第10話「名前を取り戻す」
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『仮面の記録者』 第10話「名前を取り戻す」
すべてが終わったはずだった。
だが――
世界はまだ、不完全だった。
記録空間は再構築され、俺は俺として存在し、香緒もまた香緒としてそこにいた。
けれど、“何か”が欠けている。
RE:CODERは最後のログを表示する。
> 「最終記録未保存」
「あなたの“名前”がまだ確定していません」
「記録の安定には、“名前”の認証が必要です」
◆
名前とは何だ。
ただの記号か? 他人に識別されるためのラベルか?
――いや、違う。
香緒は言った。
「“名前”は、心を繋ぐ言葉よ」
彼女は手帳を開き、古びたメモを見せてくれた。
小さな字でこう記されていた。
> 『あの子の名前を忘れないように、ここに書いておく。』
『あの子が、たとえ記録から消えてしまっても――』
『名前だけは、ここにある』
香緒が長い間、誰にも言えずに持っていたメモ。
そこには、かつて失われた“兄”の名前が書かれていた。
彼女がずっと記録から消されるのを恐れていた相手。
そして――彼女自身もまた、“記録の不安定者”だった。
◆
RE:CODERの最深部で、俺たちは最後の選択を迫られる。
> 「記録安定化のため、どちらかの“名前”を捨てる必要があります」
「融合するなら、どちらかが“観測者”となり、記録から外れます」
「あなたは選びますか? それとも――記録を“壊しますか”?」
俺は言った。
「壊さない。書き直すでもない。“共に生きる記録”を作る。」
香緒がうなずく。
二人で、RE:CODERの記録編集領域に入る。
俺は自分の名前を書く。
「ハルキ」
彼女も、自分の名前を書く。
「香緒」
その瞬間、記録空間に“重なり”が生じる。
過去の記録、未来の予測、壊れた観測履歴――すべてが一本の時間軸へと束ねられていく。
> 「記録統合完了」
「二人の存在が確定しました」
「新たな物語が始まります」
◆
あれからどれだけ時間が経ったのだろう。
俺はまた、大学の教室に戻り、ノートに文字を綴っている。
隣には香緒がいて、いつものように俺の文字を覗き込んでいる。
そこには、こう書かれていた。
『これは、記録にすら残らない小さな物語。
でも、たしかにここに在ったという証明。
名前がある限り――僕たちは、誰でもなかった者ではない。』
香緒が笑う。
「ちゃんと、書けたじゃない。あなたの名前で」
(最終話・了)
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✦『仮面の記録者』完結 ✦
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