪戯っ子の顔。
人の何倍も大きくぎょろりとした目は、私の平静を保つベールをさっと払い落とす。
本心を顔に出してしまった。先輩はふっと鼻で笑う。次の瞬間何かに気づいた彼は私ではなくさらに奥の方向へと興味を移す。身を乗り出してその対象へ声をかけた。
「おい、来んのおせぇよ!」
「リク! お前はいっつも遅い」
先輩が大声で発した彼の名に心臓が飛び跳ねる。
今ちょうど考えてたのにここでご本人様登場しちゃうの!?
上がりかける口角に逆らいきゅっと口を閉じ真顔を貼り付けて先輩の視線の先を辿ると片想いの相手がこちらに歩いて来る。スーツ姿で珍しく髪型もセットしている。
もはや顔なんて直視できないまま挨拶を投げかけた。彼は今日も変わらず不健康な青白い顔で目の下にはくまを作っている。
彼は私の元プロデューサーだ。四年務めた私の担当を年末までで終えて今は新しいグループのデビューに向けての準備を一緒にしている。そのグループのセンター候補が私の友達でもあるデヒョンだ。
四年間殆ど、約束をしなくても毎日会えていた人に理由をつけないと会えなくなった。ロスを乗り越えている最中だったのに思わぬ再会を果たして拍子抜け。
「先生も結婚式行かれるんですね」
「入った時からお世話になってるからね」
先生は入社して十年近いしプロデューサーなこともあって部署関係なく事務所内の人との関わりが多い。特にスパボの曲はこれまでたくさん提供してきたから招待されて当たり前。先生のスーツ姿を見れるならもっと頻繁に関係者の結婚式があってもいい。