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卒業

 二〇一四年一月


 高校を卒業した。

 芸能高校でアイドルや俳優が在校し、練習生も多い。参列席には生徒と父兄に加えて大勢の記者の姿。校庭にはマスターと呼ばれる、アイドルのファン活動を仕事の如く熱心にする者も待機していて、しんみりと青春への別れを告げる寂しさに浸る隙もない。騒がしい卒業式だ。

  

 こんな日くらいはフラッシュを浴びずに静かに過ごしたい。

 式の後の囲み取材はデビュー済みのアイドルならば強制参加のイベントだ。本音を覆い隠して記者とファンのカメラに笑顔を向けた。

 今日だけは親友たちとの時間を存分に味わいたかった。他の何にも邪魔されず、教室を背景に親友たちがふざけあっている姿をただぼんやりと眺めて、目に焼き付ける。

 そういうことをしてみたかった。

 これもないものねだり、ただの我儘か。

 デビューできなかったら今ある幸せも何一つない。素直じゃない自分に、そう言い聞かせてみる。


 同い年の子たちよりも随分と早く社会に出た。

 三年前、高校一年生の春には表舞台にあがった。韓国三大芸能事務所のひとつであるYUエンターテイメントからソロアーティストとして、且つ事務所アーティストの中でも最年少でのデビューだった。

 高校生活と芸能活動がほぼ同時期に始まったため、学生というよりもアイドルとして人と接することの多かった私を二人の親友だけは「ただの同級生」として扱った。その存在は貴重で、彼らは私にとって青春の証そのものだ。

 

 最後の下校も、彼らと共にする。

 校舎を出てグラウンドを通り校門までを目指すのも、一歩一歩を踏みしめて普段よりゆっくりとこの時間を噛み締めるように慎重に足を進めた。言葉を交わさずとも足並みは揃う。

 校門を出る手前でふと立ち止まり振り返った。

 そこから見える景色はこの三年で知った感情すべてを一瞬にして思い出させる。

 初めてこの景色を見た時は、私もまだ幼かったな。


「あらあら、寂しがっちゃって」

 背後からの呼び掛け。数歩先で彼らが満面の笑みを向けていた。

「ほら、行きますよ、お嬢」

 動かぬ私の両脇をそれぞれが抱えて、私も引きずられるように歩き出す。


 真冬のソウルはその厳しい寒さで、数分外にいれば耳は真っ赤になる。親友たちは真ん中にいる私に向かってぎゅうぎゅうに体を寄せて、針のように肌を刺す冷たい風を耐え凌ごうと必死だ。

 左隣のガタイのいい男の子、チョルスは芸能事務所に所属する練習生。再来年にデビュー予定のボーイズグループのメンバー候補だ。

 もう片方の親友、ジウォンはヘアメイクアーティストになる夢を持っていて専門学校へ進む予定だ。男一、女二で構成されたグループ。練習生男子、現役アイドル女子、一般JKの組み合わせに、学内では変な噂がたったとも耳にした。

 私とジウォンがチョルスを奪い合うなんて、漫画みたいなことは無い。少なくとも私とチョルスは、ない。

 こうやってひっついて歩けるのだって何も無いからこそできる。

 それに、こうしていると暖かい。


「さみぃ〜」

 気の抜けた声を出し、白い息を吐いた。

 談笑する私とジウォンの横で鳴き声のように「さみぃ」を連呼し、気を紛らわせている。

 雪一面の歩道に落ちた私たちの影はいつものと違って私とチョルスの頭のてっぺんがほぼ同じ位置だ。三人はピッタリ十センチずつ身長差があり並んだ姿はまるでマトリョーシカ。作る陰も同様になるはずが彼が私と同じ大きさの影を送っている。

 筋肉質で頑丈な体つきの男が大胆に腰を丸めて一番寒がっているのは滑稽だ。


「場所変わる?」

 尋ねると彼は焦った様子で手を振って拒んだ。

 わざとらしい。私からの視線を避けるように顔をそらした。

 ようやく彼の魂胆を察した。

 私は知っている。私が仕事で学校を欠席して二人きりのときはお互いに意識しすぎるが余り、微妙な距離を保ちながら下校していることを。今日ばかりは私という存在に託つけてジウォンの傍に居たかったのだろう。恥ずかしがっちゃって。しかも結局断るんだから。


