第八話
「いや、よー当てたな勝彦」
当たった舟券の換金を終え、車に戻ってきた父は上機嫌だった。
私はその間車の中で待っていたためいくらになったのかは知らないが、この浮かれた様子を見るに相当の配当金が返ってきたのだろうことはうかがえた。
「お前はギャンブルの才能があるかもしれん」
「そうかな」
ギャンブルの才能があるって、いいことなのだろうか。
そんな疑問が一瞬頭をよぎったが、すぐさま父に褒められた嬉しさが勝った。
「今度競艇行く時もお前連れてくか。また当ててくれや」
「うん」
今度。
次もまたまた連れて行ってくれると言ってくれて、私は期待に胸が膨らんだ。
「ところで、なんで2−1−3やったんや」
父の質問に言葉が詰まる。
悩み、絞り出した答えは我ながら白々しいものだった。
「なんとなく」
嘘だ。
2−1−3。つまり2月13日は間近に迫る私の誕生日だ。そのことを父は覚えているだろうか。
「ほーん、そうか」
そっけない父の反応。
私は答えを知るのが怖く、父の視線から目を逸らした。父はそれ以上なにも追求してこなかった。
「飯食いに行くか。腹へったやろ」
「うん」
父は車を走らせた。
「ほら食え。好きなもの頼んでいいぞ」
父に連れられて来たのは焼き鳥屋。
店の前には赤提灯と暖簾が掛けらていて、またしても子供の私が場違いに感じる雰囲気を醸し出していた。
店の中に入ると競艇場とはまた違った賑わい。炭火の煙と、タバコの煙がごっちゃになって目に染みるほどだった。
案内された席に着くと父は懐からタバコを取り出し、それに火をつけた。
「ほれ」
メニューを私に手渡してくる。見慣れない料理名ばかりで、なにを頼めばいいかわからない。
「このシロって何」
「豚の腸や、甘くて美味いぞ」
「ぼんじりってのは」
「鶏の尻の肉や、歯応えがある」
「レバーって美味しいの」
「食えたら大人やな」
焼き鳥なんて祖父がたまに買ってくる親鳥くらいしか知らない私は、父にあれこれ聞きながら面白そうなものを注文する。
シロ、ぼんじりは問題なく食べられた。豚の腸と聞いてシロを食べる時若干躊躇したのだが、食べてみると柔らかく、甘辛いタレがよく効いていて美味しかった。
ぼんじりは見たところ普通の焼き鳥に見えた。だが食べてみると歯応えがあるのに柔らかいという不思議な食感があり、私はこれが一番好きだった。
レバーはダメだった。独特の臭みとジャリジャリとした舌触りが口に残り、一口食べただけで私は串を皿に戻した。吐き出さないようにするだけで精一杯だった。
父は顔を歪める私を見て笑っていた。
「やっぱお子ちゃまやな」
私が残したレバーを食べながら父は私を揶揄う。注文したオレンジジュースでレバーの味を洗うが、まだ苦いような気がした。
一息ついたところで疲れが一気に押し寄せてくる。
楽しかった。
本当に楽しかった。祖父母に内緒で父についてきて本当に良かった。私は心の底から思う。だからこそ、この父と過ごす時間がもう少しで終わることが寂しくて仕方なかった。
「お父さんはさ」
私は最後のチャンスだと思い、ずっと聞きたかったことを問いかける。
「お父さんは、家に帰ってこないの」
タバコを吸っていた父の動きが止まった。
今の生活に不満があるわけではない。子供ながらに、祖父母が私に最大限の愛情を注いでくれていることは理解している。
先生のように、好きな小説について語れる人が身近にいて、そんな人が自分を気にかけてくれることがどれだけ幸運なことかよくわかっている。
小屋で暖をとりながら過ごす冬が、私の人生にどれほど彩りを与えてくれているのか身に染みている。
しかしそれでも、父と一緒にいられない寂しさを埋めることはできなかった。
今日のようにまた父と遊びたい。父と小屋で餅を食べてみたい。父と祖父に仲直りしてもらって、また一緒に暮らしたい。
子供じみた願望だとわかっているが、そう願わずにはいられなかった。
「無理や」
父は硬い声で否定する。ゆっくりとした動作でタバコを灰皿に押し付けた。
「俺はお前とは一緒に暮らせん」
「なんで」
「それがお前のためやからや」
私にはわからなかった。なぜ一緒に暮らさないことが私のためになるのか、私と一緒に暮らすことが嫌なのか。
問いただしたかったが、父に拒絶されたショックでうまく言葉が出ない。
俯く私の頭に固い父の手が置かれる。
「たまにこうやって遊んでやるから、それで我慢し」
「本当」
「ああ。また競艇にでも連れてったる」
「焼き鳥屋も」
「わかったわかった。その時はレバー食えるようになっとれよ」
「うん。コーヒーも飲めるようになる」
その後のことは覚えていない。気がつけば私は眠っていて、助手席に乗せられていた。
車に運ばれるわずかな時間、父が私を背負ってくれたような気がした。
「勝彦っ」
耳元の叫び声で目が覚める。猛烈な冷気が首筋を伝った。
「あ、えっ」
半覚醒の状態の中、私は祖父に肩をゆすられていることに気づいた。
車の中で眠っていた私を、祖父と祖母が顔を青ざめさせながら見つめている。
「じ、じいちゃん、ばあちゃん」
私の返事に祖母が安堵のため息をつく。
「かっちゃん、良かった」
助手席から降りた私を祖母が抱きしめる。寝起きのせいか足元がおぼつかず、私はされるがままだった。
祖父は憤怒の表情を浮かべると、振り返って怒鳴り声を上げた。
「英信お前、何しとるんやっ」
祖父の怒りの先には父がいた。
いつの間にか家に着いていた。外は完全に暗くなり、玄関についている照明が風と共に舞う雪を照らしている。
「だから言うたやろ。寝とるだけやって」
「こんな遅まで子供連れ回して、何呑気なこと。俺らに無断で連れて行きよって、どれだけ心配したと思ってるんやっ」
祖父の言葉に私は背中に氷柱を当てられたような感覚を覚えた。
やはり心配させてしまった。
父と過ごせた楽しい時間を忘れてしまうほどの後悔に襲われる。
車の外に立ち、腕を組んでそっぽを向いていた父は舌打ちを返した。
「別にええやろが。自分の子供遊びに連れてくのに、なんであんたらの許可がいるんや」
「誰がお前の子供や。何年も連絡ひとつよこさんとほったらかしにしよって。今更父親面すんなやっ」
その言葉を聞いた父は冷たい表情を浮かべ祖父を睨みつけた。
「そうか。ならもうええわ」
父は車に乗り込む。
私はその背中に手を伸ばした。このまま父が去ると一生の別れになってしまう。そんな予感があった。
「お父さん、待って」
そう言ったつもりだったが、私の喉からは意味のない音が漏れるだけだった。
そのまま車は去っていった。