 本音を見透かされて落ち着かない彼は私と組んでいた腕の力を弱めた。もう何も聞かず場所を代わってやろう。

 彼の腕を自分側に引こうとした時、ジウォンが私の顔を覗き込んだ。


「こんな時ばかりはシウオッパ(お兄さん)に会って卒業した私たちの姿を見せつけてやりたいよね」


 彼女が目力で同調を訴えかけるのに便乗してチョルスも同じ顔を向けた。僅かなリアクションも見逃さんとする二人に挟み撃ちされた。

 突然話題に出た彼の名前。動揺を見せぬよう目線を遥か遠くに置く。


「シウヒョン(お兄さん)もあっちで頑張ってるもんねぇ」

 チョルスの声色から、茶化した表情なのが想像できる。

 二人が恋しがっているシウとは私の幼馴染みのことだ。昨年の夏にニューヨークに留学したがそれまでは四人でよく遊んでた。

 あっちに行くって決めたのは本人だしもう私のことも何とも思っていないはず。いや、そうだったらいい。


 二つ上の彼のことをジウォンとチョルスは年上のお兄さんに対しての敬称を付けて呼んでいる。

 私も彼のことを”オッパ”と呼べるような関係のままで居続けられたならば、ずっと変わらずただの幼馴染みのままでだったのかな。


 彼があっちに行って最初の頃は四人のグループチャットも、私個人とのチャットも動いてた。

 離れてからしばらくして付き合い方を考え直した。彼とは金輪際関わりを持ってはいけない。自分の中で答えを出した私は彼に嫌われようと半ば意地になって最後にこう告げた。


 「二度と連絡しないで」


 ムキになっていた。私のことをよくわかってる彼だから、いつかは連絡がくるだろうと甘く見ていた。連絡がこなくなって四ヶ月が経つ。


 彼から離れないと、と思いつつも惰性でそのタイミングを先延ばしにして、判断を相手に委ねてばかりで、自分の手は汚さずにやってきた。こうやって無理にでも離れるくらいでちょうどいい。


 物思いに耽っているとチョルスが私の様子を伺う。私とあの人が疎遠になったことにいち早く勘付いたのはこの男だった。あの人が吹き込んだわけでもなく単に私の醸し出す雰囲気から察したと言う。チョルスはまず先にあの人に問いただしたところ「何もない」と言ったそうだ。私は正直にあの人へぶつけたトドメの一言をチョルスに伝えた。チョルスは半ば呆れて「戻りたいなら早いうちがいいよ」と助言を送り、それ以降は何も口出ししなかった。


 元から私とシウの関係を疑ってはいたがその一件が私たちに幼馴染み以上の何かがあることを証拠付けた。それでもチョルスは余計な詮索をしない。お互いに暗黙の了解ってところだ。

 一見抜けているようで、気遣いと優しさの塊だ。友達でありよき理解者。もう時期同僚にもなる。

 そんなチョルスにさえ、私とあの人の“リアル”はほんの一部分も見せていない。

 きっとただの、しょうもない縺れだとでも想像しているだろう。

 私たちが隠している秘密はこの純粋な二人には口が裂けても言えない。


「ねぇねぇ、明日何時からにする?」

 明日は私が丸一日オフで二人を家に呼び卒業祝いをする予定だ。

「昼からがいい。俺も休みだけど遅くまで寝たい」

 彼の事務所はデビュー候補の男子練習生が年下ばかりらしく、宿舎生活でみんなの面倒も見てるし私なんかよりもよっぽど忙しそう。

 

「じゃああんたに合わせよう。何時からでもいいよ」

「そんなん言われたら多分俺一日中寝る」

「いつでも好きな時間に来ていいよ。チョルスは遅れて来て良いし」

「ユリ、時間大丈夫なの?」

 ジウォンに小突かれて彼女の差し出す携帯画面に目をやる。次の予定までの時刻が差し迫っていた。

「やばっ! ありがと、じゃああとでまた連絡しよう! また明日ね」


 がっしり組まれた二人の腕からするりと抜け出して挨拶もそこそこに駆け出す。ジウォンは家族と、チョルスは練習生の子たちと、それぞれ時間を過ごす。私も久々に実家に帰るがその前に一件予定がある。事務所に呼び出しをくらった。


 お決まりの場所で待機するマネージャーの車を見つけた。車に乗り込んだ私へマネージャーが体を向ける。日頃とは違う雰囲気にシートベルトをする手も動きが止まる。マネージャーがふふっと鼻で笑う。

「あなたがもう高校卒業だなんて早いものね。おめでとう」

 

 デビューしてから、親よりもマネージャーと関わる時間が長い。彼女は私の思春期も知る。その台詞やクールな微笑にも含みがあるように感じた。付き合いはもう三年。互いに誰彼構わず心を開く人間じゃないため適切な距離を保ったままでいる。一見冷淡だが薄情な人じゃない。仕事をテキパキとこなして無駄を省く。

 最初はもう少し明るくて楽しいお姉さんだったならと思ったが、彼女だからうまくやってこれた部分がある。親しくなりすぎても、その分ネガティブな面をさらけ出せず息が詰まっていただろう。

「なんだかんだ早かったですよね。いつも送迎してくれてありがとうございます」

 軽く口角をあげて満足げに頷きハンドルを握り直した。


 普段通りそれ以上の会話はなく目的地までの短いドライブに用意されたバックサウンドは環境音だけ。頭を窓ガラスに預けてボーッと道路を眺める。

 アイドルになる道は自分で選んだはずなのに、想像を絶する忙しさから“なんでこんなに大変な想いしないといけないんだろう“と思いながらこの景色を見る日のほうが多かった。車内からは友達と一緒に下校して寄り道をしている同世代の子達がやけに目についた。でも案外、この道も悪くない。思い返せば毎日ではなくてもそれなりに青春らしい放課後も過ごしたな。良い高校生活だった。


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